徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第二百二十段 鐘の音は、黄鐘調であるべき

「何ごとにおいても田舎は、賤しくて、粗野なんだけど、四天王寺舞楽だけは都のと比べても恥ずかしくないですよねー」
って言ったら、四天王寺雅楽演奏家が申しましたのは、
「うちの寺の楽は、ピッチ(基準音)をしっかり正確に示すことによって楽器のチューニングが揃ってるので、そこが他よりもすぐれてるかと。何でかって言うと、聖徳太子の時代のピッチが現存してるのを、今も基準にしてるんですね。それが例の六時堂の前の鐘なんです。その音がまさに黄鐘調(の主音)なんですね。ただ気温によって上がり下がりがあるので、二月の涅槃会(旧暦2月15日)から精霊会(旧暦2月22日)までの間の音から基準音が示されます。秘伝のことです。この一つの音でもって、どの楽器もチューニングするんです」
とのことだった
だいたい鐘の音は、黄鐘調(の主音)であるべきだよ
これは無常を感じさせる調子であり、祇園精舎の無常堂の鐘の音なんだ
西園寺の鐘を黄鐘の音が鳴るよう鋳造しようとして、何回も鋳直したんだけど、うまくいかなかったんで、遠い国から探し出してきたんだよね
浄金剛院の鐘の音も、また黄鐘なのだ


----------訳者の戯言---------

今回も兼好法師のものしり話です。

まずひと言言っておきたいんですけど、兼好、田舎者を馬鹿にするんですよね、いつも。
感じ悪いです。

さて気を取り直して音楽のお話です。
そういえば呂、律という音楽の話が第百九十九段でも出てきました。

ご存じのとおり、洋楽ではたいていA、所謂ハ長調のラをチューニングの基準音にします。
あの、オーケストラのコンサートとかで演奏前に最初に全員がギーギー、パッパラパー、ピーヒョロ鳴らしてる音です。
指揮者が来るとピタッと止まるやつですね。

あれは、通常はオーボエからコンサートマスター(バイオリンのトップ)がA(アー)音をもらって、コンサートマスターから全員にA音を配るというシステム。
あれ、オーボエファゴットがチューニングできない楽器だからなんですね。
ピアノコンツェルトの場合はピアノに他の楽器が合わせます。
チェンバロなんかもそうですけど鍵盤楽器もその場ではチューニングできませんから、鍵盤が入るとそっちから音を貰うわけです。

そういやシロフォンとか木琴などの打楽器もチューニングできません。
トライアングルとか、鈴とかカスタネット、シンバルとかもですね。
前もってできるだけ合ったものを用意するんでしょう。
ティンパニーとかドラムなんかはもちろんチューニングします。
言い出すとキリがないですね、話がそれました。すみません。

もちろんジャズやロックでも基準ピッチは同じAです。
最近はデジタルのチューナーがあったり、チューナー内蔵の楽器もあったりで便利になりました。
ちょっと前まではやはりキーボードのAに合わす感じだったでしょうか。
弦楽器をソロやるときとか家で個人練習したりの時はピッチパイプを使ったり、音叉を使いましたね。
現在の洋楽ではA音は440Hzだそうで、音叉はこの音が出ます。

でも、440Hzというのも絶対的なものではなく、オーケストラによって違ったり、時代によっても多少異なるらしいです。

今回出てきた「黄鐘」というのが日本音楽における音の名前であり、そしてこの音を主音にした「調=キー」が「黄鐘調」だと理解できます。
調べてみると、この「黄鐘」という音も、洋楽で言うところのA、つまりラの音に近いようです。

単音「黄鐘」ならAとかラですが、キー「黄鐘調」ならイ短調とかAマイナーなどと言うのと同じですね。
ただ、この段の話題から考えれば、ほぼ「黄鐘」の「単音、ピッチ」のことを言ってるように思います。
ですから、兼好法師が原文で「黄鐘調」「黄鐘調」と何回も書いてるのはおそらく間違い、というか意味合いとしては「黄鐘調の主音」と言いたいところなんでしょう。

