徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第五十八段 仏道を極めようという気持ちさえあれば

仏道を極めようという気持ちさえあれば、住むところなんか関係ないと思う。家にいて、人と交流したって、来世の往生を願うのに、何か問題あります?」なんて言うのは、まったく来世のことを知らない人ですね
実際この世をはかなんで、絶対、迷いの境地から抜け出しちゃおうって思うんだったら、どんないいことがあると思って、日々主君に仕えたり、家のための営業のほうをがんばっちゃったりするの?
気持ちっていうのは、環境で変わって行くもんなんやから、回りが静かじゃないと仏道の修行は難しいんですよ

持ってる器量が昔の人には全然及ばなくて、山林に入っても飢えをしのいだり、嵐を防ぐ方法も知らないんだったら、当然生きていかれへんのやから、成り行きで「世を貪る」みたいなことも、もちろん場合によってはあり得るのはわかる
でも、だからと言って「だったら出家した甲斐が無いでしょ。こんなんやったら、なぜに俗世を捨てたんじゃろうかのー」なんてのは、ちょっと違うよーな

さすがに一度仏の道に入って俗世を離れた人っていうのは、仮に欲望があっても、俗世のイケイケな人の欲深さの度合いとは比べものにはなりませんね
紙の掛け布団、麻の衣服、一鉢だけのご飯、藜(あかざ)の汁物、こんなのにどんだけ費用がかかります? かからんでしょ
求めるものが簡単に手に入るものなんで、心だってすぐ満たされちゃうんですよね
で、僧侶の格好をしてると恥ずかしいように思うとこもあるんで、欲が多少あると言ったって、悪いことはできないし、善に近づくことだけが多くなってくるんですわ

人として生まれた証拠として、なんとかして出家隠遁することこそ理想的!
やたらと貪ることばっかりに一生懸命で、悟りの境地なんて全然求めようとしないなんてのは、他の動物たちと何にも変わらないじゃないですか


----------訳者の戯言----------

他の動物たちに失礼。みんな頑張って生きてるぞ。

さて、今は麻のシャツとかジャケットとか、まあまあ高い。おしゃれとも言われます。
しかし、当時はやっぱり貴族や僧侶は絹織物の着物が主流だったんですね。木綿はあまり国内では生産されず、戦国時代くらいまでは輸入メインだったらしい。もちろんウールなんて、もっともっと後ですし。

つまり、庶民の服はやはり麻だったんですね。
先にも書いたとおり、麻は夏物にはいいんだけど、冬は寒いですよね、どっちかと言うと。
庶民は年中、麻の着物。で、隠遁した僧侶は、粗末な着物=麻だったわけですね。

道を追求するには、環境や見かけを変えることが必要だよね、ってことかな。


【原文】

「道心あらば住む所にしもよらじ、家にあり人に交はるとも、後世を願はむに難かるべきかは」と言ふは、更に後世知らぬ人なり。げにはこの世をはかなみ、必ず生死を出でむと思はむに、何の興ありてか、朝夕君に仕へ、家を顧る營みの勇ましからん。心は縁にひかれて移るものなれば、靜かならでは道は行じがたし。

その器物、昔の人に及ばず、山林に入りても、飢をたすけ、嵐を防ぐよすがなくては、あられぬわざなれば、おのづから世を貪るに似たる事も、便りに觸れば、などか無からん。さればとて、「背けるかひなし。さばかりならば、なじかは捨てし」などいはんは、無下の事なり。さすがに一たび道に入りて、世をいとなむ人、たとひ望みありとも、勢ひある人の貪欲多きに似るべからず。紙の衾、麻の衣、一鉢のまうけ、藜の羮、いくばくか人の費をなさむ。求むる所はやすく、その心早く足りぬべし。形に恥づる所もあれば、さはいへど、惡には疎く、善には近づくことのみぞ多き。

人と生れたらんしるしには、いかにもして世を遁れむ事こそあらまほしけれ。偏に貪ることをつとめて、菩提に赴かざらむは、よろづの畜類にかはる所あるまじくや。

 

