徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第二十八段 諒闇の年ほど

天皇がご父母の喪に服される諒闇(りょうあん)の年ほどしみじみと趣深いものはありません

天皇が諒闇の時最初にお籠りになる倚廬(いろ)の御所の様子などについて言うと、床の板敷を低くして、葦の御簾をかけて、御簾の飾り物である帽額も粗末なのにして
調度品も質素、全員の装束、太刀、衣の飾り紐の平緒まで、普段とは違ったふうになっているのはすばらしいよね


【原文】

諒闇(りょうあん/まことにくらし=天子の喪)の年ばかり哀れなる事はあらじ。

倚廬の御所のさまなど、板敷をさげ、葦の御簾をかけて、布の帽額あらあらしく、御調度ども疎かに、みな人の裝束、太刀、平緒まで、異樣なるぞゆゝしき。

 

検:第28段 第28段 諒闇の年ばかりあはれなる事はあらじ

第二十七段 ご譲位の儀式が行われて

ご譲位の儀式が行われて、剣、璽、内侍所の三種の神器を次の天皇にお渡しする時はすごく寂しい気持ちになります

新院(花園上皇)がご譲位なさった春、こんな歌をお詠みになったそうですよ

殿守のとものみやつこよそにして掃はぬ庭に花ぞ散りしく
(庶務担当部署の職員が新院の御所はよそごとにしてしまってるので、お掃除をしてない庭に桜の花びらが散乱しているよ)

今の帝(後醍醐天皇)になって新しい御代の仕事が忙しいのを言い訳にして、院の方には参る人もないなんて寂しいことです
こんなところに人の本心って出ちゃうもんなんだろうね


----------訳者の戯言----------

剣、璽、内侍所。今の感覚だとすごくわかりにくいんですけど、
宝剣=草薙剣
神璽=八尺瓊勾玉
宝鏡=八咫鏡
ってことらしく、つまり、この三つで三種の神器ということらしい。特に内侍所なんか、置いてる場所ですからね!(まあ、内侍司の女官=内侍が管理してたから、なんですけどね) それで意味が通じてたのがすごい。今だったら、「内閣官房」とか「都庁」とかって感じか。わかるかよ! 時代は変わったもんだ。

さて現代では、今上天皇のご譲位問題がようやく法制化され、2019年の5月にご譲位となるようです。

兼好法師がこれを書いた鎌倉末期~南北朝の頃というのは、このような生前譲位は普通にあったようで、「新院」とあるように、その前から、他にも院、つまり上皇がいらっしゃたとのこと。後伏見上皇後宇多上皇の二人もいたんだって。だからここで出てくる花園上皇は3人目の院、なんですね。

当時は、天皇家大覚寺統持明院統の2つの血筋があったわけで、ま、交互に天皇を出してたし、情勢によってコロコロと天皇も変わってたわけですかね。そういう争いもあったし、幕府(武家)と朝廷(天皇家、公家)との権力争いもあって、誰がどっちについたとか、誰が誰を立てたとか、ややっこしい時代であったのは間違いないですね。

だから、この段みたいなこともあったんでしょうね。今でも、政権交代したら役人が戸惑うってあったわけでしょ。民主党の時とか。今は今で、役人が安倍さんや菅官房長官の顔色伺うとかねー。上が変われば態度変える人がいるっていうのはよくある話です。もちろん民間の会社でもね。


【原文】

御國ゆづりの節會行はれて、劒・璽・内侍所わたし奉らるゝほどこそ、限りなう心ぼそけれ。

新院のおりゐさせ給ひての春、よませ給ひけるとかや、

殿守の伴のみやつこよそにして はらはぬ庭に花ぞ散りしく

今の世のことしげきにまぎれて、院にはまゐる人もなきぞ寂しげなる。かゝるをりにぞ人の心もあらはれぬべき。

 