もちろん、その音そのものに無常を感じさせる何かがあったのかもしれません、文中で「これ無常の調子」なんて書いてます。
ただ、この「調子」という言葉が曲者で、「調子=ピッチ」ともとれますし、「調子=調=キー」とも理解できますから、読み方によっては、ここはキーとしての「黄鐘調(イ短調?=Aマイナー?)」のことを示唆してるのかもしれません。
短調だとしたら、憂いがありますしね。

さて、いろいろ余談を含めて書いてきましたが、ざっくりと本段を要約すると、日本の雅楽では「黄鐘」をチューニングの基準音にしていて、さらにこの音を主音にした「黄鐘調」が主流であり、で、この無常を感じさせられる音「黄鐘」が、天王寺をはじめいくつかの寺院の鐘の音にあって、そのルーツが祇園精舎の鐘にあるんだ、ということなのでしょう。

ただ、厳密に言うと洋楽のAが440Hzなのに対し、「黄鐘」は430Hzです。
私のような素人が聴いても判別できないでしょうけどね。

ところで、祇園精舎ですが、あの平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声~」に出てくる、あの祇園精舎です。
インドの北部の都市に今もあるにはあるみたいですけど、跡地がほぼ公園になってるらしい。
豆知識なんですが、実はここの鐘って玻璃(ガラスまたは水晶)製だったらしいです。金属じゃなかったのね。
だから、そんなにでかくなかったんじゃないかと思われます。
水晶もそんな大きなのはなかなか出ないでしょうし、工作も難しいので、やっぱり(当時の)ガラスではないかと考えられてるようですね。

私、あの平家物語の冒頭のイメージを、ゴォォ~ンとなる梵鐘の荘厳な感じだとずっと思ってましたが、どうやら全然違っていたようですね。
たしかに430Hzの音を出すには、あの私の知ってるお寺の大きな梵鐘では無理があります。
私の持っている音叉(440Hz)であらためて聴いても、クィィィィ~~ンと結構高く響く感じ。

結構、ショックです。


【原文】

「何事も邊土は、卑しく頑なれども、天王寺の舞樂のみ、都に恥ぢず」といふ。天王寺伶人の申し侍りしは、「當寺の樂は、よく圖をしらべ合せて、物の音のめでたく整ほり侍ること、外よりも勝れたり。ゆゑは太子の御時の圖、今にはべる博士とす。いはゆる六時堂の前の鐘なり。そのこゑ、黄鐘調の最中(もなか)なり。寒暑に從ひて上り・下りあるべきゆゑに、二月 涅槃會より聖靈會までの中間を指南とす。秘藏のことなり。この一調子をもちて、いづれの聲をもとゝのへ侍るなり」と申しき。

 およそ鐘のこゑは黄鐘調なるべし。これ無常の調子、祇園精舍の無常院の聲なり。西園寺の鐘、黄鐘調に鑄らるべしとて、あまたたび鑄替へられけれども、かなはざりけるを、遠國(をんごく)よりたづね出されけり。法金剛院の鐘の聲、また黄鐘調なり。


検:第220段 第220段 何事も辺土は、賤しく、かたくななれども 何事も辺土は、卑しく頑なれども 何事も辺土は、賤しく、頑なれども

第二百十九段 横笛の五の穴は

四条黄門がおっしゃるには「(豊原)竜秋は、笙の道においては最高レベルのプレイヤーだよ。先日来て言うには、『考えが浅くて、きわめて不躾な事ではありますけど、横笛の五の穴は、ちょっとワケわからんとこがある、と、秘かにそう思ってます。それはなんでかっていうと、【干】の穴は平調、【五】の穴は下無調です。その間に勝絶調を隔ててます。【上】の穴は双調、次に鳧鐘調を置いて、【夕】の穴は黄鐘調です。その次に鸞鐘調を置いて、【中】の穴は盤捗調、【中】と【六】の間に神仙調があります。このようにそれぞれの穴と穴の間にみんな一つの音を挟んでますが、【五】の穴だけが、【上】との間に調子を持たずに、しかも間隔は他の穴の間隔と同じ長さなので、その音が不快なんです。なので、この穴を吹く時は、必ず口を離します。ちゃんと離さない時は、他の楽器とハモりません。うまく吹ける者はなかなかいないんです』と申したんだ。すごく思慮深くて、ほんとうに興味深いね。『先輩が後輩を畏れる』っていうのは、こういうことだよね」ってことだったの

