徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

おしらせ

「徒然草」に続いて、このたび「枕草子」を読みはじめました。枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる というブログで記事を少しずつアップしています。よろしければご覧ください。

読了しました

「徒然草」読み終わりました。去年(2017年)の10月11日に読みはじめましたから、3カ月半ほどかかったことになります。(ちなみに序段(冒頭文)はこんな感じでした。) 徒然草を読むことにしたのには、それほど大層なモチベーションもなく、ほとんど思いつ…

第二百四十三段(最終段) 八歳になった時、父に質問して

八歳になった時、父に質問してこう言ったの「仏はどういうものでございましょうか?」ってそれに父が答えて言ったのが「仏には人がなったんだ」と で、私また質問、「人はどうやって仏に成りましたんでしょう?」ってね父はまた、「仏の教えによってなったん…

第二百四十二段 逆境(不幸)か順境(幸福)かに左右されてしまうのは

いつまで経っても、逆境(不幸)か順境(幸福)かに左右されてしまうのは、ひとえに苦楽のためだよ「楽」っていうのは、好み愛することなんだこれを求めはじめたら尽きることがない願い欲するものっていうと、まず1番目は名誉欲だよねで、名誉にも二種類あっ…

第二百四十一段 満月はまんまるで

満月はまんまるで、だけどそれは、ほんのちょっとの間もそのまんまじゃなく、すぐ欠けてしまうんだでも注意散漫な人は、一晩のうちにそこまで変わっちゃう様子にだって、気づかないに違いない病気が重くなるときも、少しの間も安定しなくてすぐ進行して、気…

第二百四十段 忍んで会うにも人目がわずらわしくて

忍んで会うにも人目がわずらわしく、暗い中、密やかに会おうにも見張ってる人がたくさんいて、それでも無理してまで通いたい気持ちが、深くしみじみと感じられて、その時々に忘れられないことって多いんだけど、逆にそれが親兄弟に許されて、ただ家に迎えて…

第二百三十九段 八月十五日、九月十三日は、婁宿の日である

八月十五日、九月十三日は、婁宿の日であるこの宿(日)は、清く明らかなので、月を愛でるのにふさわしい夜になるんだよ ----------訳者の戯言--------- 婁宿(ろうしゅく)っていうのは、月の見かけの通り道である白道を、27のエリア(星宿=星座)に等分割…

第二百三十八段⑦ 二月十五日、月の明るい夜、夜が更けてから

一つ二月十五日、月の明るい夜、夜が更けてから、千本釈迦堂に参詣して、裏口から入って、一人顔を深く隠して説法を聞いてたんですけど、上品で、姿、雰囲気が人とは違ってる女性が、人の間を分け入ってきて、私の膝に寄りかかって、匂いなんかも私に移るく…

第二百三十八段⑥ 賢助僧正のお供をして加持香水の儀式を見た時に

一つ賢助僧正のお供をして加持香水の儀式を見た時に、まだ式が終わらないうちに、僧正が帰られたんだけど、会場の外まで僧都の姿が見えなかったので、僧侶たちを戻して探させたんだけど「おんなじ格好のお坊さんでいっぱいで、見つけ出せませんー」と言って…

第二百三十八段⑤ 那蘭陀寺で、道眼上人が講義した時

一つ那蘭陀寺で、道眼上人が講義した時、「八災」の内容について忘れたので「これ、覚えてはる?」と言ったんだけど、弟子たちは誰も覚えていなくて、私が来賓席から「これこれでしょうか」と言ったところ、とても感心されたんだよね ----------訳者の戯言--…

第二百三十八段④ たくさんの人といっしょに比叡山の三塔巡礼をした時

一つたくさんの人といっしょに比叡山の三塔巡礼をした時、横川の常行堂の中に、「竜華院」と書いた古い額がありました「佐理か行成かのどっちかっていう疑いがあって、いまだ決着がついていない、って申し伝えてるんです」と、比叡山の僧たちが申しましたの…

第二百三十八段③ 常在光院の梵鐘の銘文は

一つ常在光院の梵鐘の銘文は、菅原在兼卿の下書きによるものなんだそれを(書家の)勘解由小路行房朝臣が清書して、鋳型にうつそうとされたんだけど、製作担当の入道が、例の草稿を取り出して私に見せましたら、「花の外に夕を送れば、声百里に聞ゆ」という…

第二百三十八段② 今の帝が、まだ皇太子でいらっしゃった頃

一つ今の帝が、まだ皇太子でいらっしゃった頃、万里小路殿の屋敷をお住まいにされてて、そのお屋敷の堀川大納言がご出仕なさっている詰所へ、用があって私、参ったんだけど、論語の四、五、六の巻をお広げになって「ただ今、皇太子殿下が『紫の朱奪うことを…

第二百三十八段① 自慢話が七つあるんだよ

御随身の近友が自慢話として七箇条、書き留めていることがあるんだどれも、馬芸とか、何てこと無いことばっかなので、その先例を参考にして、私にも自慢話が七つあるんだよね 一つ人を大勢連れて花見をして歩いた時、最勝光院のあたりで、男が馬を走らせてい…

第二百三十七段 柳筥(やないばこ)に置くものは

柳筥(やないばこ)に置くものは、柳に対して縦に置くか、横に置くかは、物によるのかな?「巻物なんかは縦向きに置いて、木と木の間からこよりを通して結びつけるんだ。硯も縦向きに置いたら、筆が転がらなくていいんだ」と、三条右大臣殿がおっしゃったで…