検:第58段 第58段 道心あらば、住む所にしもよらじ 道心あらば住む所にしもよらじ

第五十七段 和歌のとこが下手だった時は

誰かが語り出した歌物語で、和歌のとこが下手だった時はがっかりだよ
ちょっとぐらいでも和歌の道を知っている人だったら、こんなのダメだと思って披露しないでしょ

何事も、あまり知らない分野の話をするなんてのは笑っちゃうし、聞き苦しいよね


----------訳者の戯言----------

ですよねー。
あんまり知らないことを得意げにやっちゃダメ。
って言われちゃったよ。
すみません。私のことですね。


【原文】

人のかたり出でたる歌物語の、歌のわろきこそ本意なけれ。すこしその道知らん人は、いみじと思ひては語らじ。

すべていとも知らぬ道の物がたりしたる、かたはらいたく聞きにくし。

 

検:第57段 第57段 人の語り出でたる歌物語の、歌のわろきこそ

第五十六段 久々に会った人が

長い間会ってなくて久々に会った人が、自分のほうにあったことを、数々、めっちゃ細かく喋り続けるのってどーよ
親しく付き合ってた人でも、しばらくぶりなんだからさ、ちょっとは遠慮したりするもんとちゃうかな

教養、品性に欠ける人は、たまのお出かけでもしようものなら、今日あった事!とか言って、息つく間も無いくらいおしゃべりを楽しんでるよね

教養、品性の高い人が話す時は、人は多くいても、一人だけに向かって話してるのに、自然と周りの人も聞き入ってしまうんですよ
ダメな人は、誰にっていうのでもなく、大勢の中に出て行って、目の前で見てるかのように喋りまくるんで、みんな同じように笑って騒ぐの
めちゃくちゃ騒々しい
おもしろい事を言ってもさほどおもしろがらないのと、オモロない事を言ったのにめっちゃ笑うのとでは、品性の程度がほんとわかっちゃうよね

人のルックスの良し悪し、教養のある人がその事なんかを、お互いに話し合ってる時に、自分の経験とか自分の身の上とかを引き合いに出して語るのは、かなり見苦しいですね


----------訳者の戯言----------

そんな、細かい話いらんし。
とか、
教養のある人の話って、全員に必死に話さなくても、みんな惹き付けられるよねー。
とか、
たいしてオモロイこと言うてへんのに笑いすぎはアカン。
とかですね。

なーんか自分のことに話がすり替わってて「俺が俺が」になってるの、しかも小自慢が入ってるのは見苦しい、聞き苦しい。
実感。

この段の難解なところは、
「をかしき事をいひてもいたく興ぜぬと、興なき事をいひてもよく笑ふにぞ、品のほどはかられぬべき」
なんですが、
①面白いことを言ってもさほど面白がらないのと、面白くないことを言ったのにめちゃ笑うのは、(比べたら、どっちが程度が高いのか自ずと)品格がわかるよね
②面白いことを言ってもさほど面白がらないし、面白くないことを言ったのにめちゃ笑うって、(そんな程度なんだと)品格がわかるよね
の①or②のどちらなんでしょう?
専門家の方、詳しい方いらっしゃいましたら、誰か教えてください。よろしくお願いします。


【原文】

久しく隔たりて逢ひたる人の、わが方にありつる事、數々に殘りなく語り續くるこそあいなけれ。隔てなく馴れぬる人も、程経て見るは、恥しからぬかは。次ざまの人は、あからさまに立ち出でても、今日ありつる事とて、息もつぎあへず語り興ずるぞかし。よき人の物語するは、人あまたあれど、一人に向きて言ふを、自ら人も聽くにこそあれ。よからぬ人は、誰ともなく、數多の中にうち出でて、見る事のやうに語りなせば、皆同じく笑ひのゝしる、いとらうがはし。をかしき事をいひてもいたく興ぜぬと、興なき事をいひてもよく笑ふにぞ、品のほどはかられぬべき。

