徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第百八段 少しの時間を惜しむ人っていない

少しの時間を惜しむ人っていないもんだよね
これは物事をよくわかってのことなのか、それとも何も考えずに愚かなだけなのか…
愚かで怠け者の人のために言うと、一銭は軽くっても、これを積み重ねたら、貧しい人をお金持ちにできるんですよね
だから商人が一銭を惜しむ心は、大切なんですよ
一瞬という短い時間は意識してなくたって、これをずっとずっと過ごし続けると、命を終える時がすぐやって来るんだよね

だから、仏教の修行をする人は、ずっと遠くに至る長い月日、その日々を惜しんではいけないんですよ
ただ今のこの思いが、空しく過ぎ去ってしまうことを惜しむべきなんだよね
もし人が来て、私の命が明日必ず失われるだろうよって告知したら、今日という一日が暮れるまでの間、何を願い、何をするだろう
我々が生きている今日という一日が、どうしてその(明日死んでしまう)一日と違うっていうんだろうか
(違わないよね、だから、大切にしなくちゃいけないんだよね)

一日のうちでも、飲食、トイレ、睡眠、おしゃべり、移動なんかの、やむを得ないことで結構な時間を費やすものなんだ
それ以外の時間なんてそんなに無いけど、そんな中で、さらに無益なことをして、無益なことを言い、無益なことを考えて時を過ごすだけでなく、いろいろと日を浪費し月を経過して一生を送るって、まったく愚かなことなんだよ

(中国南北朝時代文人)謝霊雲は、法華経の翻訳をしてたんだけど、心の中では常に時勢の成り行きをうまく利用して出世してやろうと思ってたので、(中国浄土教創始者)恵遠は、彼が念仏結社の白蓮社の仲間に加わることを許さなかったんですよ
ほんの短い間でも、一瞬という短い時間を惜しむ心が無い時は、死人と同じだよね
一瞬を何のために惜しむかといえば、内には雑念を無くし、外には俗世の事との交わり無くし、悪を止めようとする人は止め、善を行おうとする人は行えということなんだよ


----------訳者の戯言---------

いらんことせんと、一瞬一瞬時間を無駄にせず生きろということですね。
私ですね、スミマセン。


【原文】

寸陰惜しむ人なし。これよく知れるか、愚かなるか。愚かにして怠る人の爲にいはば、一錢輕しといへども、これを累ぬれば、貧しき人を富める人となす。されば、商人の一錢を惜しむ心、切なり。刹那覺えずといへども、これを運びてやまざれば、命を終ふる期、忽ちに到る。

されば、道人は、遠く日月を惜しむべからず。ただ今の一念、空しく過ぐることを惜しむべし。もし人來りて、わが命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るゝ間、何事をか頼み、何事をか營まむ。我等が生ける今日の日、何ぞその時節に異ならん。一日のうちに、飮食・便利・睡眠・言語・行歩、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。その餘りの暇、いくばくならぬうちに無益の事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟して、時を移すのみならず、日を消し、月をわたりて、一生をおくる、最も愚かなり。

謝靈運は法華の筆受なりしかども、心、常に風雲の思ひを觀ぜしかば、惠遠・白蓮の交はりをゆるさざりき。しばらくもこれなき時は、死人に同じ。光陰何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止まむ人は止み、修せむ人は修せよとなり。

 

検:第108段 第108段 寸陰惜しむ人なし

第百七段 女性が話しかけたときに

女性が話しかけたときに、とっさにいい感じに返せる男は、滅多にいませんってことで、亀山院の時代、お馬鹿な女性スタッフたちが、若い男子が来るたびに「もうホトトギスの鳴き声はお聴きになりました?」って質問して、どんなもんか試してたんだけど、何とかの大納言とかいう人は「取るに足らない私ですから、まだ聴けてないんです」とお答えになったのね
堀河内大臣殿は「岩倉で聴きましたでしょうかね」とおっしゃったのを「これは悪くないよね。『取るに足らない私』なんてのはダメダメだよ」などと品定めし合ってたのよ

