徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第二百四十二段 逆境(不幸)か順境(幸福)かに左右されてしまうのは

いつまで経っても、逆境(不幸)か順境(幸福)かに左右されてしまうのは、ひとえに苦楽のためだよ
「楽」っていうのは、好み愛することなんだ
これを求めはじめたら尽きることがない
願い欲するものっていうと、まず1番目は名誉欲だよね
で、名誉にも二種類あって、それは「生き方における名声」と「学問や芸能における名声」なんだ
そして、2番目には色欲、3番目には食欲だよ
あらゆる願望で、この名誉欲、色欲、食欲の三つに勝るものはない
この三つは真実を真っ向から否定する考えから起こるものであって、多くの苦悩を伴うものだよ
求めないのに越したことないね


----------訳者の戯言---------

第百二十三段では衣食住+医で合わせて四つが人にとっての最重要事項って書いてた気が…。
色欲も否定してるけど、つい2コほど前の段では恋愛マスターでしたしね。
徒然草を書き始めた頃、第三段では「色好まざらん男は、いとさうざうしく」って書いてましたし。で、第八段では、色欲はどうしようもないもの、久米の仙人も女子の生足を見て神通力を失った、とか、第九段で女子の色香には迷うもの、とも書いてました。
自己矛盾、朝令暮改兼好法師の得意とするところですが、もはやよくわかりません。

しかし、そもそも、食欲、色欲っていうのは人間の本能ですからね。
今回、本能を完全否定してます。
真実に逆行するものなんだって。

仏教思想ではよく五欲がどうやらとか六根清浄でどうのとか言われますし、世俗的な欲望を修行、つまり理性によってコントロールせよってことなんでしょうか。

腑には落ちないけど、兼好なんでね。
仕方ないですね。


【原文】

とこしなへに、違順につかはるゝ事は、偏に苦樂の爲なり。樂といふは好み愛する事なり。これを求むる事 止む時無し。樂欲するところ、一つには名なり。名に二種あり。行跡と才藝との誉なり。二つには色欲、三つには味なり。萬の願ひ、この三つには如かず。これ顛倒の相より起りて、若干の煩ひあり。求めざらむには如かじ。


検:第242段 第243段 とこしなへに違順に使はるる事は とこしなへに、違順につかはるる事は とこしなへに、違順に使はるる事は