徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

おしらせ

徒然草」に続いて、このたび「枕草子」を読みはじめました。
枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる というブログで記事を少しずつアップしています。
よろしければご覧ください。

読了しました

徒然草」読み終わりました。
去年(2017年)の10月11日に読みはじめましたから、3カ月半ほどかかったことになります。(ちなみに序段(冒頭文)はこんな感じでした。)

徒然草を読むことにしたのには、それほど大層なモチベーションもなく、ほとんど思いつきに近いものでした。
実は、徒然草については、学校で習ったのと、何か別の読み物を読んだ時に引用されていた話くらいしか知らず、ちゃんと通して読んだことはありません。
ただ、自分の印象としては変わり者のお坊さん、という体(てい)の吉田兼好、そして徒然草という随筆にもなんとはなしに興味を持ってはいました。

現代語訳、というと大層に見えますが、そもそもは、自分が「徒然草」を読むだけのつもりだったことに間違いはありません。
最近は本もあまり読まなくなっていましたし、古典でも読もうか、という気持ちではじめたことです。もちろんブログで訳文を公開するつもりもありませんでした。

しかし他の人が書いた訳文を少し読むと、結構直訳的、教科書的であったり、逆に意訳というか超訳というか、訳者の個性がすごく出ているものであったりして、それはそれぞれ良いものなのですが、帯に短し襷に長しというか、どちらも自分には少し違和感があるというか、しっくりはしないものではありました。
とは言うものの、残念ながら自分には原文をダイレクトに理解できる知識や能力はありませんし、結局は、原文を自分で少しずつ訳しながら読んでいくしかありません。

ただ、読むからには、ある程度の内容は理解したいですし、そのためには自分の頭にスムーズに入ってくる感じに噛み砕く必要もあります。
話の背景も少しは知っておかないと、面白さもわかりづらいです。
そう考えると、調べたこととか、自分で部分的に訳したものを、何らかのメモに留めていったほうが、格段に読み進めやすくなります。
せっかくなので、「ここまで読んだ」という栞も残したいし、読後の感想なんかも書き留めておいたほうがいいのではないか、そう考えるようになりました。
そこで、自分の記録としてブログに残すことにしたわけです。
ですから、このブログは、ほんとうに元々は、自分のためのメモの延長ということになります。

とは言っても、ブログとなると、今度は人に読まれる可能性も出てきます。
それほど多くの方ではないにしても、ある程度は「読み手」も意識して書くことになって、少しですが緊張感も出てきました。

訳については、表現方法は現代風にはしていますが、内容はできるだけ直訳に近くすることを心がけました。
それが作者の意図に至る近道だと思いますし、素人はまずそこからです。

結果としては、自分なりに、そこそこ楽しんで読めましたし、このブログもはじめから順に読んでいただくと、たぶん面白さは倍加すると思います。
もちろん興味のあるところだけ、試しに、という感じでも、面白いものはありますし、教科書に載っていないことも多少は書いていますから、参考資料の一つとして見ていただいてもいいかもしれません。

「面白い」というのは、原典がいろんな意味で面白いからに他なりません。
兼好法師のロジックやセンスの中には、もちろん同意できるものもありますが、変な話とか、自分とは違う困った考え方なんかも出てきます。
兼好という変わった友だちがいて、その話にツッコミを入れたり、からかったり、共感したり、適当にスルーしたりしながら、つきあってきたという感じでしょうか。

さて、とりあえず一段落しましたから、もう一度、最初から読み直してみようかとも思います。
気になるところは改稿したり、時事ネタを入れてしまったところもあるので、それはまた、削除すべきか、残すか、なども再考しながらになるでしょう。
誤字や脱字、文法の誤りなどもあると思いますので、それもチェックしていくつもりです。

最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。
はじめてご覧いただいた方、何度か立ち寄っていただいてる方、ありがとうございます。
ぜひまたお越しください。
(2018年1月27日)
(2018年2月16日 改稿)
(2018年3月13日 再更新)

第二百四十三段(最終段) 八歳になった時、父に質問して

八歳になった時、父に質問してこう言ったの
「仏はどういうものでございましょうか?」って
それに父が答えて言ったのが
「仏には人がなったんだ」と

で、私また質問、
「人はどうやって仏に成りましたんでしょう?」ってね
父はまた、
「仏の教えによってなったんだ」と答えたの

また、私はこう質問、
「その教えられた仏を、何者が教えましたのでしょうか?」と
父がまた答えたのは、
「それもまた、その前の仏の教えによって、仏におなりになったのよ」とね

またまた私、質問して、
「その教えを始めなさった第一の仏は、どんな仏でございましたか?」って言った時、
父は、
「空から降ってきたんかな? 土から湧いてきたんかな?」と言って、笑ったの