検:第27段 第27段 御国ゆづりの節会おこなはれて 御国譲りの節会行はれて 御国譲りの節会おこなはれて 御国ゆづりの節会行はれて

第二十六段 人の心は花のよう

それほど風が吹かなくても人の心は花のように移ろいゆくもので
二人が親密だった年月に思いを馳せると、その間に聞いた素敵な言葉の一つひとつさえ忘れらないのに、私の世界からその人が全くいなくなってしまうって、そんなのよくあることだけど、死に別れるよりもずっと悲しいことなんだよね
そんな風に例えば、白い糸が色に染まるのを悲しみ、道が分かれるのを悲しむ人もいたのかなって思います

堀川院の百首の歌の中に

むかし見し妹が墻根は荒れにけりつばなまじりの菫のみして
(昔つきあってた彼女の家の垣根が荒れ果てているよ 今はつばなまじりの菫だけが咲いてるだけなんだけど)

とあるけど、寂しい景色になったこと、きっとそれなりの事情があったんだろうね


【原文】

風も吹きあへず移ろふ人の心の花に、馴れにし年月をおもへば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、我が世の外になり行くならひこそ、亡き人の別れよりも勝りて悲しきものなれ。

されば白き絲の染まむ事を悲しび、道の衢(ちまた)のわかれむ事を歎く人もありけんかし。堀河院の百首の歌の中に、

むかし見し妹が垣根は荒れにけり 茅花まじりの菫のみして

さびしきけしき、さること侍りけむ。

 

検:第26段 第26段 風も吹きあへずうつろふ人の心の花に

第二十五段 無常な世の中ですから

飛鳥川の淵瀬のように無常な世の中ですから、時が移り変わり、出来事が次々と過ぎ去り、楽しみや悲しみが行き交って、華やかだった場所も人の住まない野原となり、家は変わらなくても住んでいる人は変わっていたりもするんですよね
桃や李などなどの木々はずっとあるけど、当然話すこともできませんからね、いったい誰と昔のことを語り合えばいいんでしょう
ましてや、見たこともない昔の身分の高い方の住まいの跡なんて、ただ、とてもはかないもの、としか思えませんよ

藤原道長の邸宅だった京極殿や法成寺を見ると、建てた人の志は残っているけど、建物の様子はすっかり変わってて、悲しくなっちゃいますね
御堂殿(道長)が立派に作られ、荘園を数多く寄進され、自分の一族だけが帝の後見役となって
世の中を治める存在として、行く末までずっとこのままに、と思ってた時には、たとえどんな世になったとしても、まさかここまで衰退しちゃうとは考えなかったでしょうね

大門、金堂なんかは最近まで残ってたんですけど、正和の頃に南門は焼けてしまいましたし
金堂はその後倒れたままになってて再建される術もありません

今は無量寿院(法成寺の阿弥陀堂)だけがかろうじて形を残してて、丈六の仏九体がすごく尊く並んでいらっしゃるくらいです
行成大納言(藤原行成)の書いた額、(源)兼行の書いた扉も、きらきらして見えてかえって悲哀を感じます
法華堂なんかは、今もちゃんとありますけど、これもまた、いつまで残っているかわからないですよね

こんな風に名残があるのはまだいいとして、それさえ無い所になると、もっと哀しくて、たまたま「礎」だけが残ってることもわずかにはあるんですけど、その由来をはっきり知っている人なんていませんもの

だとすると、すべておいて、見ることもない自分の死後の世界のことまで考えておくなんて、実はすごくはかないことじゃないのかな、と思うんですよね


----------訳者の戯言----------

飛鳥川というのはしょっちゅう氾濫したらしい。で、沿岸地域の地形がよく変わってたそうです。
藤原道長のことが若干嫌いなのか? それとも本当に無常を感じてるのか? どっちもあるような気がする。


【原文】

飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば、時うつり、事去り、樂しび・悲しび行きかひて、花やかなりし邊(あたり)も、人すまぬ野らとなり、變らぬ住家は人あらたまりぬ。桃李物いはねば、誰と共にか昔を語らん。まして見ぬ古のやんごとなかりけむ跡のみぞ、いとはかなき。

