徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第八段 世間の人の心を惑わすこと

世間の人の心を惑わすこととして、色欲に勝るものはありません
人の心というのはほんとに愚かなもんです

匂いなんてすぐ消えてなくなるようなものだし、一時的に衣に香を焚き染めるだけだとわかってるんだけど、その何ともいえない良い匂いに、いつも興奮しちゃうんですよねー

久米の仙人が、洗濯している女子のふくらはぎが白いのを見て神通力を失ったのは、手足・肌などがスベスベで、しかもいい感じで肉づきがいいのが、人工的につくった色香と違って、女子の体本来の生の魅力だからだったからで、なるほど、そりゃ仕方ないわなーと思いますね

 

----------訳者の戯言----------

早い話、エロの話なのですが、ま、今もそうなのですが、色欲というのはどうしようもないというね。
ま、香であるとか久米の仙人の話とか、それでも結構、下品にならないように気を遣っています。一応ちょっとした理屈を言うところが、兼好法師、なかなかかわいいですね。

 

【原文】

世の人の心を惑はすこと、色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。

匂ひなどは假のものなるに、しばらく衣裳に薫物すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。久米の仙人の、物洗ふ女の脛の白きを見て、通を失ひけんは、まことに手足・膚などのきよらに、肥え膏づきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。

 

検:第8段 第8段 世の人の心まどはす事、色欲にはしかず 世の人の心惑はす事、色欲にはしかず

第七段 長生きすることありません

あだし野の露が消える時がなくて、鳥辺山の煙がいつまでもなくならない、そんな風に人の命が永遠に続いてしまうんだったら、情緒も深みも何もあったもんじゃない
つまらないですよね
人生は限りがあるからこそ、いいんです

命のあるものをいろいろ見てればわかるけど、人間ほど長生きするものはありません
蜻蛉は朝生まれて夕方には死に、夏の蝉は春や秋を知らずに死んじゃうわけでしょ
そう考えると我々がぼーっと一年を暮らすくらいでも、結構のんきなもんだって気がしますね
だいたい「まだまだー」「死にたくないよー」とか思う人ってのは、千年経ってても、それが一夜の夢ぐらいにしか感じられないんです、デリカシーなし、嫌ですね
長生きすると恥ずかしいことも多くなるんですよ!
長くても四十歳になる前に死んじゃえば見苦しくないんでしょうがね

それくらいの年齢を過ぎると、見かけとかを気にすることもなくなって老醜をさらすし、その割に人とかかわり合いたい、相手にされたいなんて思うし
年寄りのくせに子どもや孫を可愛がったり、その子孫たちが立派に栄えていくのを見届けるまで生きたい、なんて
やたらといつまでも貪欲で満足しない、欲深いっていうか
そうやって情緒とかわからなくなっていくのって、ほんとあさましいったらないよね

 

【原文】

あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ちさらでのみ住み果つる習ひならば、いかに、物の哀れもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。

命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮らす程だにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住みはてぬ世に、醜きすがたを待ちえて、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。

 そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出でまじらはん事を思ひ、夕の日に子孫を愛して、榮行く末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、物のあはれも知らずなり行くなん、浅ましき。

 

検:第7段 第7段 あだし野の露きゆる時なく あだし野の露消ゆる時なく

第六段 子どもはいなくていい

上流階級の人も、ましてや数にも入らんような身分の低い人には、子どもはいなくていいでしょうね

前中書王も九条太政大臣も花園左大臣もみんな、むしろ子孫が絶えて一族が滅んでしまうことを願っておられるくらいなんですから
染殿大臣だって「子孫はいないほうがいい 子孫が落ちぶれてしまうのはアカンことですからな」と世継の翁の物語の中で言ってます

聖徳太子が生前にお墓をつくった時にも「ここ切っといて! あそこ塞いどいて! 子孫は入れないようにするのだ!」とかおっしゃったらしいよ

 