別の日に(大神)景茂が申しましたのは「笙は、調律を終えて持てば、後はただ吹くだけです。笛は、吹きながら、吹き方によって調べを整えていくものですから、穴ごとに、口頭で教わったことをベースに天性のセンスを融合して、パッションで演奏するということ、それは五の穴だけに限りません。絶対に口を離すもんだって決まっているわけではないんです。下手に吹けば、どの穴だって不快な音になります。上手な者はどの穴でもうまくハモらせます。音程が他の楽器とあわないのは、人的ミスであって、楽器の欠陥ではありません」ということだったよ


----------訳者の戯言---------

そもそも竜秋って人は「笙」の専門家なのに、「横笛」のことを言ってるんですね。
マルチプレイヤーだったのかもしれません。
同じ管楽器のプレイヤーとして、ある程度はできたのしょう。
名手と言われた人らしいですから。
しかも理論派な感じです。

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↑笙です

対して、大神景茂っていうのは、これまた横笛の名人だったらしいです。
横笛のスペシャリストからすると、「笙」っていうのはチューニングしちゃえば後は譜面通り吹くだけでしょ、と。
笙はリード楽器ですけど、鍵盤楽器に近いイメージなんでしょうね、彼的には。デジタル的というか。
横笛は吹き方なのよ、センスとか、そのセッションの時の間合いとか、他のメンバーとの呼吸とか、みたいなこと言ってるんですね。
アナログ的でもありますし、天才肌なイメージです。

さて、黄門というのは中納言のこと。唐名でこう言ったようです。
つまり水戸黄門の黄門も中納言のことなんですね。
今回出てきた四条黄門(中納言)というのは藤原隆資という人のことらしい。


【原文】

四條黄門命ぜられて曰く、「龍秋は道にとりてはやんごとなき者なり。先日來りて曰く、『短慮の至り、極めて荒涼の事なれども、横笛の五の穴は、聊か訝かしき所の侍るかと、ひそかにこれを存ず。そのゆゑは、干の穴は平調、五の穴は下無調なり。その間に勝絶調をへだてたり。上の穴雙調、次に鳧鐘調をおきて、夕の穴、黄鐘調なり。その次に鸞鏡調をおきて、中の穴盤渉調、中と六との間に神仙調あり。
かやうに間々にみな一律をぬすめるに、五の穴のみ、上の間に調子をもたずして、しかも間をくばる事ひとしきゆゑに、その聲不快なり。さればこの穴を吹くときは、かならずのく。のけあへぬときは、物にあはず。吹き得る人難し』と申しき。料簡のいたり、まことに興あり。先達後生を恐るといふ事、この事なり」と侍りき。

他日に景茂が申し侍りしは、「笙は調べおほせてもちたれば、たゞ吹くばかりなり。笛は、吹きながら、息のうちにて、かつ調べもてゆく物なれば、穴ごとに、口傳の上に性骨を加へて心を入るゝ事、五の穴のみにかぎらず。偏にのくとばかりも定むべからず。あしく吹けば、いづれの穴も快からず。上手はいづれをも吹きあはす。呂律のものにかなはざるは、人の咎なり。器の失にあらず」と申しき。


検:第219段 第219段 四条黄門命ぜられて言はく 四条黄門命ぜられて云はく

第二百十八段 狐は人に噛みつくものである

狐は人に噛みつくものである
堀川家のお屋敷で、スタッフが寝ている時に足を狐に噛まれたんだ
仁和寺では夜、本堂の前を通る下級の僧侶に、狐が三匹飛びかかって噛みついたので、刀を抜いてこれを防ぎ、その間に狐二匹を突いたのね
で、一匹は突き殺したの
でも二匹は逃げて行ってしまったんだ
法師はいろんなところを噛まれながらも、大事には至らなかったよ


----------訳者の戯言---------

舎人(とねり)というのは、皇族や貴族に仕えて警備や馬、牛車などの担当、雑用をするスタッフです。

キツネに噛まれるって、そもそも人間のほうに何か問題あるんじゃないかと思いますけどね。
たとえばテリトリーを侵してるとかね、人の方が。虐待したとか。
よほど食糧がないとかですね。
何もしてないのにキツネは襲わないでしょう? 普通。