京極殿・法成寺など見るこそ、志留まり事變じにける樣は哀れなれ。御堂殿の作り磨かせ給ひて、莊園多く寄せられ、我が御族のみ、御門の御後見、世のかためにて、行末までとおぼしおきし時、いかならむ世にも、かばかりあせ果てむとはおぼしてんや。大門・金堂など近くまでありしかど、正和のころ、南門は燒けぬ。金堂はその後たふれ伏したるままにて、取りたつるわざもなし。無量壽院ばかりぞ、そのかたとて殘りたる。丈六の佛九體、いと尊くて竝びおはします。行成大納言の額、兼行が書ける扉、なほあざやかに見ゆるぞあはれなる。法華堂なども、いまだ侍るめり。これも亦、いつまでかあらん。かばかりの名殘だになき所々は、おのづから礎ばかり殘るもあれど、さだかに知れる人もなし。

されば、萬に見ざらむ世までを思ひ掟てんこそ、はかなかるべけれ。

 

検:第25段 第25段 飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば

第二十四段 斎王が野宮にいらっしゃる

斎王が嵯峨野の野宮にいらっしゃるご様子というのは、それはそれは優雅で趣あるものの極みだと思います
「経」「仏」など仏教に関係した言葉を使わずに「なかご(仏像のこと)」「染紙(仏経の経典のこと)」などの言葉を使うのもとても素敵ですね

すべて、神の社は注目すべき優雅なものですよ
なんとなく古めかしい感じの森がただならぬ雰囲気で、神殿の周りが玉垣で囲われてて、榊に白い木綿をかけて幣帛にしているのも、イケてないわけないよね

中でも特にいいのは、伊勢神宮賀茂神社春日大社平野神社、住吉神宮、三輪大社、貴船神社吉田神社大原野神社松尾神社、梅宮神社、です


----------訳者の戯言----------

今回は、神祇信仰の段、神道の礼賛ですね。法師なのに。
まさに神仏習合を体現しています。

斎王というのは伊勢神宮に巫女として仕えた未婚の内親王であったということ。もちろん今は存在しません。近い存在としては、現在は黒田清子さんが伊勢神宮祭主になられてます。


【原文】

齋王の、野の宮におはします有樣こそ、やさしく、面白き事の限りとは覺えしか。「經」・「佛」など忌みて、「中子(なかご)」、「染紙(そめがみ)」などいふなるもをかし。

すべて神の社こそ、捨て難く、なまめかしきものなれや。ものふりたる森の景色もたゞならぬに、玉垣しわたして、榊木に木綿かけたるなど、いみじからぬかは。殊にをかしきは、伊勢・賀茂・春日・平野・住吉・三輪・貴船・吉田・大原野・松尾・梅宮。

 

検:第24段 第24段 斎王の野宮におはしますありさまこそ

第二十三段 九重(皇居)の神々しい様子

仏様の教えが衰退した末法の世とはいっても、やはり九重(皇居)の神々しい様子は、世俗的でなくて立派なものです

露台(ろだい)、朝餉(あさがれい)、何々殿、何々門などは、その名前の聞こえ方からしてすごくよくて、身分のそう高くない人も住んでるであろう小蔀(こじとみ)、小板敷(こいたじき)、高遣戸(たかやりど)などであっても、すごく素敵に聞こえます

(諸卿の座る場所に灯をつけてくださいと言うのに)「陳に夜の設けせよ」と言うのがすばらしい
天皇の御寝所に灯の準備をさせる時)「掻燈(かいともし)疾(と)うよ」なんて言うのがまたまたいい感じです

公事を司る公卿がその座所でてきぱきと指示を出している様子はいっそうスマートで
各役所の下の役人たちが、ちゃんとそれぞれに理解してる様子で手慣れた感じで仕事しているのもさすがと思うし、こんなに寒い夜中じゅうずっと、あちこちで居眠りしているのもなかなか素敵です

「内侍所の女官が鳴らす鈴の音はなかなかに優雅なものなんですよ」と、徳大寺太政大臣がおっしゃったということです


【原文】

衰へたる末の世とはいへど、猶九重の神さびたる有樣こそ、世づかずめでたきものなれ。

露臺(ろだい)、朝餉(あさがれい)、何殿、何門などは、いみじとも聞ゆべし。怪しの所にもありぬべき小蔀(こじとみ)、小板敷(こいたじき)、高遣戸(たかやりど)なども、めでたくこそ聞ゆれ。「陣に夜の設けせよ」といふこそいみじけれ。夜の御殿のをば、「掻燈(かいともし)疾(と)うよ」などいふ、まためでたし。上卿の、陣にて事行へる樣は更なり、諸司の下人どもの、したり顔になれたるもをかし。さばかり寒き終夜、此處彼處に睡り居たるこそをかしけれ。「内侍所の御鈴の音は、めでたく優なるものなり」とぞ、徳大寺の太政大臣は仰せられける。