すべての男子は、女子に笑われないように育て上げるべきだといいますね
浄土寺前関白殿は、幼い頃、安喜門院(後堀河天皇の皇后)がよく教え差し上げられたので、言葉づかいなどが立派なんだよ」と、人はおっしゃったらしいです
山階左大臣殿は「身分の低い下女に見られるのでも、すごく恥ずかしくて、気遣いしてしまいます」っておっしゃってたよ
女のいない世の中だったら、服も冠も、どうでもよくって、取り繕う人なんかいないだろうよね

こんなに男の人に気を遣わせる女というのは、いったいどれだけ立派なんだろう、とは思うんだけど、女の本性っていうのはねじ曲がってるんですよね
我が強くて、強欲きわまりなくて、ものの道理がわかってなくて、ただ迷いがちですぐに気が変わり、言葉巧みだけど、たいして差支えないようなことでも質問したら答えず、かといって相応のたしなみがあるかというと、またしょうもないことまで、聞いてもないのに喋りまくるし、深く考えた上で表向きを飾ることは、男の知恵にも勝るのかなと思ってたら、その事が後でバレちゃうことはわかってないんです
素直でなく、しかも拙いものは女ですよ
女子の思うとおりに行動してよく思われようとするなんてのは、残念なことなんだよ
てなわけなんだから、何ゆえ女に気を遣う必要なんてある?
でももし賢女というのがいたとしても、それも何か鬱陶しいし、ひいちゃうかもしれないよな
ただシンプルに心の迷うまま女とつきあったら、優しくも、魅力的にも、思えるはずなんだよね


----------訳者の戯言---------

昔もおんなじ。

そういえば、どぶろっくの歌で「女っつーのは」っていうのがありました。
内容は全然違います。

堀河内大臣殿というのは堀川具守のことです。
実は第九十九段検非違使庁の古い「唐櫃」を新しいのに変えさせようとして止められた太政大臣堀川基具の長男です。
兼好は若い頃、この堀川具守に家司として仕えていました。
「無難=悪くない」っていうのは、素朴に、ありのままに答えた具守に対する女子たちの誉め言葉であり、兼好もそれを好意的に書いているのですね。


【原文】

女の物いひかけたる返り事、とりあへずよき程にする男は、有りがたきものぞとて、龜山院の御時、しれたる女房ども、若き男達の參らるゝ毎に、「郭公や聞き給へる」と問ひて試みられけるに、某の大納言とかやは、「數ならぬ身は、え聞き候はず」と答へられけり。堀河内大臣殿は、「岩倉にて聞きて候ひしやらん」と仰せられけるを、「これは難なし。數ならぬ身むつかし」など定め合はれけり。

すべて男をば、女に笑はれぬ樣におほしたつべしとぞ。「淨土寺の前關白殿は、幼くて、安喜門院のよく教へまゐらせさせ給ひける故に、御詞などのよきぞ」と人の仰せられけるとかや。山階左大臣殿は、「怪しの下女の見奉るも、いと恥しく、心づかひせらるゝ」とこそ、仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣紋も冠も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ。

かく人に恥ぢらるゝ女、いかばかりいみじきものぞと思ふに、女の性は皆ひがめり。人我の相 深く、貪欲甚だしく、物の理を知らず、たゞ迷ひの方に心も早く移り、詞も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかと見れば、また、あさましき事まで、問はずがたりに言ひ出す。深くたばかり飾れる事は、男の智慧にも優りたるかと思へば、その事、あとより顯はるゝを知らず。質朴ならずして、拙きものは女なり。その心に隨ひてよく思はれんことは、心 憂かるべし。されば、何かは女の恥かしからん。もし賢女あらば、それも物うとく、すさまじかりなん。たゞ迷ひを主としてかれに隨ふ時、やさしくもおもしろくも覺ゆべきことなり。

 