堀川家はもう何度も出てきました。
兼好法師が出家する前、仕えていた家です。
第九十九段検非違使庁の古い唐櫃を変えさせようとした人、第百七段で女子たちに「無難ね」と褒められた人、第百六十二段で池の鳥を虐殺した僧を捕らえて罰した長官など、おなじみですね。

仁和寺のほうも、徒然草ではおなじみです。
仁和寺の僧侶の中にはとんでもない人、興味深い人がいろいろといたようで。
第五十二段では石清水八幡宮を参拝しようとした僧侶、第五十三段で足鼎っていう鍋みたいなのを被ったら取れなくなった僧、第五十四段はかわいい稚児さんと遊びたい僧侶たちが箱を埋めてサプライズを画策するもすべった話、第六十段の芋頭大好きの盛親僧都など、です。


【原文】

狐は人に食ひつく者なり。堀河殿にて、舍人が寢たる足を狐にくはる。仁和寺にて、夜、本寺の前を通る下法師に、狐三つ飛びかゝりて食ひつきければ、刀を拔きてこれを拒ぐ間、狐二疋を突く。一つはつき殺しぬ。二は遁げぬ。法師はあまた所くはれながら、事故なかりけり。


検:第218段 第218段 狐は人に食ひつくものなり

第二百十七段 ある大富豪が言うには

ある大富豪が言うには、
「人は何を置いても、とことん富を追求すべきなんだよ。貧乏では生きる甲斐も無い。裕福な者だけを人として認めることができるのさ。富を成そうと思うなら、当たり前のこととして、まずその気遣いを会得して、実行すべきなんだ。その心っていうのは、他でもない。人の生きるこの世が永遠に続くっていう思想をしっかり信じて、仮にも無常観なんていうものを持ってはいけない。これが第一のポイントってことになるかな。
次のポイントとしては、全ての望みを叶えようとしてはいけないってこと。人の世にある、自分のこと、他人のことについても、欲望は無限なのさ。欲望のおもむくまま、やりたいことをやろうって思ったら、1億円あっても、ほんの一瞬も残ってないだろうね。欲望は無くなることがないんだよ。でも財産は尽きてしまう時がある。限り有る財産で限り無い願いに応じることは不可能なんだ。欲望が心に芽生えたら、わが身を滅ぼす邪念がやって来たんだって、警戒し、しっかりと自分を律して、たとえ小っちゃな欲望でも叶えちゃいけないんだよ。
もうひとつ、お金を召使いみたいにこき使うものと思ってたら、長く貧乏から抜け出すことはできないんだ。君主のように神のように畏れ敬うこと! 自分本位で使ってはならないってことだね。
そしてまた、お金のことで恥をかいても、怒ったり恨んだりしてはいけないってこと。
さらに、正直でいて約束はきっちり守るべきってこと。このルールを守って利益を求める人に富がやって来るのは、さながら火が乾燥してるところに点いて、水が低いところに流れるのと同じに違いないね。
金が貯まるのが止まらなくなると、派手な飲酒飲食、パーティ、女性なんかにうつつをぬかさなくなるし、住まいも質素になり、欲望を果たせなくっても、心は永遠に穏やかで楽しいんだ」
とのことであった

そもそも人は、欲望を叶えるために財産を得ようとするんだよ
お金を貯めてを財産にするのは、願いを叶えるためだよね
欲望があっても叶えず、金があっても使わないのは、まったく貧乏人と同じ
何を楽しみにするんだろう?
でもこの大富豪の教えは、とにかく人間の欲望を断ち切って、貧しさを嘆くべきではない、と理解できるんだよ
金で欲望を叶えて喜ぶのは、レベル的にはかなわないんだよ、財産が無いのに比べてね
癰、疽といった腫れ病を患った者が、水で洗って癒されるよりは、そもそも腫れ病を患わないほうがいいっていうのと同じなんだ
ここに至っては、金持ちも貧乏も大差無いってこと
最高に悟ってる境地は、まだ仏の教えを理解してない境地と同じってことだし
欲望が大きいのは、無欲だってことに似てるんだよね