人の見ざまのよしあし、才ある人はその事など定めあへるに、おのが身にひきかけていひ出でたる、いとわびし。

 

検:第56段 第56段 久しく隔りて逢ひたる人の、我が方にありつる事

第五十五段 家の作りは、夏を中心に

家の作りは、夏を中心に考えたほうがいいですね
冬はどんな所にでも住めます
暑い頃、悪い住まいだと、堪えられないもんですよ
庭の小川も深い水は涼しい感じがしないです
浅く流れるのがずっと涼しげですね
遣戸の部屋は、開口部が蔀(しとみ)になってる部屋よりも明るいですわな
天井の高いのは、冬寒くて、灯りも暗いです
宅建築について言うと、用の無いものを盛り込んでるのが、見ても面白くて、いろいろなことに利用できていい、というのが建築デザイン業界の共通認識でしたね


----------訳者の戯言----------

住宅論。
さすが兼好法師、幅広いです。

エアコンなかったら、夏の暑さはどうしようもないということですね。冬は着るものとか暖房とかでなんとかなるけどね。

遣戸というのは引き戸の部屋で、外に向いてる側の扉が、蔀というのはたいてい下半分が固定になってて、開けたいときには上半分を外に垂直に引っ張り上げて留めたりしてたようですね。
となると、引き戸を開放するほうが当然明るいわけですね。蔀戸は結構重たかったし、開け閉めがめんどうだから、というのもあったかもしれない。その後、日本の住宅の開口部は、扉も窓も引き戸になっていくわけで、そう考えると理にはかなっていますね。
ちなみに第三十二段で出てきた「妻戸」っていうのは玄関の扉で、どうも今で言う西洋風のドアの方式だったみたいですね。

最後のところはユーティリティ・スペースということですか。多目的スペースってことですかね。不動産用語で言うと、2SLDKとか3SLDKのSの部分、サービスルームとか納戸というようなところでしょうか。最近は書斎のようなスペースをDENなどとおしゃれ風に呼んだりもしますね。そういう感じなんかな。


【原文】

家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き頃わろき住居は、堪へがたき事なり。

深き水は涼しげなし。淺くて流れたる、遙かに涼し。細かなるものを見るに、遣戸は蔀の間よりも明し。天井の高きは、冬寒く、燈暗し。造作は、用なき所をつくりたる、見るもおもしろく、萬の用にも立ちてよしとぞ、人のさだめあひ侍りし。

 

検:第55段 第55段 家の作りやうは、夏をむねとすべし 家の作りやうは夏をむねとすべし

第五十四段 面白くしようとしすぎしたら、絶対スベる

仁和寺、俗に言う御室に、かわいい稚児さんがいたんで、なんとかして誘い出して遊ぼうと画策する坊さんたちがいて
芸達者な遊び専門の僧侶なんかも仲間に引き入れて、おしゃれな弁当箱的なものを熱心に作り込んで、箱みたいなのにちゃんと入れて、寺の南側にある双(ならび)の丘の、ちょうどいい感じの所に埋めて、上に紅葉を散らして、人が気づかないようにしておいてから、仁和寺の御所に参って、稚児をそそのかして連れ出したんです

やったーと思って、ほうぼうを遊び回って、前もって仕掛けをした苔がびっしり生えてる所に並んで座って「あーめちゃ疲れた」「誰かいい感じに紅葉の焚火してくれへんかなあ」「霊験あらたかな僧侶たちよ、祈ってみてくれー」なんて言い合って、例の物を埋めた目印の木の下で向き合って、数珠をこすり、物々しい感じで印を結んだりとか、大げさにやって、木の葉を払いのけたんだけど、全然なんにも出てこない
あれれ場所間違えたかなーと、掘らない所はもう無いっていうくらい、山を探し回ったけど、結局無かったの