 

検:第23段 第23段 おとろへたる末の世とはいへど 衰へたる末の世とはいへど

第二十二段 昔のものは立派、尊敬

なんでも昔のものは立派、尊敬できますね
反面、この頃のはやたらと下品になってるみたいにも思えます
木工職人のつくった美しい器ものだって、やっぱり昔のがいけてるように思いますわ

手紙の言葉遣いなんかも、昔の反古紙に書かれてるのがどれも素敵なんですよ
日常語も最近どんどん情けなくなっていくように思いますね
「昔は『車もたげよ』『火かがげよ』と言っていたのに、現代人は『もてあげよ』『かきあげよ』なんて略して言うし、『主殿寮人数たて』と婉曲に言うべきところを『松明をつけてして白くせよ』とか俗な言い方で言うし、宮中で『最勝王経』を講義する時に、天皇が講義を受けられる御座所のことを『後講の廬』と言わんとあかんのに『講廬』と短縮形で言ったりすんの、残念だよなー」と、あるご老人もおっしゃってたよ


----------訳者の戯言----------

また出ました、兼好法師の懐古主義、昔大好き話ですね。そして(当時の)現代をとことん否定。
ちょっと厳しすぎませんか。むしろ難癖つけてる感もなきにしもあらずです。
しかも自分の意見というよりも、ある老人が言ってた、とか、人のせいかよー。

いつの世の中でも、最近は言葉が乱れてあかんよなーという人がいますし、今の若いヤツはーっていう人がいるもんです。

それが如実にわかるのがこの段のおもしろいところですかね。


【原文】

何事も、古き世のみぞ慕はしき。今樣は、無下に卑しくこそなり行くめれ。かの木の道の匠のつくれる美しき器も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。

文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。たゞいふ詞も、口惜しうこそなりもて行くなれ。古は、「車もたげよ」「火掲げよ」とこそいひしを、今様の人は、「もてあげよ」「かきあげよ」といふ。「主殿寮人數だて」といふべきを、「立明し白くせよ。」と言ひ、最勝講なるをば、「御講の廬」とこそいふべきを、「講廬」と言ふ、口をしとぞ、古き人の仰せられし。

 

検:第22段 第22段 なに事も、古き世のみぞしたはしき 何事も古き世のみぞ慕はしき なに事も古き世のみぞしたはしき なに事も古き世のみぞ慕はしき なに事も、古き世のみぞ慕はしき

第二十一段 月を見ればなごみます

嫌なことがあっても何でも、月を見ればなごみます
ある人が「月ほど面白いものは無いでしょ」と言ったら、他の一人が「露のほうが風情があるよ」と言って争ってたけど、あれはなかなか面白かったですね
ま、言ってみればその時その時タイミングがよければ、何だっていい感じなんですよ

月や花はもちろんですし
風はほんと、人に風雅の心を気付かせてくれるもの
岩に砕けて清く水が流れる景色は、どんな時だって素晴らしいですしね

「中国の沅や湘の川は、常に東に流れ去っていく。それを愁う人のために留まることは、少しも無い」という詩を見ると、まじでしみじみと感じ入ってしまいます
竹林の七賢の一人である嵆康という人だって「山や谷川に遊んで、魚や鳥を見るのは楽しいね」と言ったわけだし
人里を離れて、水や草が清い所をさまよい歩くことほど、心が癒されるものはないですね

 

----------訳者の戯言----------

やっぱ自然が一番。
ところどころ知識をひけらかしてきますが、ご愛敬です。


【原文】

萬の事は、月見るにこそ慰むものなれ。ある人の、「月ばかり面白きものは有らじ」と言ひしに、またひとり、「露こそあはれなれ」と爭ひしこそ、をかしけれ。折にふれば何かはあはれならざらん。