----------訳者の戯言---------

単なる金持ちじゃなくて、大金持ち、大富豪のお話。

たしかに小さい欲とか無くなるんだろうと。
欲が無くなるというか、もっとスケールの大きな願いとか可能性にお金を使うようになるんでしょうね、孫さんとかは。AmazonとかGoogleの創業者の人とかもですね。

それに比べたら、30億円の豪邸に住んでる三木谷は小っちゃいな。

ブラックなやり方で儲けてる柳井さんは問題外。

究竟(くっきょう)は天台宗の悟りの境地のこと、らしい。
理即(りそく)というのは、まだ仏の教えを知らない状態でも成仏できることを言うのだそうです。

では当時のお金一文はどれくらいの価値だったんでしょうか?

第六十段で芋頭ばっかり食べてる盛親僧都というちょっと変わったお坊さんのお話がありました。その時もお金の話が少し出たので書いたのですが、1文=50円くらいかな、と。

根拠は、だいたいお米1石=150kgが、人ひとりが1年間に食べるくらいの量で、この1石が約1000文だったそうです。鎌倉時代頃は。
今、お米ってブランド米でもない限りは10kgで3000~4000円ぐらいですから、ま、そんなものと考えられます。

ただ、当時1日の給金が100文という記録もあるようですから、もう少し貨幣価値、高かったのかもしれないですね。

で、今回は「百万の銭ありといふとも」と書かれてますから、1文=50円で「5000万円あっても」、1文=100円とすると「1億円あっても」と訳せます。
無理やり感ありますけど、昔の物価って難しいんです、ほんとに。

「百万」が百万文でなくて百万貫のことだとしたら、1000倍なのでで1000億円ですね。
大富豪なのでこのレベルかもしれないですけど。
まさか!イージス艦買えるがな。

というわけで、文中にもありましたが、結論は、金持ちも貧乏も精神的には大差無いってこと。
なるほど。


【原文】

ある大福長者の曰く、「人は萬をさしおきて、一向に徳をつくべきなり。貧しくては生けるかひなし。富めるのみを人とす。徳をつかむと思はば、すべからくまづその心づかひを修行すべし。その心といふは、他の事にあらず。人間常住の思ひに住して、假にも無常を觀ずる事なかれ。これ第一の用心なり。
次に、萬事の用をかなふべからず。人の世にある、自他につけて所願無量なり。欲に從ひて志を遂げむと思はば、百萬の錢ありといふとも、しばらくも住すべからず。所願は止むときなし。財は盡くる期あり。かぎりある財をもちて、かぎりなき願ひに從ふこと、得べからず。所願心に兆すことあらば、われを亡すべき惡念きたれりと、かたく愼みおそれて、小用をもなすべからず。
次に、錢を奴の如くしてつかひ用ゐるものと知らば、長く貧苦を免るべからず。君の如く神のごとくおそれ尊みて、從へ用ゐることなかれ。
次に、恥にのぞむといふとも、怒り怨むる事なかれ。
次に、正直にして、約をかたくすべし。この義を守りて利をもとめむ人は、富の來ること、火の乾けるに就き、水の下れるに從ふが如くなるべし。錢つもりて盡きざるときは、宴飮聲色を事とせず、居所をかざらず、所願を成ぜざれども、心とこしなへに安く樂し」と申しき。

そもそも人は、所願を成ぜむがために財をもとむ。錢を財とする事は、願ひをかなふるが故なり。所願あれどもかなへず、錢あれども用ゐざらんは、全く貧者とおなじ。何をか樂しびとせん。このおきては、たゞ人間の望みを絶ちて、貧を憂ふべからずと聞えたり。

欲をなして樂しびとせんよりは、しかじ、財なからむには。癰・疽を病む者、水に洗ひて樂しびとせむよりは、病まざらむには如かじ。こゝに至りては、貧富分くところなし。究竟は理即にひとし。大欲は無欲に似たり。