----------訳者の戯言----------

またもや趣旨とは関係ないことかもしれませんが、前中書王とかよくわからん言葉出てきます。
さきのちゅうじょおう、と読むらしい。前中書王の兼明親王というのは醍醐天皇の第十六皇子らしいんですけど、16人も(もっと?)子どもいたのかすごいなーと思う。
で、中書っていうのは中務卿のことを唐でこう言ってたから、カッコよくこう言ってたらしい。ま、経営者をCEOと言ったりとか、課長をマネージャーと言ったりとかのカッコイイ感じと同じですか? 違いますか。アウフヘーベンとかワイズスペンディングとか、ああいうのと同じですか。それも違いますか。そうですか。

あとね、九条太政大臣とか花園左大臣とか、染殿大臣とか、地名っていうかお屋敷の名前をつけて呼ぶのね。今なら、赤坂のナントカさんとか、六本木ヒルズのなんとかさんとかっていう感じ? お金持ちとか有名人多すぎてわからんくなりますね。
ちょっと前ですが、田中角栄は「目白の闇将軍」。イメージ悪い。あと、「ハマの番長」とか「ハマの大魔神」とかですか。

さて本題ですが、この段の趣旨。少子化をさらに推し進めるような思想なんですけどね。
時代によって価値観は変わるってことです。
鎌倉末期なんか、産業革命のはるか前ですから、人口が増えすぎる懸念もないですしね。なのに当時こういう価値観があったって、ある意味凄いなと思います。

兼明親王は兄弟が多すぎて単にそれが嫌だったのかもしれません。それに加えて、これに出てくる方々って自分がまあまあの出来なもんで、後世に一族にダメな奴が出てきたら、俺の功績台無しじゃんって思ったのかもしれないですね。
ま、家とか一族とか、そういうのの単なる存続を望んだのではなく、名誉とか品格とかが結構大事だった頃の考え方の一つかもしれません。

 

【原文】

我が身のやんごとなからんにも、まして數ならざらんにも、子といふもの無くてありなん。

前中書王・九條太政大臣・花園左大臣、皆 族絶えん事を願ひ給へり。染殿大臣も、「子孫おはせぬぞよく侍る。末の後れ給へるは、わろき事なり」とぞ、世繼の翁の物語にはいへる。聖徳太子の御墓を、かねて築かせ給ひける時も、「こゝをきれ、かしこを斷て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。

検:第6段 第6段 子といふ物なくてありなん

第五段 何かを期待したりせずひっそりと

不幸で、憂鬱になって、落ち込んだ人が、軽々しく出家しようなんて思ったんじゃなくて
いるのかいないのかわからない感じで、何かを期待したりせずひっそり日々暮らしている、そういうののほうが理想的なのよ

あの顕基中納言が「流刑地での美しい月、できれば罪の無い身の上で見たいものだ」って言ったのも、そのとおりだと思うんですよね


 
----------訳者の戯言----------

顕基中納言とは、本名・源顕基という人のことだそうで、後一条天皇の側近として仕えた人のようです。
そして「十訓抄」という書物には、源顕基、後一条天皇崩御後、「忠臣二君に仕えず」として出家してしまったとも書かれているようですね。法名は円照です。

後一条天皇は、あの「この世をば我が世とぞ思ふ~」と詠んだ藤原道長の娘の子です。8歳で即位していますから、当然摂政である道長が実権を持っていたでしょう。

で、話は元に戻りますが、源顕基。後一条天皇が即位してすぐ側近として採用されています。この時、源顕基は16歳。天皇に信頼されて、らしいけど、8歳の子どもに信頼されるってあるのか。むしろ道長に、だろう。それとも子どもに好かれるいい兄ちゃんだったのか。いずれにしてもそんな若くて天皇の側近ですからね。すごいっちゃあすごい。子どもの遊び相手ですか?

家柄は上流貴族なので、14歳ぐらいですでにまあまあの官職、中央官庁の管理職クラスに就いていたようです。いきなり。当時は労基法もなかったですからね。けど、14歳のお子様の下で働く大人、どう思っていたんでしょうね。15歳ぐらいの時には備前(岡山のあたり?)の国司(介)になっています。とんとん拍子の出世。今で言えば副知事レベルでしょ。15で。いいのかそれ。

ま、実際はお飾り、看板みたいなものなのでしょうけどね。

そして後一条天皇は29歳で若くして崩御されます。源顕基はこの時36歳ぐらいなんですけど、出家してしまう、と。で、隠遁の生活に入るというのが、この段で書かれていることですね。なんか、無実の罪で流刑されたということもあったらしい。