第二百三十六段 丹波に「出雲」っていう所があるんだ

丹波に「出雲」っていう所があるんだ出雲大社から分霊をお招きして、見事に社を造ったのその神社があるのは「しだの何とか」っていう者の領地なので、秋の頃、聖海上人や、他にも人をたくさん誘って、「さあ、お越しください、出雲を参拝に! ぼたもちをご馳…

第二百三十五段 主人のいる家には

主人のいる家には、用の無い人が思うままに入って来ることは無いんだよ主のいないところには、道行く人が無闇に入り込むし、狐やフクロウのようなものも人の気配に妨げられなくて、得意顔で入って棲みつき、木霊(木の精)などという異様な姿をしたものも、…

第二百三十四段 人が何か質問してきた時に

人が何か質問してきた時に、「まさか知らないはずないし、そのまんま言うのはアホらしい」とでも思うんだろうか、心を惑わすように返事するのは、良くないことだよねちょっとは知っていることでも、もっとハッキリと知りたい!と思って質問するのかもしれな…

第二百三十三段 全てにおいて間違いがないようにと思うんなら

全てにおいて間違いがないようにと思うんなら、何ごとにも真心を持って、人を差別せず、礼儀正しく、口数は少ないのに越したことはないよ男も女も、老人も若者も、そういう人はみんないいもんだけど、特に若くて見た目もかっこよくて、きちんとしてて礼儀正…

第二百三十二段 あらゆる人は、学が無く、芸も無くてしかるべき

あらゆる人は、学が無く、芸も無くてしかるべきものなんですある人の子どもで、容姿なんかは悪くないんですけど、父の前で人とディスカッションしたときに、中国の歴史書の言葉を引用してたのは、賢いとは思えたけれども、上位の人の前ではそんなことしなく…

第二百三十一段 趣向を凝らして面白さがあるより、面白くなくてもストレートなのが

園の別当入道(藤原基氏)は、比べるものもないくらい優れた料理人なのだある人のところで、立派な鯉を出したんで、みんな、別当入道の包丁さばきを見ないとなーと思ったんだけど、簡単に言い出すのもどうなん?ってためらってたら、別当入道もわかってる人…

第二百三十段 五条の内裏には化け物がいた

五条の内裏には化け物がいたんだよ藤大納言殿が語られたことには、殿上人たちが黒戸の御所で碁を打ってたら、御簾を上げて見てる者がいたのね「誰だ!?」と見たら、狐が人間みたいにひざまづいて覗いてたんだけど「うわ、狐だ!!」って大騒ぎしたもんだか…

第二百二十九段 腕のいい工芸職人は、少し鈍い刀を使う

腕のいい工芸職人は、少し鈍い刀を使うというんだ妙観の刀はそんなには鋭くないのだよ ----------訳者の戯言--------- 今回は前段とは逆に、ホンマに?んなわけないやろ。って話。 刀は彫刻刀とかのことと思われます。 たしかにいいパソコン使ってもいい文章…

第二百二十八段 千本釈迦堂の釈迦念仏は

千本釈迦堂の釈迦念仏は、文永のころ、如輪上人が、これを始められたんです ----------訳者の戯言--------- あーそうなんやー。で?って感じ。 【原文】 千本の釋迦念佛は、文永のころ、如輪上人、これを始められけり。 検:第228段 第228段 千本の釈迦念…

第二百二十七段 「六時礼賛」は

「六時礼賛」は、法然上人の弟子の安楽という僧侶が経文を集めて作って、勤行に使ったものなんだその後、太秦善観房という僧が、節博士を定めて声明に仕立てたんだよこれ、一念の念仏の起源でね後嵯峨院が治めてた御代から始まったものなんだで、「法事讃」…

第二百二十六段 「七徳の舞」

後鳥羽院が治められてた時代、信濃前司行長が、学問のデキる人として有名だったんで、漢詩の楽府について御前で討論するパネリストとして招集されたんだけど、その時「七徳の舞」のうち二つの「徳」を忘れてしまってたがために「五徳の冠者」ってあだ名をつ…

第二百二十五段 白拍子のルーツ

多久資(おおのひさすけ)が申したことには、「通憲入道が、舞の手の中で趣のあるものを選んで、磯の禅師という女に教えて舞わせたんだ。白い水干に、鞘巻(鞘の無い短刀)を差させ、烏帽子をかぶらせて男のような恰好で舞わせたので、男舞と言ったんだよ。…

第二百二十四段 陰陽師有宗入道が鎌倉から京に上ってきて

陰陽師有宗入道が鎌倉から京に上ってきて、私の家を尋ねてやってきたんだけど、家に入ってまず、「この庭が無駄に広いのは呆れるほどで、これ、あってはならん事ですよ。道理をわきまえてる者なら、植物を植えることに努めるもんです。細い道を一本だけ残し…

第二百二十三段 鶴(たづ)の大臣殿は、幼名が「たづ君」

鶴(たづ)の大臣殿は、幼名が「たづ君」なのだよ「鶴をお飼いになってたから」っていうのはガセなのです ----------訳者の戯言--------- 兼好、急にどしたん?という段。思いついたのか? 意味不明なり。 鶴の大臣殿というのは九条基家という人らしいです。…

第二百二十二段 竹谷乗願房が東二条院の元に参られた時

竹谷乗願房が東二条院の元に参られた時、東二条院が、「亡くなった人の供養には、何をしたらメリットが多いんでしょうかね」とお尋ねになられたところ、竹谷乗願房が「光明真言(こうみょうしんごん)、宝篋院陀羅尼(ほうきょういんだらに)」と申されたの…