月・花はさらなり、風のみこそ人に心はつくめれ。岩に碎けて清く流るゝ水のけしきこそ、時をもわかずめでたけれ。「沅・湘 日夜東に流れ去る。愁人の爲にとゞまること少時もせず」といへる詩を見侍りしこそ、哀れなりしか。嵆康も、「山澤にあそびて、魚鳥を見れば心樂しぶ」といへり。人遠く、水草きよき所にさまよひ歩きたるばかり、心慰むことはあらじ。

 

検:第21段 第21段 よろづのことは、月見るにこそ 万のことは月見るにこそ 万のことは、月見るにこそ

第二十段 何とかっていう世捨て人が

何とかっていう世捨て人が「この世になんにも束縛されることがない身の上からしたら、思うことといったら、ただ空を見て、ずっとこのままだったらいいよなーってことぐらいなんだよね」って言ったのには、ほんとにめちゃくちゃ共感するんだよね


----------訳者の戯言----------

私も激しく同意。


【原文】

某とかやいひし世すて人の、「この世のほだし もたらぬ身に、たゞ空のなごりのみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことにさも覺えぬべけれ。

 

検:第20段 第20段 なしがしとかや言ひし世捨人の 某とかやいひし世捨人の 某とかや言ひし世捨人の

第十九段 季節の移り変わりって

季節の移り変わりって、なんかしんみりした情緒があっていいんだよね

「風情があるのは絶対秋だよね」ってみんな言うし、それも一理あるんですけど、もっとワクワクするのは春、花が咲いて辺りが色づいていく頃じゃないですか
鳥の声なんかもすごく春っぽくなって、日差しものどかで、垣根の下草が萌えだす頃から徐々に春らしさがさらに深まってきて
霞がそこらじゅうに立ち込めて、桜もだんだん色づいてくるんだけど
なのにそんな時に限って、雨や風の日が続いて、心がそわそわするうちに散ってしまったりして

そんな感じで桜の木々の葉が青葉になっちゃうまで、何もかもが人の心を悩ませるってわけですよね

で、一般には橘が昔を思い出す花として有名だけど、それ以上に梅の花の匂いって、昔のことを思い出して切ない気持ちにさせられるものなんですよ
そんな風に、山吹が清らかに咲いてるのも、藤の花がぼんやりかすんでる様子も、どれもこれも、見過ごせない、っていうものばかりですね

「四月八日の灌仏会葵祭、そして若葉の梢が涼しそうに茂っていく、そのへんの時期って、しみじみ感や人恋しさが高まってめっちゃいいんだよ」と、ある人がおっしゃってたけど、ほんと、その通りなのよ
五月になって屋根にあやめを葺く端午の節句、六月の田植えの時期、水鶏(くいな)の鳴き声なんかもすごく哀愁があっていいんですよね
古くて質素なあばら家に夕顔の白い花が咲いてて、蚊遣り火をいぶしているのもなんとも風情があります
六月祓もいい感じですね

七夕まつりは、すごく上品で優美な行事
だんだん夜が冷え込んできて、雁が鳴いて渡ってくる頃、萩の下のほうの葉が黄色く色づいて、早稲の田を刈り取って干しているetc. こうやって集めるとやっぱり秋の情趣は多いですわなー
野分(台風)の次の朝なんかもすごく風情がありますしね

このまま続けたら、どれも源氏物語枕草子などで言い古されてることとおんなじじゃん!みたいになっちゃうけど、別に同じことを絶対に言うたらアカン、というもんでもないし
思ってることを言わないでいるとストレスもたまっちゃうから、筆の進むままにつまんない事書いてるだけで、破り捨てていいようなもんだし、人にお見せするようなものでもないんで別にいいのよ

さて、冬枯れの景色ですが、冬が秋に劣ってるなんてわけ全然ないでしょ

水ぎわの草に散った紅葉が集まってて、霜が降りてあたり一面が白くなってる朝、遣り水から水煙が立っているのはなかなかいい感じだよね
年も暮れてしまって、人がみんなあわただしくなってきた頃、そんな人びとの様子にも年の瀬ならでは情緒をすごく感じます
殺風景で眺める人もいないような月が寒々と澄んでいる十二月二十日過ぎの空も、哀愁に満ちていますしね