 

【原文】

不幸に愁に沈める人の、頭おろしなど、ふつゝかに思ひとりたるにはあらで、有るか無きかに門さしこめて、待つこともなく明し暮らしたる、さるかたにあらまほし。

顯基中納言のいひけん、「配所の月、罪なくて見ん事」、さも覚えぬべし。

 

検:第5段 第5段 不幸に愁にしづめる人の 不幸に愁に沈める人の

第四段 仏の道をおろそかにしない

来世のことをいつも考えていて、仏の道をおろそかにしない
そういうのって、素敵だよね

 

----------訳者の戯言----------

仏教サイコー!!
仏の教えをいつも守っている人は素敵ですよねーとなかなかの仏教大礼賛です。
吉田兼好の思想のベースはやはり仏教であり、この徒然草も仏教を下地に書いたというのがわかります。

やはり現世利益ではなく、あの世、亡くなった後のことを考えろよということですね。

今まさに、衆院選挙の公示期間中なんですが、公明党はどちらかというと支持母体からして護憲、なのに改憲推進ばりばりの自民と組む、というのはどうなのでしょう。
池上さんには特番でぜひ追及していただきたいですね。

 

【原文】

後の世の事、心に忘れず、佛の道うとからぬ、心にくし。

 

検:第4段 第4段 後の世の事、心に忘れず

第三段 恋愛しないような男はつまらない

たとえなんでもできたとしても、恋愛に積極的じゃない男は、全然つまらなくて、例えて言えばキラキラしたグラスの底が抜けているような気がするんですよね

雨や霜でぐしょぐしょになって、家に行ける彼女も決まらなくて、さまよい歩いて
親に叱られたり、世間の人から軽蔑されたりしては生き方に躊躇して
気持ちに余裕もなくて、ああでもない、こうでもない、と思い悩んで
かえって一人寝のことが多くて、悶々としてまどろむことさえできないような、つらい夜を過ごす、そういう奴のほうが実は魅力的なのですよ

とは言っても、ただただ恋愛体質なわけではなく、女子たちから見ると「カンタンには落とせない男子」だと思われるのこそ理想なわけですね

 

【原文】

萬にいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵の底なき心地ぞすべき。

露霜にしほたれて、所さだめず惑ひ歩き、親のいさめ、世の謗りをつゝむに心のいとまなく、合ふさ離るさに思ひ亂れ、さるは獨り寢がちに、まどろむ夜なきこそ、をかしけれ。

さりとて、一向たはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべき業なれ。

 

検:第3段 第3段 萬にいみじくとも 万にいみじくとも

第二段 粗末なものでいいのよ

昔の偉い政治家が治めてたすごく良かった時代の政治を見習うようなこともせず、今、庶民の気持ちが落ち込んでたりとか、国がダメになってるのを知らず
いろいろ贅沢に派手な暮らしをして、それでいいと思って偉そうにしてる奴って、まあほんと考えなしに見えますよね

「服とか馬とか車とか、あるまま使ったらいいじゃん、きれいなのとか豪華なのとか気にすんなよ」と九条殿と呼ばれた藤原師輔(もろすけ)っていう人も子孫への遺言で書いてたし
順徳天皇が宮中のことについて書かせられた本にも「天皇の服は粗末なものでいいのよ」とありますものね

 

【原文】

いにしへの聖の御代の政をも忘れ、民の愁へ、國のそこなはるゝをも知らず、萬にきよらを盡して、いみじと思ひ、所狹きさましたる人こそ、うたて、思ふところなく見ゆれ。

「衣冠より馬・車に至るまで、あるにしたがいて用ゐよ。美麗を求むることなかれ」とぞ、九條殿の遺誡にも侍る。順徳院の、禁中の事ども書かせ給へるにも、「おほやけの奉物は、おろそかなるをもてよしとす」とこそ侍れ。

 

検:第2段 第2段 いにしへの聖の

 