検:第107段 第107段 女の物言ひかけたる返事、とりあへずよきほどにする男は 女の物言ひかけたる返事とりあへずよきほどにする男は

第百六段 高野山の証空上人が京へ上った時

高野山の証空上人が京へ上った時に、細い道で馬に乗っている女にすれ違う時に、馬を引いてる男が誤って引いて、上人の馬を堀に落としてしまったんです

上人はすごく腹を立て、責めて言いました「これはひどい乱暴ですよ。仏の四種類の弟子はだな、出家した男の僧より出家した尼僧は劣り、出家した尼僧より在家の男の僧は劣り、在家の男の僧より在家の尼僧は劣るんだ。こんな在家の女ごときの分際で、出家した僧を堀へ蹴り入れさせるとは、前代未聞の悪行だぜ」と言ったところ、馬を引いてる男は「何をおっしゃってるのか、全然わかりません」と言うので、上人はもっと息まいて「何を言うか! 修行もしてない無学な男が」と声を荒げて言ったんだけど、めちゃひどい暴言、言うてしもたがなーって思った感じで、馬を引き返してお逃げになりましたとさ

尊い言い争いだったってことでしょうねw


----------訳者の戯言---------

ふと我に返ったら、めっちゃ恥ずい。
そういう人、いますよねー。

だいたい、僧侶たる方が激昂しやすいってダメでしょう。

最後の一行が効いてます。


【原文】

高野の證空上人、京へ上りけるに、細道にて、馬に乘りたる女の行きあひたりけるが、口引きける男、あしく引きて、聖の馬を堀へ落してけり。

聖、いと腹あしく咎めて、「こは希有の狼藉かな。四部の弟子はよな、比丘よりは比丘尼は劣り、比丘尼より優婆塞は劣り、優婆塞より優婆夷は劣れり。かくの如くの優婆夷などの身にて、比丘を堀に蹴入れさする、未曾有の惡行なり」といはれければ、口引きの男、「いかに仰せらるゝやらん、えこそ聞き知らね」といふに、上人なほいきまきて、「何といふぞ。非修非學の男」とあらゝかに言ひて、きはまりなき放言しつと思ひける氣色にて、馬引きかへして逃げられにけり。

尊かりける諍いなるべし。

 

検:第106段 第106段 高野証空上人、京へのぼりけるに 高野証空上人京へ上りけるに

第百五段 北側の日陰にまだ消えないで残った雪が

家の北側の日陰にまだ消えないで残った雪が、すごく凍ってて、さし寄せた車の轅(ながえ)にも霜がとてもきらめいて、有明の月(夜が明けても残っている月)はくっきりしてるけど、曇りがまったくないというわけではない、人も来ない御堂の廊下に、普通ではないと見える男が、女となげしに腰掛けて、物語する様子で、なんだか話が尽きる風でもありません

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表情やルックスなんかもすごくよくて、何とも言えない匂いがさっと香るのは、いい感じだよね
声なんかが、途切れ途切れ聞こえるのもいいもんです


----------訳者の戯言---------

まず「なげし(長押)」ですが、よく言われるのは引き戸の上の部分、鴨居の上です。
柱に垂直(つまり水平)に渡した構造材、というのが一般的な意味合いですね。
鴨居っていうのは、引き戸の上のレールのことです。敷居が下のレールです。

ただし、長押っていうのは、柱同士を水平方向につないで外側から打ち付けられてる構造材全般を言いますから、上部にも下部にもあります。地面に沿うようなのもあるようです。
ここで出てきたのは、下の方、つまり敷居の下あたりに渡された「なげし」なんでしょうね。
外廊下にそれがちょっと出ているイメージでしょうか。

この段は前段と比べると、具体性があまりないですね。さほど細かくはないです。
ということで、こっちは想像、兼好の空想だと思います。
こうだったらいいな、という感じでしょうか。

私の勝手な想像ですが、前段(第百三段)で(自分の?)結構リアルなこと書いてしまったもんだから、ごまかそうとしてるようにも思うんですよね。


【原文】

北の家陰に消え殘りたる雪の、いたう凍りたるに、さし寄せたる車の轅も、霜いたくきらめきて、有明の月さやかなれども、隈なくはあらぬに、人離れなる御堂の廊に、なみなみにはあらずと見ゆる男、女と長押に尻かけて、物語するさまこそ、何事にかあらん、盡きすまじけれ。

かぶし・かたちなど、いとよしと見えて、えもいはぬ匂ひの、さと薫りたるこそ、をかしけれ。けはいなど、はづれはづれ聞こえたるも、ゆかし。

 

