徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第百八十二段 四条大納言隆親卿が、乾鮭というものを

四条大納言隆親卿が、乾鮭というものを天皇に献上したところ、「こんな賤しい物を差し上げるのってあり?」って、ある人が申したのを聞いて、大納言は「鮭という魚を献上しないことに決まってるならそうかもしれんが。鮭を乾したのに何か問題ありますか? 鮎の乾したのは差し上げないですか?」と申されました


----------訳者の戯言---------

四条大納言隆親卿というのは、四条隆親のことだそうです。
院や天皇の近臣としてのほか、歌人としても活躍したようですが、四条家は代々料理の専門家系(四条流包丁道の家系)としても知られているそうですね。
つまり彼自身料理の専門家です。

第百十八段ではキジのほうが雁より上位とか、第百十九段では鰹が昔は下品だったとか、あったけど、今回もです。食べ物に高貴とか賤しいとかあるという時代。
美味しいか美味しくないか、ということをもっと重視したほうがいいのにと思います。

ま、今もそういうのは多少あるのかもしれませんけどね。


【原文】

四條大納言隆親卿、乾鮭といふものを、供御に參らせられたりけるを、「かく怪しきもの、參るやうあらじ」と、人の申しけるを聞きて、大納言、「鮭といふ魚、まゐらぬことにてあらんにこそあれ。鮭の素干、何条ことかあらん。鮎の素干はまゐらぬかは」と申されけり。


検:第182段 第182段 四條大納言隆親卿、乾鮭といふものを 四条大納言隆親卿乾鮭と言ふものを

第百八十一段 降れ降れ粉雪、たんばの粉雪

「『降れ降れ粉雪、たんばの粉雪』というのは、米を搗(つ)いて篩にかけたのに似てるので、粉雪というんだ。『たまれ粉雪』と言うべきなのを、間違って『丹波の』と言ったの。(続けて)『垣や木の股に』って歌うんだからね」と、ある物知りが言ってたよ

昔から言ってたことなんだろうか
鳥羽院が幼くていらっしゃったとき、雪が降ったら、このようにおっしゃったって、讃岐典侍の日記に書いてあるんだよね


----------訳者の戯言---------

「たまれ」っていうのは「溜まれ」、つまり「降り積もれ」ってことですよね。
たしかに、「たまれ粉雪 垣や木の股に」のほうがしっくりきます。
丹波の粉雪 垣や木の股に」よりはね。

前回に引き続き今回も、ですが、後半は兼好の博学自慢です。

讃岐典侍というのは、本名・藤原長子という人で、堀河天皇典侍(ないしのすけ)だった人だそうです。
典侍については第百七十八段でも出てきましたね。
讃岐典侍堀河天皇が亡くなっていったん退職しましたが、請われて鳥羽天皇に再出仕したようです。
鳥羽上皇は5歳ぐらいで天皇に即位しましたが、「讃岐典侍日記」に書かれたのはその即位直後のできごとみたいですね。
幼い鳥羽天皇が口ずさんだ「ふれふれこゆき」っていうのは、文字に残されたわらべうたの記録としては最古のものらしい。
で、兼好法師徒然草の執筆時よりさらに約200年前のこの日記の記述を引用してるわけです。

しかし、調べてみたら、鳥羽天皇がどっちの歌詞で歌っていたのかは、日記の内容からは不明。
「ふれふれこゆき」とは歌ったけど「たんばのこゆき」と歌ったかどうかはわかりません。
ごまかされないぞ。フフフ、兼好、詰めが甘いな。


【原文】

「降れ降れ粉雪、たんばの粉雪」といふ事、米搗き篩(ふる)ひたるに似たれば、粉雪といふ。「たまれ粉雪」といふべきを、誤りて「たんばの」とは言ふなり。「垣や木の股に」とうたふべし、とある物知り申しき。昔よりいひけることにや。鳥羽院 幼くおはしまして、雪の降るにかく仰せられけるよし、讚岐典侍が日記に書きたり。