第一段 いやあこの世に生まれてきてね

いやあ、この世に生まれてきてね
こうだったらいいよなーと思うようなことって、結構いっぱいあるんじゃないですかね

帝(みかど)の御位はもうすごくすごくおそれ多い
で、皇族の方々ともなると子孫の末代までずっとずっとすでに人間じゃなくて神

貴族の中でもトップクラスの摂政とか関白の人も言うまでもなく尊い
それ以外の普通の貴族も帝から舎人とかの仕事を命じられる人とかっていうのは、やっぱり立派に見えますよね
で、その子どもや孫までは、たとえ落ちぶれててもやっぱ品があるんですよ

けど、それより下の身分の人というのは、たまたまその時流に乗ってドヤ顔してたりしてても
本人は立派と思ってるかもしれないけども底が浅いってか全然イケてないものなんですよね

私みたいな坊さんほど「うらやましくない」ものはないですね
「人には木っ端みたい思われるんだよ」と清少納言も書いてるけど、そのとおりで
あいつら荒っぽい感じで、大きい声で騒いでるのはほんとダメだし
僧賀上人も言ってたらしいけど、だいたい名声なんか求めるのは見苦しいし、仏のお教えに反することにもなるんと違うかな

でもひたすら世を捨てて生きてる人、俗世を厭っている人もいたりして、そういうのは尊敬しちゃうし、そうあってほしいと思うんですよね

顔とかスタイルがいい、つまり見かけ、容姿が美しいというのは、なかなか得難いもの、つまりすばらしいものです
で、話しててもおもしろくてわかりやすくて、愛敬があって、でも言葉数は多くない
こういう人こそ、ずっと、付き合いたい人なんですよね

でも反対にね、いいなーと思ってた人なのに、思っていたよりも劣悪な本性が見えたりすると残念
品とか姿かたちっていうのは生まれつきのものなんですけど、心もちというのは良くしていこうと思ったらいくらでもできるわけでしょ

で、ルックスが良くてハートもいい、っていう人だって、才能を磨くのを怠ってると品格が下がって、顔のよろしくない人の中に混じってそっち側のパワーに影響されてしまってダメダメになっっちゃうの
これ残念やね

こうだったらいいと思うのはね
学問ができて、文才あって、詩作とか楽器もできて、マナーとかに詳しくて、人のお手本になれる人ってのはすばらしい
何か書く時もすらすらっと上手に走り書きできて、歌がうまくてリズム感もあって、お酒も少々いける、そんな男こそイケてるというわけですよ

 

【原文】

いでや、この世に生れては、願はしかるべきことこそ多かめれ。
帝の御位はいともかしこし。竹の園生の末葉まで、人間の種ならぬぞやんごとなき。一の人の御有様はさらなり、ただ人も、舎人などたまはる際は、ゆゆしと見ゆ。その子・孫までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下つ方は、ほどにつけつつ、時に逢ひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いと口惜し。

法師ばかり羨しからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。勢猛に、のゝしりたるにつけて、いみじとは見えず。増賀聖のいひけんやうに、名聞くるしく、佛の御教に違ふらむとぞ覚ゆる。ひたふるの世すて人は、なかなかあらまほしき方もありなん。

人は、かたち・有樣の勝れたらんこそ、あらまほしかるべけれ。物うち言ひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、言葉多からぬこそ、飽かず向はまほしけれ。めでたしと見る人の、心劣りせらるゝ本性見えんこそ、口をしかるべけれ。

人品・容貌こそ生れつきたらめ、心はなどか、賢きより賢きにも、移さば移らざらん。かたち・心ざまよき人も、才なくなりぬれば、しなくだり、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝこそ、本意なきわざなれ。

ありたき事は、まことしき文の道、作文・和歌・管絃の道、また有職に公事の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手など拙からず走りかき、聲をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそ男はよけれ。

 

検:第1段 第1段 いでやこの世に生まれては いでやこの世に生れては

 

序の段 やることなくてヒマで

やることなくてヒマで

一日中、硯(すずり)に向かって

何か書こうかなってことで

思いつきのどうでもいいようなことを

何となく書いてたら

変にイカレてる感じになっちゃったんですよねー

 

【原文】

つれづれなるまゝに、日暮らし、硯に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれ。

 

検:序段 つれづれなるままに 徒然なるままに 冒頭文