検:第105段 第105段 北の屋かげに消え残りたる雪の 北の屋陰に消え残りたる雪の

第百四段 荒れた宿、人目につかない場所で

荒れた宿、人目につかない場所で、ある女性が世間から身を隠さないといけない事情があった時、することもなくただ引き籠ってたんだけど、ある男の人が、夕月が出て光もぼんやりした夜に、ひっそりと尋ねて行かれたところ、犬が騒々しく吠えたてたもんだから、お世話役の女性が出てきて「どちらからですか?」って言ったら、すぐにお招き入れられたんですね
心細い感じの風情なので、いったいどんなふうにお過ごしなんだろうと、すごく胸がもやもやする、そんなところです
みすぼらしい板敷にしばらくはお立ちになってたんだけど、落ち着いた雰囲気で、でも若々しい感じの声で「こちらへ」って言う人がいて、ちょっと開け閉めしにくそうな引き戸からお入りになったのね

中の様子は、そんなに粗野な感じでもなく、心惹かれる雰囲気で、火は向うのほうで少しだけ灯ってるけど、きれいな調度などが見えて、急ごしらえじゃない香の匂いもあって、とても好ましい感じで暮らしてる様子です
「門をしっかり閉めてくださいね。雨が降りますから。お車は門の下に。お供の方はどこそこへ」と言うと、「今夜こそは安心して寝られるでしょうね」と、ごくごく小さな声でささやいてるんだけど、狭い部屋なのでわずかに聞こえてはくるんですよ

さて、近況なんかをていねいにお話しになってたら、まだ夜も明けないのに鶏が鳴きました
昔のことから将来のことまで、いろいろこと細かく語られてると、この夜は鶏が派手な声でしきりに鳴くもんだから、もう夜が明けるのかなあ?とお聞きになって、でも深夜に急いで帰らなければならないような場所でもないので、少しゆっくりしていらっしゃったんだけど、さすがに戸の隙間が白くなってきたから、忘れがたい言葉をかけて、お宿を出たとき、梢も庭もめったにない風情で青々と広がった初夏(陰暦四月頃)の夜明けが、優美で印象深くて、それを思い出して、今も(ここを通る時には)大きな桂の木が見えなくなるまで、目を離さずお見送りするそうなのです


----------訳者の戯言---------

めちゃくちゃ詳しく書いてあるし。見たのか!?
だとしたら、覗き。

というわけで、これ、もしかしたら自分のことなんじゃないかとも思う。

空想だけで書いたとしたら、それはそれですごいけど。


【原文】

荒れたる宿の、人目なきに、女の憚る事あるころにて、つれづれと籠り居たるを、ある人、とぶらひ給はんとて、夕月夜のおぼつかなき程に、忍びて尋ねおはしたるに、犬のことごとしく咎むれば、下衆女の出でて、「いづくよりぞ」と言ふに、やがて案内せさせて入り給ひぬ。心ぼそげなる有様、いかで過すらんと、いと心ぐるし。あやしき板敷に、しばし立ち給へるを、もてしづめたるけはひの、若やかなるして、「こなた」と言ふ人あれば、たてあけ所 狭げなる遣戸よりぞ入り給ひぬる。

内のさまは、いたくすさまじからず。心にくく、灯はかなたにほのかなれど、ものの綺羅など見えて、俄かにしもあらぬ匂ひ、いとなつかしう住みなしたり。「門よくさしてよ。雨もぞふる。御車は門の下に、御供の人はそこそこに」と言へば、「今宵ぞやすき寝は寢べかめる」と、うちさゝめくも、忍びたれど、ほどなければ、ほの聞ゆ。

さて、この程の事ども、細やかに聞え給ふに、夜ぶかき鳥も鳴きぬ。來しかた行くすゑかけて、まめやかなる御物語に、この度は鳥も花やかなる聲にうちしきれば、明け離るゝにやと聞きたまへど、夜深く急ぐべきところの様にもあらねば、少したゆみ給へるに、隙白くなれば、忘れ難きことなど言ひて、立ち出で給ふに、梢も庭もめづらしく青みわたりたる卯月ばかりの曙、艷にをかしかりしを思し出でて、桂の木の大きなるが隠るゝまで、今も見送り給ふとぞ。