検:第181段 第181段 「ふれふれこゆき、たんばのこゆき」といふ事 降れ降れ粉雪たんばの粉雪といふ事 『降れ降れ粉雪、たんばの粉雪』といふ事 「降れ降れ粉雪、たんばの粉雪」といふ事

第百八十段 左義長(さぎちょう)は

左義長(さぎちょう。三毬杖とも書く)は、正月に打った毬杖(ぎちょう)を、真言院から神泉苑へ出して、焼き上げる行事なのだ
「法成就の池にこそ」と囃すのは、神泉苑の池のことを言うんだよ


----------訳者の戯言---------

毬杖(ぎっちょう/ぎちょう)っていうのは、フィールドホッケーみたいなゲームで、正月の遊びだったみたいです。
三省堂ワードワイズ・ウェブの中に解説がありましたので、リンクを張っておきます。
 https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/emaki7

で、これで使った杖のことも毬杖って言ったらしい。
スノーボードを使う競技をスノーボードと言うように、バレーボールを使う競技をバレーボールと言うように。
例は間違ってるかもしれないけど。

元々はこの毬杖を3本立てて1月の15日だか18日とかに焼いたのが、この「さぎちょう」の行事のはじまりだったらしいですね。

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真言院」は大内裏中和院の西にあった密教の修法道場で、「神泉苑」というのは大内裏の南にあったお庭でした。
ま、宮中ではお庭に持ってきて焼いたと。
その時の掛け声のこと言ってますね。
どういでもいいことですけどね。
「法成就の池」っていうのは、空海神泉苑で祈って雨を降らせた故事からきてるらしいです。
例によって兼好の博学自慢ということで、適当に受け流しておけばいいと思います。

お察しのとおり、この左義長(三毬杖)が、庶民に広まったのが、とんど焼き、とか、どんど焼きとも言われる行事です。
注連飾りとか松飾りとか、書初めなんかを焼いて無病息災を祈願すると。

今はそういう注連飾りなんかもあまりしなくなりました。
うちは一切やってない、というか、マンションの共用エントランスには飾ってくれてますけど。
自分ちには無いですね。
書初めもしないですし。初詣には行きますけれど。

最近は消防法の関係やダイオキシンの問題もあって取りやめているところもあるみたいですしね。
これからは、とんど焼きとかも減っていくんでしょう。仕方ないですね。


【原文】

さぎちゃう は、正月に打ちたる毬杖を、真言院より神泉苑へ出して燒きあぐるなり。「法成就の池にこそ」と囃すは、神泉苑の池をいふなり。


検:第180段 第180段 さぎちやうは、正月に打ちたる毬杖を さぎちゃうは、正月に打ちたる毬杖を

第百七十九段 宋に渡った道眼上人が

宋(実際は元)に渡った出家者、道眼上人が「一切経」を持ち帰って、六波羅のあたりの焼野という所に安置して、特に「首楞厳経(しゅりょうごんきょう)」の講義を行って、那蘭陀寺(ならんだじ)と名づけたのね
その聖(道眼上人)が申されたのが「インドの那蘭陀寺は大門が北向きだって、江師(大江匡房)の説として言い伝えられてるけど、『西域伝』や『法顕伝』なんかには書いてないし、どの文献にも全然見当たらないの。江師がどんな学識によってそんなふうに言ったのか、わからないんだよね。中国の西明寺の大門が北向きなのはもちろんだけど」ってことだったんだよ


----------訳者の戯言---------

「西域伝」は「大唐西域記」のことと思われます。唐僧・玄奘による西域の見聞録です。
西域というのはインド、チベット東トルキスタンあたりだそうですね。
「法顕伝」は法顕の書いた「仏国記」のことで、やはり、中国そして西域の見聞録。
細かいこと言うようやけど、正式名称で書けよと、ちょっと思います。