「問い詰められて、よう答えませんでしたわ」と、父はいろいろな人に語って面白がったんだって


----------訳者の戯言---------

ついに最終段です。

兼好の父、卜部兼顕という人は、吉田神社神職であり、治部省という役所の少輔も務めたそうです。
卜部氏というのは代々神職の家柄だったようで、嫡流は兼好より後の時代に吉田家と称するようになった、とウィキペディアに書いてありました。
それで、江戸時代以降、「吉田兼好」と言われるようになったのですが、兼好法師自身は自分のことを「ワシは吉田兼好じゃ」と名乗ったわけではありません。

あくまでも、僧侶「兼好(けんこう)」であり、出家前の本名は「卜部兼好(うらべかねよし)」です。
名前の読み方は違います。
兼好の場合、字が同じなのは、たまたまというか、なぜかはわかりませんが、多くの僧侶は本名(俗名)と法名は違う名前なのが普通ですね。
だから、この「徒然草」を書いた時は自称、他称ともに「兼好」もしくは「兼好法師」でよかったはずです。

元々は、兼好というのは神社の家の子だったわけですね。
当時は神職にある人の家庭で、仏様について何気に語るというのも、普通にあったようです。今も概ねそうかもしれませんが。
まさに神仏習合の思想が浸透している日本ならではです。
兼好に至っては出家してますから、何をかいわんやですね。
でも、皇族の親王さまたちもクリスマス的なのはやるみたいですから、いいんです、それが日本です。

子どもの時から、なかなか聡明なというか、追究心あふれる子であったと。
そういうお話で結んでいます。
あまり自分のことは語らなかった兼好ですが、最後はこんな感じで締めくくりましたね。


【原文】

八つになりし年、父に問ひて云はく、「佛はいかなるものにか候らん」といふ。父が云はく、「佛には人のなりたるなり」と。また問ふ、「人は何として佛にはなり候やらん」と。父また、「佛のをしへによりてなるなり」とこたふ。また問ふ、「教へ候ひける佛をば、何がをしへ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、さきの佛のをしへによりてなり給ふなり」と。又問ふ、「その教へはじめ候ひける第一の佛は、いかなる佛にか候ひける」といふとき、父、「空よりや降りけん、土よりやわきけん」といひて、笑ふ。

「問ひつめられて、え答へずなり侍りつ」と諸人にかたりて興じき。


検:第243段 第243段 八になりし時、父に問ひて言はく

第二百四十二段 逆境(不幸)か順境(幸福)かに左右されてしまうのは

いつまで経っても、逆境(不幸)か順境(幸福)かに左右されてしまうのは、ひとえに苦楽のためだよ
「楽」っていうのは、好み愛することなんだ
これを求めはじめたら尽きることがない
願い欲するものっていうと、まず1番目は名誉欲だよね
で、名誉にも二種類あって、それは「生き方における名声」と「学問や芸能における名声」なんだ
そして、2番目には色欲、3番目には食欲だよ
あらゆる願望で、この名誉欲、色欲、食欲の三つに勝るものはない
この三つは真実を真っ向から否定する考えから起こるものであって、多くの苦悩を伴うものだよ
求めないのに越したことないね


----------訳者の戯言---------

第百二十三段では衣食住+医で合わせて四つが人にとっての最重要事項って書いてた気が…。
色欲も否定してるけど、つい2コほど前の段では恋愛マスターでしたしね。
徒然草を書き始めた頃、第三段では「色好まざらん男は、いとさうざうしく」って書いてましたし。で、第八段では、色欲はどうしようもないもの、久米の仙人も女子の生足を見て神通力を失った、とか、第九段で女子の色香には迷うもの、とも書いてました。
自己矛盾、朝令暮改兼好法師の得意とするところですが、もはやよくわかりません。

しかし、そもそも、食欲、色欲っていうのは人間の本能ですからね。
今回、本能を完全否定してます。
真実に逆行するものなんだって。

仏教思想ではよく五欲がどうやらとか六根清浄でどうのとか言われますし、世俗的な欲望を修行、つまり理性によってコントロールせよってことなんでしょうか。

腑には落ちないけど、兼好なんでね。
仕方ないですね。


【原文】

とこしなへに、違順につかはるゝ事は、偏に苦樂の爲なり。樂といふは好み愛する事なり。これを求むる事 止む時無し。樂欲するところ、一つには名なり。名に二種あり。行跡と才藝との誉なり。二つには色欲、三つには味なり。萬の願ひ、この三つには如かず。これ顛倒の相より起りて、若干の煩ひあり。求めざらむには如かじ。