 

検:第104段 第104段 荒れたる宿の、人目なきに 荒れたる宿の人目なきに

第百三段 側近の者たちがなぞなぞを

後宇多法皇の御所で、側近の者たちがなぞなぞを作って解いていたところに、医師(くすし)の忠守が来たんだけど、侍従大納言の公明卿が「わが国のものとも見えないタダモリって?」となぞなぞにしたのを「唐瓶子(中国風の徳利)」と解いて笑い合ったので、腹を立てて退出してしまいました


----------訳者の戯言---------

これ、外国人差別ですね。
ある意味、告発と言えるかもしれません。

まず、前提として知っておきたいのが、医師の忠守は中国から帰化した渡来人だったということです。今で言うところの中国系日本人ですね。
瓶子はお酒とかを入れる、今で言うととっくりとか酒瓶という感じでしょうか。
読み方は「へいし」「へいじ」とのことです。

で、さらに予備知識。
平家物語」に平忠盛という人が出てきますね。
忠盛(ただもり)は、かの平清盛の父親で、伊勢平氏の人でした。
この平忠盛、まだ朝廷に出入りし始めたころには「伊勢の瓶子は素瓶(酢瓶)なり」と陰口を言われてたそうです。鳥羽上皇の前で舞を披露した際にも、公卿たちに「酢瓶の瓶子」と囃し立てられたとも書かれています。

お気づきとは思いますが、明らかに瓶子(へいし)は平氏(へいし)を揶揄していますね。
平忠盛は斜視(眇=すがめ)だったらしく、また「酢瓶の瓶子」は伊勢の特産品だったとか。また、素瓶も酢瓶も、どっちも安物を入れる瓶として、身分が低いことを意味したりもします。

つまり、公卿たちは平忠盛を馬鹿にしまくっているのです。
出身地、身分、容貌と差別のオンパレードですね。

そして、その「タダモリ」にかけて、今回、忠守(ただもり)という中国出身の帰化人を、またまた馬鹿にする公卿たち。

ただ、これを笑うためには「平家物語」の逸話を知っていなければなりません。
同席している人々、全員がです。
つまり、それなりの教養があってしかるべき人たちなのに、差別をすることが恥ずかしいことである、ということは知らない無教養。

このことからしても、この段は私の感覚からすると、ちょっと気分が悪い内容です。
ま、法皇の側近なんていっても、かなり程度の低い人たちだったということですね。
もしかすると、兼好法師もそう思ったのかもしれません。


【原文】

大覺寺殿にて、近習の人ども、なぞなぞをつくりて解かれけるところへ、醫師忠守 參りたりけるに、侍從大納言公明卿、「我が朝のものとも見えぬ忠守かな」となぞなぞにせられたりけるを、「唐瓶子」と解きて笑ひあはれければ、腹立ちて退り出にけり。

第百二段 又五郎という男を先生に

尹大納言の光忠入道が、追儺式の進行管理担当の役員をお務めになった時、洞院右大臣殿に式の順序について教えていただくようをお願いしたんだけど「又五郎という男を先生にするよりほかにいい考えはないですよ」と、おっしゃたのね

その又五郎っていうのは、年老いた警護係員なんだけど、宮中の儀式のことをすごくよく知っている者でした
近衛殿が所定の位置に着席なさる時、軾(ひざつき=膝の下に敷く敷物)を忘れて、進行係を呼んだ時に、(又五郎そばで)火をたいてたんだけど「進行係よりも、まず軾をお敷きになるべきではないでしょうか」と、こっそりつぶやいたのは、すごく気が利いてましたね


----------訳者の戯言---------

そう、意外なところにインテリジェンスのある人や知恵者がいたりするんですよ。


【原文】

尹大納言光忠卿、追儺の上卿を務められけるに、洞院右大臣殿に次第を申し請けられければ、「又五郎男を師とするより外の才覺候はじ」とぞ宣ひける。かの又五郎は、老いたる衞士の、よく公事に馴れたる者にてぞありける。近衞殿 著陣したまひける時、膝突を忘れて、外記を召されければ、火たきて候ひけるが、「まづ膝突をめさるべくや候らん」と、忍びやかに呟きける、いとをかしかりけり。