ちなみに玄奘は、「西遊記」の三蔵法師のモデルになった人ですね。

ところで江師って誰?
ということで、調べてみました。
大江匡房という人で、号を「江師(ごうのそち)」と言いました。
平安時代有数の知性派、碩学っていうか、今風に言うと超インテリで、その博識と文才は、あの学問の神様として有名な天神さん、すなわち菅原道真と並び称されるほどだったらしい。
私は全然知りませんでしたが。すみません。

那蘭陀寺つながりで、そういやインドの那蘭陀寺の門が北向きだって江師が言ったらしいけど、そんなの根拠がねーよ、江師もいいかげんやな!って道眼上人というお坊さんが言ったという話です。

オチはどこにあるんでしょうか?
コイツこだわりすぎやな、ってこと?


【原文】

入宋の沙門、道眼上人、一切經を持來して、六波羅のあたり、燒野といふ所に安置して、殊に首楞嚴經を講じて、那蘭陀寺と號す。その聖の申されしは、「那蘭陀寺は大門北向きなりと、江帥の説とていひ傳へたれど、西域傳・法顯傳などにも見えず、更に所見なし。江帥はいかなる才覺にてか申されけん、覚束なし。唐土西明寺は北向き勿論なり」と申しき。


検:第179段 第179段 入宋の沙門、道眼上人、一切経を持来して

第百七十八段 ある所の侍たちが、御所の内侍所の御神楽を見て

ある所の侍たちが、御所の内侍所の御神楽を見て、人に話してたんだけど「宝剣(草薙の剣)を、あの方がお持ちだったよねー」なんて言うのを聞いて、御簾の内側にいた女官の中のお一人が「別殿に行幸される時は、(宝剣でなくて)昼御座の御剣なんですけどね」と、こっそり教えたのは、奥ゆかしかったよ
その人はベテランの典侍だったとかってことです


----------訳者の戯言---------

やっぱり、そーいうことは、ひそやかに言うべきなんですね。
兼好法師は、ことさらあげつらうでもなく、こっそり教えてあげたのをほめているわけね。

しかし。
兼好には聞こえてるやん。
それほど「忍びやかに」言うてないやん。しっかり聞こえとりますがな。
結局、聞こえるように言うたんかよ、と。
私思うんですけど、もうちょっと言い方考えてもよかったんじゃね? って言うか、そもそも計算ずくか?

典侍というのは「ないしのすけ」と読みます。
女官ではあるんですが、女官の中でもほぼ最高位で、当時のほとんどの典侍天皇の側室、だったようです。

内侍所というのは第二十七段にも出てきました。


【原文】

ある所の侍ども、内侍所の御神樂を見て、人に語るとて、「寶劒をばその人ぞ持ち給へる」などいふを聞きて、内なる女房の中に、「別殿の行幸には、晝御座の御劒にてこそあれ」と忍びやかに言ひたりし、心憎かりき。その人、ふるき典侍なりけるとかや。


検:第178段 第178段 或所の侍ども、内侍所の御神楽を見て ある所の侍ども、内侍所の御神楽を見て

第百七十七段 鎌倉の中書王のお屋敷で、蹴鞠の会が開催された時

鎌倉の中書王のお屋敷で、蹴鞠の会が開催された時、雨が降った後、庭が乾かないので、どうしようかと会議したんだけど、佐々木隠岐入道が、おがくずを車に積んで、いっぱい献上したんで、庭一面にお敷きになって、泥の心配がなくなったんだ
「おがくずを取って溜めて準備しておくって、なかなかできないですよねー」と、人々は感心し合いましたと

で、このことをある者が言い出したところ、吉田中納言が「乾いた砂の用意はなかったの?」とおっしゃったので、その者は恥しくなったとのことです
すばらしいと思ったおがくずは、実は賤しくて、異様なこと
庭の整備を担当する人が乾いた砂を用意しておくのは、昔からのルールだってよ