検:第217段 第217段 或大福長者の言はく ある大福長者の曰く

第二百十六段 最明寺入道(北条時頼)が、鶴岡八幡宮への参詣のついでに

最明寺入道(北条時頼)が、鶴岡八幡宮への参詣のついでに、足利左馬入道(足利義氏)のもとへ、先に使いをやって立ち寄られた時、主人の義氏が接待されたその様子っていうのが、最初の膳には「干し鮑(アワビ)」、二番目の膳には「えび」、三番目の膳には「そばがき」で終わりでした
その席には亭主夫婦と、隆弁僧正が主催者側の人としてお座りになってました
さて、「毎年いただいてる足利の染物が、待ち遠しゅうございます」と申されたので、「用意しております」と言って、色々の染物を三十着分、最明寺入道らの前で女房たちに小袖に仕立てさせて、後ほどお届けになりました

その時見た人で、最近まで存命でいらっしゃった人が、語られたことです


----------訳者の戯言---------

前段に続いて五代執権・北条時頼の話です。

原文の「かい餅(かいもちひ)」は、蕎麦がきorぼたもちの説あり。
どっちにしても、このコース料理はかなり質素です。

兼好、質素をよしとして書いてるのか、粗末すぎだろ!という意味で書いてるのか、よくわかりません。

執権というと、この時代は鎌倉幕府の実質的な権力者ですからね。意外です。

次に足利の反物をおねだりしてますね。
しかし、足利左馬入道もしっかり準備しています。
これ、献金の催促なのか、気を許し合ってる君臣の微笑ましいやりとりなのか、これもどっちにも取れますよ。

兼好のコメントも特になし。

ま、そういうことがあった、ってことですか。


【原文】

最明寺入道、鶴岡の社參の次に、足利左馬入道の許へ、まづ使を遣して、立ちいられたりけるに、あるじまうけられたりける様、一獻に打鮑、二獻にえび、三獻にかい餅にて止みぬ。その座には、亭主夫婦、隆辨僧正、あるじ方の人にて坐せられけり。さて、「年ごとに賜はる足利の染物、心もとなく候」と申されければ、「用意し候」とて、いろいろの染物三十、前にて女房どもに小袖に調ぜさせて、後につかはされけり。

その時見たる人の、ちかくまで侍りしが、語り侍りしなり。


検:第216段 第216段 最明寺入道、鶴岡の社参の次に

第二百十五段 平宣時朝臣が年老いて後、昔語りに

平宣時朝臣が年老いて後、昔語りに
「最明寺入道(五代執権北条時頼)が、ある日の夜、私をお呼びになったことがあって『すぐに参ります』と申しながら、ちゃんとした直垂(衣装)がなくてあれこれやってる間に、また使いが来て『直垂などがございませんのですか。夜なので変なのでもいいので、早く』と言われたので、くたびれた直垂、普段着のままで参上したら、お銚子に素焼きの器を添えて持って出て来られて、『この酒を一人で飲むのが物足りなくてお呼び申し上げたんですよ。酒の肴が無いんですけど、人が寝静まってるんですよね。肴になるような物があるか、隅々まで見てみてくださいな』と言われたんで、脂燭(しそく=簡単な灯り)を灯して、隅々を探してたら、台所の棚に、小さな素焼きの器に味噌が少しついたのを見つけて『これ、見つけましたよ!』と申し上げたら、『バッチリですね』といって、いい気分で何杯も酌み交わして、上機嫌になられたの。あの時代はそんなふうでございましたね」
と申されたんだよ


----------訳者の戯言---------

あの頃は良かったなーという、お年寄りの話。

北条時頼
この人のお母さんの倹約話が第百八十四段にありました。
次の段でも登場します。


【原文】

平 宣時朝臣老いの後、昔語に、「最明寺入道、ある宵の間に呼ばるゝ事ありしに、『やがて』と申しながら、直垂のなくて、とかくせし程に、また使きたりて、『直垂などのさふらはぬにや。夜なれば異樣なりとも疾く』とありしかば、なえたる直垂、うちうちの儘にて罷りたりしに、銚子にかはらけ取りそへて持て出でて、『この酒をひとりたうべんがさうざうしければ、申しつるなり。肴こそなけれ。人は静まりぬらむ。さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ』とありしかば、紙燭さしてくまぐまを求めしほどに、臺所の棚に、小土器に味噌の少しつきたるを見出でて、『これぞ求め得て候』と申ししかば、『事足りなん』とて、心よく數獻に及びて、興に入られ侍りき。その世にはかくこそ侍りしか」と申されき。