 

検:第102段 第102段 尹大納言光忠入道、追儺の上卿をつとめられけるに

第百一段 大臣就任式の節会

ある人が、大臣就任式の節会(式後の宴会)のMCをつとめた時、担当役人の持っていた帝の公式文書を受け取らずに、ステージに上がってしまいました
とんでもないミスなんだけど、戻って取ってくるわけにもいかず、困られてたんで、六位の外記康綱が衣かづき姿の女官に頼み、その文書を持たせて、こっそりと差し上げたんですね
お見事でした


----------訳者の戯言---------

本題に全然関係ないんですけど、そういえば「きぬかづき」は第七十段にも出てきましたよ。


【原文】

ある人、任大臣の節會の内辨を勤められけるに、内記のもちたる宣命を取らずして、堂上せられにけり。きはまりなき失禮なれども、立ち帰り取るべきにもあらず、思ひ煩はれけるに、六位の外記康綱、衣被の女房をかたらひて、かの宣命をもたせて、忍びやかに奉らせけり。いみじかりけり。

 

検:第101段 第101段 或人、任大臣の節会の内弁を勤められけるに 或人任大臣の節会の内辨を勤められけるに 或人任大臣の節会の内弁を勤められけるに

第百段 宮中で水をお飲みになる時

久我太政大臣は、宮中で水をお飲みになる時、スタッフが素焼きの器を持ってきたんだけど「『まがり』を持ってきて」といって「まがり」で召し上がりました


----------訳者の戯言---------

「まがり」がよくわからないんで、調べてみたんですけどわかりませんでした。ネットでですけどね。

焼物、陶器でないとすれば、木、竹、金属、石などが考えられます。
どれもありそうですが、石器ではないでしょうね、たぶん。語感からしても。
石だけは曲がりそうにないですしね。
少なくとも「まがる」ものだと思いますし、そうあってほしい。
とは言え、これ以上は素人の私が考えてもどうなることでもないですけどね、はい。

いろいろな訳を見ていると、柄杓としてたり、お椀としていたりもしますが、不詳となっている場合も多いですね。
ご存知の方はぜひお教えください。


【原文】

久我の相國は、殿上にて水を召しけるに、主殿司、土器を奉りければ、「まがりを參らせよ」とて、まがりしてぞ召しける。

 

検:第100段 第100段 久我相国は殿上にて水を召しけるに

第九十九段 何をするにも贅沢がお好き

堀川太政大臣堀川基具)は男前でお金持ちで、何をするにも贅沢がお好きだったのね
次男の基俊卿を大理(検非違使庁の長官)にして庁の業務を行われた時に、検非違使庁の庁内にある唐櫃が見苦しいってことで、きれいに作り直すようおっしゃったんだけど、この唐櫃は大昔から伝わってて、いつ作られたかもわからず数百年も経ってるのよ
代々伝えられてきた公用の器物は、古く傷んでるほうが価値があるんだから、簡単には作り直せないってことを昔からのしきたりに詳しい役人たちが申したところ、それはやめることになりました

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唐櫃 ※本文に出てくるものと同一ではありません

 

----------訳者の戯言---------

太政大臣堀川基具という人は、実は兼好法師が出家する前に仕えていた堀川具守の父です。
その堀川具守の弟が、今回の段にちらっと出てきた基俊卿です。
言ってみれば、兼好は堀川家シンパのはずなんですが、今回は父・堀川基具のちょっと恥ずかしい話を遠慮なく書いてしまってます。
この辺が、兼好らしいといえば、らしいんでしょうか。


【原文】

堀河の相國は、美男のたのしき人にて、その事となく過差を好み給ひけり。御子 基俊卿を大理になして、廳務を行はれけるに、廳屋の唐櫃見苦しとて、めでたく作り改めらるべきよし仰せられけるに、この唐櫃は、上古より傳はりて、その始めを知らず、數百年を經たり。累代の公物、古弊をもちて規模とす。たやすく改められ難きよし、故實の諸官等申しければ、その事やみにけり。

 

検:第99段 第99段 堀川相国は、美男のたのしき人にて 堀川相国は美男のたのしき人にて