----------訳者の戯言---------

鎌倉中書王というのは、鎌倉幕府の6代将軍、宗尊親王のこと。
鎌倉幕府源頼朝を初代将軍として開かれたのは有名で、三代目将軍の頃から北条氏に実権が移ったのも有名ですね。
「執権」とか言うらしいですが、これは日本史に出てきましたよね、たぶん。

北条は地方の豪族で、家格は低かったので政権維持のためには仕方なかったっていうんですね。
で、宗尊親王は北条氏にまつり上げられた将軍の一人。皇族から、ですね。

そしてこの段の話は、そのお屋敷での蹴鞠大会の時のことなんでしょうかね。
でもまあ、どこでも屋根なしの競技場はそうです。
あの水はけの良い甲子園でも、大量の土が用意されてます。
阪神園芸でも常識です。


【原文】

鎌倉の中書王にて御鞠ありけるに、雨ふりて後、未だ庭の乾かざりければ、いかゞせむと沙汰ありけるに、佐々木隱岐入道、鋸の屑を車に積みて、多く奉りたりければ、一庭に敷かれて、泥土のわづらひ無かりけり。「取りためけむ用意ありがたし」と、人感じあへりけり。

この事をある者の語り出でたりしに、吉田中納言の、「乾き砂子の用意やはなかりける」とのたまひたりしかば、恥しかりき。いみじと思ひける鋸の屑、賤しく、異樣のことなり。庭の儀を奉行する人、乾き砂子をまうくるは、故實なりとぞ。


検:第177段 第177段 鎌倉中書王にて御鞠ありけるに 鎌倉中書王にて、御毬ありけるに 鎌倉中書王にて、御鞠ありけるに 鎌倉中書王にて御毬ありけるに

第百七十六段 宮中の「黒戸」は

宮中の「黒戸」は、小松御門(光孝天皇)がご即位なさって、昔普通の人(まだ天皇ではなく、臣下)でいらっしゃった時に戯れに料理を作られたのをお忘れにならず、いつも料理をなさってた部屋なのね
薪ですすけてたので、黒戸と言うってね


----------訳者の戯言---------

天皇となった後も料理をなさってた、ということですね。

ネーミングについては第百十六段にもありました。単純なのがいいね、と兼好法師、おっしゃってます。
今回のも、たぶん兼好的にはgoodなんだと思う。


【原文】

黑戸は、小松の御門 位に即かせ給ひて、昔 唯人に坐しし時、まさな事せさせ給ひしを忘れ給はで常に營ませ給ひける間なり。御薪に煤けたれば黑戸といふとぞ。


検:第176段 第176段 黒戸は、小松御門位につかせ給ひて

第百七十五段③ 酒っていうのはこんな風に不愉快に思うものではあるけど

酒っていうのはこんな風に不愉快に思うものではあるけど、自ずと捨てがたいシチュエーションもあるでしょ
月の夜、雪の朝、桜の花の下ででも、のどかな気分で語り合って盃を差し出すって
これ、いろいろと盛り上がる要素だよね
退屈な日、思いがけず友だちがやって来て、酒を飲んだら、心がなぐさめられるし
そうそう馴れ馴れしくできない高貴な方が御簾の中から果物やお酒なんかを、上品そうに差し出されるのは、すごくいいもんだ
冬、狭いところで火で物を煎ったりなんかして、めっちゃ気が合う友だち同士、さし向かいでとことん飲むのは、すごくいいよねー
旅先の宿屋、野山のアウトドアなんかで「酒の肴があったらなー」なんて言いいながらでも、芝の上で飲んでるのも楽しいもんやね
すごく酒を嫌がってる人が、強いられてちょっとだけ飲むのも、とってもいいよ♡
身分の高い人が、特別に「あと一杯どうぞ。減ってませんよ」など、おっしゃるのもうれしいです
お近づきになりたかった人が飲める人で、すっかり打ち解けてきたのも、またうれしおすな