宮中で諸仏の名を唱える「御仏名」や荷前(のさき:天皇や皇族の陵に諸国から献上された初穂を奉納)で勅使が出立する行事なんかは、趣ある尊いもの
そして宮中行事がたくさん続々と、初春の忙しい時に次々と行われる様子も実はなかなかよくて、大晦日の追儺式から元旦の朝の四方拝まで続けられるのはすごく面白いんです

大晦日の夜、めっちゃ暗い中、松明を灯けて、夜中過ぎまで人の家の門を叩いて、走り廻って、何でか?大声で騒ぎ立てて、足が地につかないくらい走り回るんだけど、明け方にはさすがに音もしなくなってしまうのは、なんだかな、ゆく年の名残惜しいってか心寂しい感じがして、それがまたいいんですけどね

亡くなった人の霊魂が帰ってくる夜ってことで魂を祭る行事は、最近は都ではやらなくなったけど、東国では今もやることがあるんだって、それっていいよね

こうやって年が明けて行く空の様子、見た目は昨日と違うようには見えないけれど、年が変わると新鮮に感じるものなんだよね
大通りの様子を見たら、家に松飾りを立てて華やかで慶ばしい感じ! これまた素敵なんですよ


----------訳者の戯言----------

長い。


清少納言「マネすんなよ」

 

【原文】

折節の移り変わるこそ、物ごとに哀れなれ。

「物の哀れは秋こそまされ」と、人ごとに言ふめれど、それも然るものにて、今一きは心も浮きたつものは、春の景色にこそあめれ。鳥の聲などもことの外に春めきて、のどやかなる日かげに、垣根の草萌え出づる頃より、やゝ春ふかく霞みわたりて、花もやうやう氣色だつほどこそあれ、折しも雨風うちつゞきて、心あわたゞしく散りすぎぬ。青葉になり行くまで、萬にただ心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそおへれ、なほ、梅の匂ひにぞ、いにしへの事も立ちかへり戀しう思ひ出でらるゝ。山吹の清げに、藤のおぼつかなき樣したる、すべて、思ひすて難きこと多し。

「灌佛のころ、祭のころ、若葉の梢 涼しげに繁りゆくほどこそ、世のあはれも、人の戀しさもまされ」と、人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。五月、あやめ葺くころ、早苗とるころ、水鷄のたゝくなど、心ぼそからぬかは。六月の頃、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるもあはれなり。六月祓またをかし。

七夕祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒になるほど、鴈なきて來る頃、萩の下葉色づくほど、早稻田刈りほすなど、とり集めたることは秋のみぞおほかる。また野分の朝こそをかしけれ。言ひつゞくれば、みな源氏物語、枕草紙などに事ふりにたれど、同じ事、また、今更にいはじとにもあらず。おぼしき事云はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝ、あぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。

さて冬枯の景色こそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉のちりとゞまりて、霜いと白う置ける朝、遣水より煙のたつこそをかしけれ。年の暮れはてて、人ごとに急ぎあへる頃ぞ、またなくあはれなる。すさまじき物にして見る人もなき月の寒けく澄める、二十日あまりの空こそ、心ぼそきものなれ。御佛名・荷前の使立つなどぞ、哀れにやんごとなき、公事ども繁く、春のいそぎにとり重ねて催し行はるゝ樣ぞ、いみじきや。追儺より四方拜につゞくこそ、面白ろけれ。晦日の夜、いたう暗きに、松どもともして、夜半すぐるまで、人の門叩き走りありきて、何事にかあらん、ことことしくのゝしりて、足を空にまどふが、曉がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年のなごりも心細けれ。亡き人のくる夜とて魂まつるわざは、このごろ都には無きを、東の方には、猶することにてありしこそ、あはれなりしか。

かくて明けゆく空の気色、昨日に變りたりとは見えねど、ひきかへ珍しき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、花やかにうれしげなるこそ、また哀れなれ。

 

検:第19段 第19段 折節のうつりかはるこそ 折節の移り変るこそ