検:第242段 第243段 とこしなへに違順に使はるる事は とこしなへに、違順につかはるる事は とこしなへに、違順に使はるる事は

第二百四十一段 満月はまんまるで

満月はまんまるで、だけどそれは、ほんのちょっとの間もそのまんまじゃなく、すぐ欠けてしまうんだ
でも注意散漫な人は、一晩のうちにそこまで変わっちゃう様子にだって、気づかないに違いない
病気が重くなるときも、少しの間も安定しなくてすぐ進行して、気づいた頃には死期がすでにもう間近
でも、まだ病状が深刻じゃなくて、生死にかかわるような事態にもなってないうちは、世の中が平和で穏やかな日常が続くって思いこんでて、生きてる間に多くのことを達成した後で、心静かに仏教の修行すればいいと思ってたんだろうけど、病気にかかっていよいよ死にそうな時、実は「所願(=願い)」がまだ一つも達成できてなくて
でも今さら言ってもどうしようもないし、長年の怠慢を後悔して、
「この後もし病気が治って命をまっとうできたら、昼夜にかかわらず、この事もあの事も、怠らずやり遂げよう」
って、奮い立たせるんだけど、またすぐ病状が悪化したら、自分を見失って、取り乱した挙句に死んじゃうんだ
この類の人が世の中には多いんだろうね
そのことを、まず人々はすぐに心に留めるべきなんだよ

「所願」を達成した後で、余裕があったら仏道修行に向かおうと思ってるんだとしても、「所願」なんて尽きるもんじゃない
幻のような人生の中で、いったい何を達成しようっていうの?
すべて「所願」はどれも、正しくない考えなんだ
「所願」が心に起こったら、そんな誤った考えを持った心が、戸惑わせ心を乱すんだということをちゃんとわかって、「所願」なんか一つだって実現させてはいけないんだよね
すぐに一切を投げ捨てて仏の道に向かう時、差し障りも、無駄なアクションもなくなって、心と体は永く穏やかになるのさ


----------訳者の戯言---------

夢とか目標とか一切持っちゃダメ。
そういうのは、悪い考え。
すぐに仏教の修行へ。

という、結構強引でめちゃくちゃな主張。

そこまでせんとあかんのか?

月の話かと思いきや、うまいこと仏教の修行の話に持っていくあたり、さすが兼好法師です。
この期に及んで結局結論、またもやそれか!?


【原文】

望月の圓なる事は、暫くも住せず、やがて虧けぬ。心とゞめぬ人は、一夜の中に、さまで變る樣も見えぬにやあらん。病のおもるも、住する隙なくして、死期すでに近し。されども、いまだ病急ならず、死に赴かざる程は、常住平生の念に習ひて、生の中に多くの事を成じて後、しづかに道を修せむと思ふ程に、病をうけて死門に臨む時、所願一事も成ぜず。いふかひなくて、年月の懈怠を悔いて、この度もしたち直りて命を全くせば、夜を日につぎて、この事かの事、怠らず成じてんと、願ひをおこすらめど、やがて、重りぬれば、われにもあらず、とり亂して果てぬ。この類のみこそあらめ。この事まづ人々急ぎ心におくべし。

所願を成じてのち、いとまありて道にむかはむとせば、所願盡くべからず。如幻の生の中に、何事をかなさん。すべて所願皆妄想なり。所願心にきたらば、妄心迷亂すと知りて、一事をもなすべからず。直ちに萬事を放下して道に向ふとき、さはりなく、所作なくて、心身ながくしづかなり。


検:第241段 第241段 望月のまどかなる事は

第二百四十段 忍んで会うにも人目がわずらわしくて

忍んで会うにも人目がわずらわしく、暗い中、密やかに会おうにも見張ってる人がたくさんいて、それでも無理してまで通いたい気持ちが、深くしみじみと感じられて、その時々に忘れられないことって多いんだけど、逆にそれが親兄弟に許されて、ただ家に迎えて住まわせてるだけの関係になったら、全然ときめかなくなるんだろうね

生活に困ってる女性が、不似合いな老僧や下品な東国人であっても、裕福な人だったらいいって「誘ふ水あらば(お誘いがあるならば)」なんて言って、仲人が、男の側と女の側のどっちにも気分いいように、うまく言いつくろって、お互いよく知りもしないのに相手を受け入れてしまうなんていうのは、つまんないよ
そんなよく知りもしない二人が、何を話題にして話しかけるっていうの?
(気軽に会うこともかなわない)長い年月のつらさだって「分け来し葉山の」なんて、お互いに語り合う関係の二人なら、言葉も尽きないんだろうけどね