検:第215段 第215段 平宣時朝臣、老の後、昔語りに

第二百十四段 「想夫恋(そうふれん)」という雅楽の曲は

「想夫恋(そうふれん)」という雅楽の曲は、妻が夫を恋慕するからついた曲名ではない
元々は「相府蓮(そうふれん)」と言って、これに文字を当てたんだね
晋の王倹が、大臣として家に蓮を植えて愛した時の雅楽なんだ
これによって大臣を「蓮府」と言います

「廻忽(かいこつ)」という曲も元々は「廻鶻(かいこつ)」という字だったのね
廻鶻国(現在のウイグルの当時の中国名)といって夷(野蛮な部族)の、強国があったんだよ
その夷が漢に降伏した後に来て、自分の国の音楽を演奏したのが起源なのです


----------訳者の戯言---------

兼好のものしり自慢。


【原文】

想夫戀といふ樂は、女、男を戀ふる故の名にはあらず。もとは相府蓮、文字のかよへるなり。晉の王儉、大臣として、家に蓮を植ゑて愛せしときの樂なり。これより大臣を蓮府といふ。

廻忽も廻鶻なり。廻鶻國とて夷の強き國あり。その夷、漢に伏して後にきたりて、己が國の樂を奏せしなり。


検:第214段 第214段 想夫恋といふ楽は

第二百十三段 天皇の御前での火鉢に炭を入れる時は

天皇の御前の火鉢に炭を入れる時は、火箸で挟んではいけない
土器から直接移すべきなのだよ
であるからして、転がり落ちないように、気をつけて炭を積むべきなんだ

天皇石清水八幡宮に行かれた時、お供をした人が、浄衣を着て、手で炭を入れてたんだけど、あるしきたりに詳しい人は「白い物を着てる日は火箸を使っても構わないんだけどね」と申されたよ


----------訳者の戯言---------

浄衣というのは、白色の狩衣なんだって。

しかし意味がよくわからないけど、宮中のしきたりなんてこんなもんだと思う。
合理性とか、理由とか考えちゃだめ。


【原文】

御前の火爐に火おく時は、火箸して挾む事なし。土器より、直ちにうつすべし。されば、轉び落ちぬやうに、心得て炭を積むべきなり。

八幡の御幸に供奉の人、淨衣を著て、手にて炭をさされければ、ある有職の人、「白き物を著たる日は、火箸を用ゐる、苦しからず」と申されけり。


検:第213段 第213段 御前の火炉に火を置く時は 御前の火炉に火置く時は

第二百十二段 秋の月は、この上なく素晴らしいものだよ

秋の月は、この上なく素晴らしいものだよ
「いつだって月って、こんなもんでしょ」と、違いがわからない人っていうのは、まったく情けないよね


----------訳者の戯言---------

ま、兼好法師は月大好き人間ですからね。
第百三十七段でもマニアックなところが垣間見られます。

秋の月がきれい、っていうのは、科学的根拠があるらしいです。
感覚的なもの、気分だけのものではないようなんですね。

そもそも秋冬は空気が他の季節に比べて乾燥しているので、月もくっきりと見えるんだとか。
明るい星が少なくて空が暗めなのもいいらしいですね。
夏は湿気が多いため、どうしてもぼやけた月になってしまうことが多いようです。
春はよく「おぼろ月」と言われるように、空気中のちりや花粉、黄砂なんかが多い季節ですから、やはりくっきりときれいな月とはいえないんでしょう。
冬は月の高度が高すぎて見づらいのと、明るい星が多いために月を見るにはデメリットになってしまうらしいです。
なるほど。


【原文】

秋の月は、限りなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、思ひ分かざらん人は、無下に心うかるべきことなり。