実は埋めているのを人が見てて、御所へ参上してる隙に盗んだのでした
法師たちは言葉もなくなって、聞き苦しいほどの言い合いをして、怒って帰ってしまったよ

あんまり面白くしようとしすぎしたら、絶対スベるよな


----------訳者の戯言----------

それにしても仁和寺の坊主と言ったら、なんでこんな奴ばっかりやねん。
という、このシリーズ第3弾。

まず一つは、かわいい稚児と遊びたい僧侶ってどうよ。ヤバくね? 倫理的にいいのか?
まあ、遊びの内容がたわいもないものなんで、セーフかもしれんけど。その割に大がかり。

そして本題です。
今回は狙い過ぎ、手間かけ過ぎて、コケるというパターン。

関係ないけど、フラッシュモブとかいうやつ、失敗してほしいと思うのは、私の心が汚れてるからかな。


【原文】

御室に、いみじき兒のありけるを、いかで誘ひ出して遊ばむと企む法師どもありて、能あるあそび法師どもなど語らひて、風流の破籠やうのもの、ねんごろに營み出でて、箱風情のものに認め入れて、雙の岡の便りよき所に埋み置きて、紅葉ちらしかけなど、思ひよらぬさまにして、御所へまゐりて、兒をそゝのかし出でにけり。

うれしく思ひて、こゝかしこ遊びめぐりて、ありつる苔の筵に竝みゐて、「いたうこそ困じにたれ。あはれ紅葉を燒かむ人もがな。験あらん僧たち、いのり試みられよ」などいひしろひて、埋みつる木のもとに向きて、數珠おしすり、印ことごとしく結びいでなどして、いらなくふるまひて、木の葉をかきのけたれど、つやつや物も見えず。所の違ひたるにやとて、掘らぬ所もなく山をあされども無かりけり。埋みけるを人の見おきて、御所へ參りたる間に盜めるなりけり。法師ども言の葉なくて、聞きにくくいさかひ腹だちて歸りにけり。

あまりに興あらむとすることは、必ずあいなきものなり。

 

検:第54段 第54段 御室に、いみじき児のありけるを 御室にいみじき児のありけるを

第五十三段 足鼎を頭にかぶったら

これも仁和寺の僧侶の話なんですが、小僧さんが僧侶になるんで思い出にってことで、みんなで余興してたんだけど、酔っぱらってはしゃぎすぎて、そばにあった足鼎を頭にかぶったら、ぴったり感があったんで、鼻をぺたんこにして、顔を突っ込んで踊ったら、そこにいたみんなにめっちゃうけたのよ

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が、しかし
しばらく踊ってから、抜こうとしたら、全然抜けないの
宴席はすっかり興ざめしてしまって、どうしようどうしようと困惑状態
で、いろいろしてたら、首のまわりから血が出てきて、めっちゃ腫れて、息もつまってきたんで、叩き割ろうとするんやけど、簡単には割れへんし
で、ガンガンに響いて我慢できないけれども、思うようにもならず、どうしようもなくなって、鼎の三本足の角の上に布をかけて、手を引いて杖をつかせて、京都の医者のところに連れて行ったんやけど、道々、人がめっちゃ怪しんで見てました
医者のところに行って、向き合った様子は、ほんまさぞかし異様だっただろうね
何か言っても、くぐもった声が響くだけで何言ってるかわからないわけでしょ
「こんなのは本でも見たことが無い。伝えられてる治療法も無いですねー、処置なし」と言われたんで、また仁和寺に帰って、親しい人や年老いたお母さんなんかが枕元に寄って泣いて悲しむんだけど、聞いてるのかどうかもわからんわけですよ

そうこうしてるうちに、ある者が言うには「もし耳や鼻が切れて無くなっても、命まではとられへんし、ただただ力をいっぱい引っ張りなさいよ」と言うんで、藁しべを周りに差し込んで金属部分を隔てて、首もちぎれるくらいに引っぱったら、耳と鼻がちぎれて穴が開きながら抜けました
なんとか一命は取りとめたんだけど、その後は長く病に臥せってたみたいです