ま、いろいろ言っても、酒飲みってのは面白くて、罪のない者なの
酔いつぶれて朝寝してるところを、主人が戸を開けたら、うろたえて、ねぼけた顔のままで、細い髻(もとどり)をさらけ出し、ちゃんと着ないで着物を抱えて、足を引きずって逃げる、その裾を捲り上げた後姿、毛の生えた痩せた脛(すね)の感じが、おかしくて、それ、まさに酒飲みというにふさわしいのだよねw


----------訳者の戯言---------

また出ましたよ。
兼好法師朝令暮改。手のひら返し。ご都合主義。オポチュニズム。
あんだけ書いといて、最後にこんだけ持ち上げる? 普通。
この一貫性の無さ、どーかしてるな!

誰かに忖度してないか? 兼好よ。

そして、ここでよくわからない語、髻です。
昔は髪を頭の上に集めて束ねてたらしくて、それを髻(もとどり)というらしい。
で、それの上に烏帽子を被ったんですね、当時は。

個人的に、私はお酒飲まないので、今は原則酒席には出ないんですが、まあ、過去にはいろいろな人を見ましたよ。
ま、他人に迷惑をかけない範囲でなら、どんどん飲んでいいと思います。
できれば高い酒をね。
安酒を飲んで、人に迷惑をかけるのがいちばんよくないと思います。


【原文】

かく疎ましと思ふものなれど、おのづから捨て難き折もあるべし。月の夜、雪の朝、花のもとにても、心のどかに物語して、杯いだしたる、萬の興を添ふるわざなり。つれづれなる日、思ひの外に友の入り來て、取り行ひたるも、心慰む。なれなれしからぬあたりの御簾のうちより、御果物、御酒など、よきやうなるけはひしてさし出されたる、いとよし。冬、せばき所にて、火にて物煎りなどして、隔てなきどちさし向ひて、多く飮みたる、いとをかし。旅の假屋、野山などにて、「御肴何」などいひて、芝の上にて飮みたるもをかし。いたういたむ人の、強ひられて少し飮みたるも、いとよし。よき人の、とりわきて、「今一つ、上すくなし」など、のたまはせたるも嬉し。近づかまほしき人の、上戸にて、ひしひしと馴れぬる、また嬉し。

さはいへど、上戸はをかしく罪許さるゝものなり。醉ひくたびれて朝寐したる所を、主人の引きあけたるに、惑ひて、ほれたる顔ながら、細き髻さしいだし、物も着あへず抱き持ち、引きしろひて逃ぐる、かいどり姿のうしろ手、毛おひたる細脛のほど、をかしく、つきづきし。


検:第175段 第175段 世には心得ぬ事の多きなり

第百七十五段② 他人ごとやと思って見てても、不愉快

(酔っ払いは)他人ごとやと思って見てても、不愉快やね
思慮深そうな雰囲気で、魅力的に見えてた人でも、考えなしに笑い騒ぎまくって、言葉数も多いわ、烏帽子はゆがんどるわ、衣服の紐をはずして、ふくらはぎを高く掲げて、隙だらけで、不用意な様子は、いつものその人とも思われへん
女は前髪をかき上げて顔を思いっきり上に向けて大笑い、盃を持ってる手をつかんだり、下品な人なんかは料理を取って他人の口に押し当てたり、自分でも食べる、ひどい有様ですわ
思いっきり大声を出して、それぞれ歌い、踊りまくって、年老いた僧侶を連れ出してきて、黒くて汚い身体なのに肩をはだけて、目もあてられない感じで身をよじるのを、面白がって見てる人だって不愉快きわまりない