検:第212段 第212段 秋の月は、かぎりなくめでたきものなり

第二百十一段 全てのこと、なんでもかんでも、アテにするもんじゃない

全てのこと、なんでもかんでも、アテにするもんじゃない
愚かな人っていうのは、ものごとを頼りにし過ぎるから、結局は恨んで怒ったりすることになるんだ

勢いがあるからといってアテにするもんじゃない
強い者はまず亡びるんだよ
お金持ちだからって期待するもんでもない
時を経れば失くなってしまいやすいものだから
才能があるからといってそれを頼みにしてはならない
孔子も時に遇わず」ということわざもあるくらいだもの
徳があるからといってそれも頼みにしちゃいけない
顔回も不幸だったんだからね
君主の寵愛に頼っててはいけない
すぐに罰が下されて殺されることになる
下僕が従っているからといって信頼してはならない
裏切ってよそへ走っていっちゃうことがある
人の志を頼りにしてはならない
必ず変わるものだから
約束したことにも期待してはならない
信じられることって少ないのだ

自分自身も他人にも期待しなければ、うまくいっている時は喜べるし、仮にうまくいかない時だって恨むことはない
左右が広ければ障害になるものは避けられる
前後に余裕があれば塞がることはない
狭いと押しつぶされて壊れちゃうんだよね
心配りが少なくて、人に厳しく接してしまうと、反目して、争って、大ケガしちゃう
緩くて穏やかな時は、毛の一本も傷つくことはないのさ

人というのは天地の中にあって霊的な存在なんだ
天地には限りが無いよね
人の性質がどうしてそれと違ってるだろうか?(違わないよ!)
最大級に寛大だったら、喜びも怒りも人の心を乱したりしないし、他人のために思い悩んだりすることもないのさ


----------訳者の戯言---------

この段、原文ではことごとく「頼むべからず」と書いてます。
要するに、何ごともアテにすんな、ってことですね。

信頼とか期待とかって結局「欲」なんですよね。
たしかに欲はダメなものが多いです。

ただ、欲を否定すると、人間の本能を否定することになるから、全否定はできないんです。
本能は尖鋭なまま、欲をコントロールできるようになったら一流なんでしょうけどね。

孔子も時に遇わず」というのは俚諺として有名ですが、細かなことは知らなかったので今回ざっくりと調べました。
孔子は、結構苦労も多かったようで、遊説してもなかなか認められず、十何年も放浪して、結局故郷に戻ったとかいうことです。
で、本人(孔子)が言うには「遇不遇者時也」(荀子『宥坐篇』)ってことが書かれてます。
つまり、人の運の善し悪しは、タイミング、チャンスの有無次第によるものだってことですね。

ちなみに荀子っていうのは、孔子の後継者ではあるけど、200年ぐらいも後の人だそうです。知りませんでした。

顔回第百二十九段でちょこっと登場しました。
こちらは、孔子の直の弟子。しかも一番弟子とされてる人です。
3000人いたという弟子の中でも1番とも言われた徳の高い弟子だったそうですね。

関係ありませんが、宮澤賢治も「雨ニモマケズ」に「慾ハナク 決シテ瞋(怒)ラズ」と書いてます。
理想ですね。常に心しておきたいものです。


【原文】

萬の事は頼むべからず。愚かなる人は、深くものを頼むゆゑに、うらみ怒ることあり。

勢ひありとて頼むべからず。こはき者まづ滅ぶ。財多しとて頼むべからず。時の間に失ひやすし。才ありとて頼むべからず。孔子も時に遇はず。徳ありとて頼むべからず。顔囘も不幸なりき。君の寵をも頼むべからず。誅をうくる事速かなり。奴したがへりとて頼むべからず。そむき走ることあり。人の志をも頼むべからず。必ず變ず。約をも頼むべからず。信あることすくなし。

身をも人をも頼まざれば、是なる時はよろこび、非なる時はうらみず。左右 廣ければさはらず。前後遠ければふさがらず。せばき時はひしげくだく。心を用ゐること少しきにしてきびしき時は、物に逆ひ、爭ひてやぶる。寛くして柔かなるときは、一毛も損ぜず。

人は天地の靈なり。天地はかぎるところなし。人の性 何ぞ異ならん。寛大にして窮らざるときは、喜怒これにさはらずして、物のためにわづらはず。


検:第211段 第211段 よろづの事は頼むべからず 萬の事は頼むべからず