----------訳者の戯言----------

足鼎、「あしがなえ」と読みます。金属製のお湯を沸かしたりする器らしいです。

めちゃくちゃな寺、そして悪ノリ坊主、その後、急展開で悲惨な状況。
笑っていいのか、それとも…

スラップスティックかはたまたスプラッターなのか。

 

【原文】

これも仁和寺の法師、童の法師にならむとする名殘とて、各遊ぶことありけるに、醉ひて興に入るあまり、傍なる足鼎をとりて頭にかづきたれば、つまるやうにするを、鼻をおしひらめて、顔をさし入れて舞ひ出でたるに、滿座興に入ること限りなし。

しばし奏でて後、拔かむとするに、大かた拔かれず。酒宴ことさめて、いかゞはせむと惑ひけり。とかくすれば、首のまはり缺けて血垂り、たゞ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、うち割らむとすれど、たやすく割れず、響きて堪へがたかりければ、叶はで、すべき樣なくて、三足なる角の上に、帷子をうちかけて、手をひき杖をつかせて、京なる醫師の許、率て行きけるに、道すがら人の怪しみ見る事限りなし。醫師の許にさし入りて、むかひ居たりけむ有樣、さこそ異樣なりけめ。物をいふも、くゞもり聲に響きて聞えず。「かゝる事は書にも見えず、傳へたる教へもなし」といへば、また仁和寺へ帰りて、親しきもの、老いたる母など、枕上により居て泣き悲しめども、聞くらむとも覺えず。

かゝる程に、或者のいふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらむ、たゞ力をたてて引き給へ」とて、藁の蒂をまはりにさし入れて、金を隔てて、首もちぎるばかり引きたるに、耳鼻缺けうげながら、拔けにけり。からき命まうけて、久しく病み居たりけり。

 

検:第53段 第53段 是も仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて これも仁和寺の法師童の法師にならんとする名残とて これも仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて

第五十二段 石清水八幡宮を参拝

仁和寺にいる法師が、年を取るまで石清水八幡宮を参拝したことがなかったので、これではいかんと、ある時思い立って、ただ一人歩いて参詣したんです
極楽寺、高良明神などを拝んで、これで終わりと思って帰ってきましたの

で、知り合いに会って、「長年思っていたことを実現しましたよ。聞いてた以上に、すごい尊かったよ。それにしても、お参りする人がみんな山に登ってるっていうのは、何ごとがあるんだろう。興味はあったけど、神にお参りするのがまず本来の目的と思って、山までは見なかったんですよねー」と言ったのです

ちょっとしたことにでも、案内人はいて欲しいですよね


----------訳者の戯言----------

オチ、なんとなく想像はつきますが…。

そう!そのとおり。
実は山の上に本殿があるのだ。山の麓にある極楽寺というのは「神宮寺」と言って、ま、難しい言い方をすれば日本独特の神仏習合の考えに基づいており、神社の付属施設として寺院があるなんていうのは普通なのですね。また、高良明神は摂社です。摂社っていうのは大きな神社の境内とか近くにある小さな神社のことですね。支店みたいなものですか。

ちょっと小馬鹿にした感じになっています。兼好、いかんな!


【原文】

仁和寺に、ある法師、年よるまで石清水を拜まざりければ、心憂く覺えて、ある時思ひたちて、たゞ一人徒歩より詣でけり。極樂寺・高良などを拜みて、かばかりと心得て歸りにけり。さて傍の人に逢ひて、「年ごろ思ひつる事果たし侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも參りたる人ごとに山へのぼりしは、何事かありけむ、ゆかしかりしかど、神へまゐるこそ本意なれと思ひて、山までは見ず。」とぞ言ひける。

すこしの事にも先達はあらまほしきことなり。

 

検:第52段 第52段 仁和寺にある法師、年よるまで、石清水を拝まざりければ 仁和寺にある法師年よるまで石清水を拝まざりければ

第五十一段 専門家というのは、すばらしい

亀山殿の御池に、大井川の水を引き入れようということで、大井の地元の民に命じて、水車を作らせられました
莫大な金銭を投じて、数日かかって造営して動かしたんだけど、全然回らないので、いろいろと手直ししたものの、結局回らず、そのまま放置