はたまた、自分がどんだけゴイスーかっていう自慢話を、笑っちゃうくらい言いまくって、それか酔って泣き出したり、賤しい身分の者は、罵りあい、喧嘩して、そりゃ呆れるほどで、怖えーよ
恥ずかしいことだらけで、残念なことばっかりで、挙げ句の果てに許可のない物を勝手に取ったり、縁側から落ちたり、馬や牛車から落ちるとか、失敗ばっかりしちゃうの
乗り物に乗らない身分の者は、大路をよろよろ歩いて、築土や門の下とかに向かって、言えんようなこと(!)をやり散らかし、年取った袈裟をかけた法師が、小坊主の肩をおさえて、ワケのわからんこと言いながら、よろよろしてるのは、かわいそすぎて見てらんねーさ

こんなことをしても、この世でも、来世においてもメリットがあることだったら、仕方ない
でもこの世では酒による間違いはいっぱいあって、財産をなくすわ、病気にもかかる
酒は百薬の長とはいうけど、あらゆる病気は酒から起こってるのさ
嫌なことを忘れる、とか言うけど、酔ってる人って、過去の辛かったことを思い出して泣いてるようだしな
(酒によって)人としての知恵を失い、善行も火のように焼き尽くしてしまい、悪いことを増やし、(仏教における)すべての戒めを破って、来世は地獄に落ちるに違いねーさ!
「酒を手に取って人に飲ませた人は、五百回、生まれ変わる間ずっと、手の無い者(ミミズとか?魚類とか?)として生れる」って、仏様もお説きになってるってことですねん


----------訳者の戯言---------

手の無い者?
ミミズとかですか? 蛇とかもですか?
広い意味で言えば、類人猿以外の哺乳類も前足と後ろ足ですから、「手」ではないですしね。
犬は「お手」とか言いますけど。
鳥の翼も手ではないですし。
アシカショーでアシカが拍手するあの部分は手ですか?
蟹のハサミは手じゃやないよね、あれはハサミですよね。
仏様が何をイメージしておっしゃったかはよくわかりませんのでね。
ただ、そんなことは実は重要じゃないんですね。すまんすまん。

酔っ払いの醜態を、書きまくりです。
なかなか筆が止まりません、兼好。

さらに、この段③に続きます。意外な展開だが…。


【原文】

人の上にて見たるだに、心憂し。思ひ入りたるさまに、心にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひのゝしり、詞多く、烏帽子ゆがみ、紐はづし、脛高くかゝげて、用意なき気色、日頃の人とも覺えず。女は額髪はれらかに掻きやり、まばゆからず、顔うちさゝげてうち笑ひ、杯持てる手に取りつき、よからぬ人は、肴とりて口にさしあて、みづからも食ひたる、様あし。聲の限り出して、おのおの謠ひ舞ひ、年老いたる法師召し出されて、黑く穢き身を肩ぬぎて、目もあてられずすぢりたるを、興じ見る人さへ。うとましく憎し。或はまた、我が身いみじき事ども、傍痛くいひ聞かせ、あるは醉ひ泣きし、下ざまの人は、罵り合ひ、諍ひて、淺ましく恐ろし。恥ぢがましく、心憂き事のみありて、はては許さぬ物どもおし取りて、縁より落ち、馬・車より落ちてあやまちしつ。物にも乘らぬ際は、大路をよろぼひ行きて、築地・門の下などに向きて、えもいはぬ事ども し散らし、年老い、袈裟かけたる法師の、小童の肩を押へて、聞えぬ事ども言ひつゝ、よろめきたる、いとかはゆし。

かゝる事をしても、この世も後の世も益あるべき業ならば如何はせん。この世にては過ち多く、財を失ひ、病をまうく。百藥の長とはいへど、萬の病は酒よりこそ起れ。憂へを忘るといへど、醉ひたる人ぞ、過ぎにし憂さをも思ひ出でて泣くめる。後の世は、人の智惠を失ひ、善根を燒く事火の如くして、惡を増し、萬の戒を破りて、地獄に墮つべし。「酒をとりて人に飮ませたる人、五百生が間、手なき者に生る」とこそ、佛は説き給ふなれ。