で、宇治の里の人に来てもらって作らせたら、簡単に作って献上したんだけど、思ったとおり回って、うまく水を汲み入れることができたのね
何事も、その道を知ってる専門家というのは、すばらしいものです


----------訳者の戯言----------

で、そもそも亀山殿って何よ。って話なんですが、京都の嵯峨とか亀山とかのあたりにあった、離宮だというんですね。天皇上皇の御屋敷、御所といってもいいです。ま、京都には御所があるから、あれとは別の御所というか。そんな感じですかね。
亀山殿なんて言われると、亀山天皇、つまり後の亀山上皇=亀山法皇のことかなーと思いますし、実際、ここで政治を執り行っていたらしいです、亀山天皇。ただ、亀山殿を造らせたのは父親で2代前の天皇後嵯峨天皇上皇だった時らしいです。亀山法皇は今の南禅寺のあたりにも離宮をつくらせたらしいですね。

ま、徒然草が書かれたのが、おおよそ1330年頃と言われてますから、今回の話は後醍醐天皇の頃でしょうか。もしかするとそれより前の天皇の時代かもしれません。

話がそれました。
宇治。いきなり感ハンパないですが、水車の名所として知られていたらしい。だから、当時は宇治といったら水車だったわけですね。

素人に任せたら、金とか労力無駄だろーがよ。やっぱ専門家はすげーよ、って話です。はい。


【原文】

龜山殿の御池に、大井川の水をまかせられむとて、大井の土民に仰せて、水車を作らせられけり。多くの錢を賜ひて、數日に營み出してかけたりけるに、大方廻らざりければ、とかく直しけれども、終に廻らで、徒らに立てりけり。さて宇治の里人を召してこしらへさせられければ、やすらかに結ひて參らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入るゝ事、めでたかりけり。

萬にその道を知れるものは、やんごとなきものなり。

 

検:第51段 第51段 亀山殿の御池に、大井川の水をまかせられんとて

第五十段 女が鬼になったのを

応長の時代の頃、伊勢国から女が鬼になったのを京都に連れてきたということがあって、その時、二十日ほど毎日、京の白川の人が、鬼見物にといって外出してあちこち出歩いていたんです
それで「昨日は西園寺に参詣してた」「今日は院の御所に参るんじゃないの」「今現在はどこどこにいる」など言い合ってたのね
確かに見たと言う人もなく、でも作り話と言う人もなくて
でも身分の高い者も低い者も、鬼のことばかり話してたんですよ

その頃、東山から安居院のあたりへ出かけた時に、四条より北にいる人がみんな、北を目指して走りました
で、「一条室町に鬼がいる」と大声で言い合ってます
今出川のあたりから見たら、院(上皇)の御桟敷のあたりは、全然人が通れないほど混雑してるんですね
やはり根拠のないことじゃなかったんだ!ということで、人に見に行ってもらったんですが、結局、確かに鬼に遭えたという者はいませんでした
日暮れまでこんな感じで騒いで、ついに喧嘩まで起こって、あきれるようなことでいっぱいだったんです

その頃、一様に、二日三日病気になる人があったんですが「あの鬼についての虚言は、この前兆だったんだなあ」なんて言う人もいましたね


----------訳者の戯言----------

結局は噂に過ぎなかったのね。

ま、鬼がいるわけないんですけど。
で、インフルエンザかウィルス性の腸炎かなんかが流行ったんでしょうね、たまたま。


【原文】

應長のころ、伊勢の國より、女の鬼になりたるを率て上りたりといふ事ありて、その頃二十日ばかり、日ごとに、京・白川の人、鬼見にとて出で惑ふ。「昨日は西園寺に參りたりし、今日は院へ参るべし。たゞ今はそこそこに」など云ひあへり。まさしく見たりといふ人もなく、虚言といふ人もなし。上下たゞ鬼の事のみいひやまず。