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第百七十五段① 何かあるたびにすぐ酒をすすめて

世の中には納得のいかないことが多いもの
何かあるたびにすぐ酒をすすめて、無理やり飲ませるのを面白いと思ってんのは、なんでやねん!て、ほんま理解できへんわ
飲まされる人の顔は、辛抱できへん感じで眉をひそめて、人の目を盗んで酒を捨てようとしたり、逃げようともするんやけど、これを捕まえて、引き留めて、無理に飲ませてしもたら、ちゃんとした人でも、即、狂人になってカッコ悪いことして、健康な人でも重病人みたいになって、前後不覚になって倒れて寝込んでしまうんや
お祝いごとのある日なんかは、びっくりすることになるに違いねー
翌日まで頭痛はするし、物も食べれず、うめき声を上げて横たわって、(生を隔てた)前世のことだったかのように、昨日のことを覚えてねーし、公私のどっちも大切な用事をすっぽかして迷惑かけちゃう
人をそんな目にあわせるってことは、慈悲の心も欠如してるし、礼儀にも反してるよな
こんな辛い目に会うた人は、恨めしかったり、残念やって思わへんのやろか
他国にこんな習慣(酒の無理強い)があるらしいって、事情を知らん外国の人がもし伝え聞いたら、ミステェェリアス!アメェェイジング!って思うに違いないな


----------訳者の戯言---------

時々出てくる長い段です。

今回は酒がテーマですね。酒の功罪について書いてます。
しかし、これだけさんざん書いているということは、言いたいことが相当あったってことでしょう。
酒、酔っ払い等々、彼はかなり嫌な思いをしたのだろうとも想像できますね。

これまでにもお酒については、第五十三段で、酔っぱらったお坊さんが足鼎っていう鍋みたいなものをふざけて被って踊ったりしてたらとんでもないことになった話もありましたし、第八十七段では馬を引くとんでもない酒乱気味の人の話がありました。
第百十七段では友だちにしたらあかん者の一つとして「酒好きな人」を挙げてますしね。

さて、訳すときに引っかかったのは「によひ臥し」の「にほふ」で、「呻吟ふ」とか「吟ふ」とか書くらしいです。
呻(うめ)くこと、だそうですね。
「呻く」っていう漢字さえ知らんかったのに。「によひ臥し」なんか、そもそもわかるわけねー。

本題の「お酒を無理やり飲ませる行為」ですが、所謂アルハラ、アルコールハラスメントですね。
最近はずいぶん少なくなってきましたけど、それでもあるところにはあるようです。
外国がどうのという話も出てきましたが、欧米では、実際ほとんど無いみたいですね。
向こうでは個人の意思が尊重されますから。
ただ、I don't drink alcohol. と最初にはっきりと表明するのが肝要だそうです。
何事もあいまいなのは海外ではダメなのでしょう。

第百七十五段②に続きます。


【原文】

世には心得ぬ事の多きなり。友あるごとには、まづ酒をすゝめて、強ひ飮ませたるを興とする事、いかなる故とも心得ず。飮む人の顔、いと堪へ難げに眉をひそめ、人目をはかりて捨てんとし、遁げむとするを、捕へて、引き留めて、すゞろに飮ませつれば、うるはしき人も、忽ちに狂人となりてをこがましく、息災なる人も、目の前に大事の病者となりて、前後も知らず倒れふす。祝ふべき日などは、あさましかりぬべし。あくる日まで頭 痛く、物食はずによび臥し、生を隔てたるやうにして、昨日のこと覺えず、公・私の大事を缺きて、煩ひとなる。人をしてかゝる目を見すること、慈悲もなく、禮儀にもそむけり。かく辛き目にあひたらむ人、ねたく、口惜しと思はざらんや。他の國にかゝる習ひあなりと、これらになき人事にて傳へ聞きたらんは、あやしく不思議に覺えぬべし。


検:第175段 第175段 世には心得ぬ事の多きなり