その頃、東山より、安居院の邊へまかり侍りしに、四條より上さまの人、みな北をさして走る。「一條室町に鬼あり」とのゝしり合へり。今出川の邊より見やれば、院の御棧敷のあたり、更に通り得べうもあらず立ちこみたり。はやく跡なき事にはあらざんめりとて、人をやりて見するに、大方逢へるものなし。暮るゝまでかく立ちさわぎて、はては鬪諍おこりて、あさましきことどもありけり。

そのころおしなべて、二日三日人のわづらふこと侍りしをぞ、「かの鬼の虚言は、この兆を示すなりけり」といふ人も侍りし。

 

検:第50段 第50段 応長の比、伊勢国より、女の鬼になりたるを率てのぼりたりといふ事ありて 応長の比伊勢国より女の鬼になりたるを率てのぼりたりといふ事ありて

第四十九段 年老いてから初めて仏道の修行を

老いてから初めて仏道の修行をしようなどと待っててはいけません
古いお墓の多くは若い人のお墓なんですよ
思いがけず病気になって、たちまちこの世を去ろうかという時になって、はじめて過去の誤りを思い知るものなんだよね
で、この誤りっていうのは他でもなく、急いでやるべきことをゆっくりやり、ゆっくりやるべきことを急いでやってしまった、過去に対する悔しさなわけなんです
そうなって後から悔やんでも、どうにもならないんだけどね

人は、いつまでも今のままでなく、いつ死が訪れるかもしれない、ということをしっかりと心に留めて、これをちょっとの間も忘れず生きなければいけません
そうしてさえいれば、なんでこの世の濁りが薄まらないことになるかな? いやいや清くなるし! 仏道にも真面目に精進するでしょうしね!

「昔いた聖人は、人が訪ねて来てお互いの用事を言い合ってた時、『今、至急でやらんとあかんことがあって、すぐ目の前に迫ってるんや』と、急にこう答えて、耳を塞いで念仏を唱えて、ついにそのまんま往生を遂げたのです」と、禅林寺の高僧が書いた「往生十因」にも載ってますよ

また、心戒という聖人は、あまりにもこの世がはかないと思って、静かに座っている間さえなく、いつもうずくまってばかりいたらしいんだよね

 

----------訳者の戯言----------

だいたい、古語っていうのは、反語表現が多いでしょ。
「どうして〇〇〇することがあるだろう? いや、無い」とか
「どうして〇〇が〇〇〇でないことがあるだろう。いや、そのとおりだ」
みたいな。まどろっこしいな。はっきり言えよ!
とは思うのですが、ま、こういう修辞法も日本語のいいところですか?

さっと読む分にはまあ、いいとしても、訳してるとやっぱりめんどう臭い。
現代に生まれてよかったなとほんと、思います。

本題ですが、世は無常であって、これをいつも肝に命じて日々仏道に勤めましょうよ、ってことですか?
ちょっと兼好法師も、まどろっこしいんですよね、今回。


【原文】

老來りて、始めて道を行ぜんと待つ事勿れ。古き墳、多くはこれ少年の人なり。はからざるに病をうけて、忽ちにこの世を去らんとする時にこそ、はじめて過ぎぬる方のあやまれる事は知らるなれ。誤りといふは、他の事にあらず、速かにすべき事を緩くし、緩くすべきことを急ぎて、過ぎにしことの悔しきなり。その時悔ゆとも、甲斐あらんや。

人はたゞ、無常の身に迫りぬる事を心にひしとかけて、束の間も忘るまじきなり。さらば、などか、此の世の濁りもうすく、佛道を勤むる心もまめやかならざらん。

「昔ありける聖は、人来たりて自他の要事をいふとき、答へて云はく、『今、火急の事ありて、既に朝夕にせまれり』とて、耳をふたぎて念佛して、終に往生を遂げけり」と、禪林の十因に侍り。心戒といひける聖は、餘りにこの世のかりそめなることを思ひて、靜かについゐける事だになく、常はうづくまりてのみぞありける。

 

検:第49段 第49段 老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ 老来たりて始めて道を行ぜんと