どれも、他人が結婚を取り持つようなのは、なんか不愉快なことが多いだろうさ
紹介されたのがいい女だったとしても、それを気にして、身分が低く、不細工で、年取っている男からしたら、こんなイケてない自分だと、残念ながら彼女の人生を台無しにするだろうって、彼女と向かい合ってても、自らを身分不相応で恥ずかしいものだって卑下しちゃうんだろう
でもそれって、ものすごくつまらない人生になるんじゃないかな

梅の花が香わしい夜の朧月の下でたたずんだり、彼女の家の庭の露をわけ出た所で見る夜明けの空のことも、我が身のことのように感じられない人は、恋愛なんかしちゃいけないんだよ


----------訳者の戯言---------

障害があるほうが燃える、とか。
打算で結婚しても会話不成立だろ、とか。
相手が高嶺の花でも卑下しちゃダメ、彼女に劣等感持つんならためとけ的な。
まるで恋愛マスターみたいなこと書いてます、兼好のくせに。

これまた「わざと」だと思いますけど、この段は序詞とか掛詞とか古典からの引用とか、いろいろな修辞法を使っています。
「しのぶの浦の蜑の」は「見るめ」の序詞で、「くらぶの山」が「暗い」を掛けてたり、ですね。
まあ、日本の古典ならではだと思いますが、訳してると、いきなり意味不明で戸惑うんです。
調べないといけないので、時間もすごくかかります。
めんどくせー。

さて、「誘ふ水あらば」です。
小野小町の「わびぬれば 身を浮草の 根を絶えて 誘ふ水あらば 往なんとぞ思ふ」という歌から引用されてます。
意味は上にも書きましたが、「お誘いいただけるなら」みたいな感じです。

小野小町については第百七十三段にも書かれてましたが、実際、生没年とか晩年とか本人自身のことはあまり詳しくはわかっていません。

この小町の歌は、親しかった文屋康秀三河の掾になって「私の担当する田舎の見物に、一緒に行ってくださいませんか?」と言ってきた返事に詠んだ歌だそうです。

全体を訳すと、「わび住まいの憂き身の上なので、浮草のように根を断って、誘ってくれる水があれば、そのまま流れて行こうと思います」くらいの意味です。
浮草には「憂き」の意味もかかってるんですね。

小野小町もそうですが文屋康秀六歌仙の一人だそうで、どっちも有名な歌人です。
で、一見、歌だけ見ると小町は文屋康秀の誘いに応じたかのように見えるんですが、実際にその行動はしていません。
これについて言うと、歌の上だけの、お遊びみたいな返しだったそうです。(戯れ歌と言うらしい)
文屋康秀は本気だったかもしれませんが。

絶世の美女ですからね。
プライドは高かったんでしょうか。
ただ、この歌にもあるとおり、不遇ではあったようで、後に落ちぶれていった逸話なんかも残っているようです。
「わびぬれば」という言葉からも、その途中というか、兆しも感じられます。

これに対して、文屋康秀はトップクラスの優れた歌人ではありましたが、役人としては下のほうの役職だったようですね。
三河の掾というのは、都から遠く離れた田舎へ赴任、しかもその田舎の出張所のナンバー3ですから、こちらも不遇なわけです。

落ちぶれかけてはいるものの、かつて一世を風靡した小町はプライドも高く、下っ端公務員の彼を選ぶことができなかった、ということでしょうか。
年齢ははっきりとはわかりませんが、この頃、小町はアバウトで40歳前後(35歳は確実に超えている)と考えられます。
文屋康秀は同世代のようですね。
だから、逆に小町のほうから身を引いたとも考えられます。
どっちにしても、ちょっとせつないですね。
歌の上ではOKしてるので、かえって、それが本心だったのではないか、と思えたりもして。
私の想像ですけどね。

次に「分け来し葉山の」です。
元ネタは「筑波山 は山しげ山 しげけれど 思ひ入るには さはらざりけり」という、源重之という人の歌だそうです。
筑波山は葉山や木の生い茂った山だらけだけど、あなたを思う私が、そんな、恋の険しい山道に入って行くのには、何にも差し障りないですよ」くらいの意味ですか。
で、この歌を引用して「険しい葉山の山道をかき分けて来た」その苦難の恋愛の日々を表してるんでしょう。

梅の花かうばしき夜の朧月にたたずみ」
「御垣が原の露分け出でん有明の空」
この二つは古典がネタ元になっています。
詳細は省きますが、「梅の花」のほうは「伊勢物語」、「御垣が原」は「源氏物語」だそうです。
どっちも超メジャー級の文学作品ですが、それぞれのワンシーンのようですね。
だから、当時そこそこ一般教養がある人とか、多少本を読んでる人だったらすぐわかる、ってことでしょう。
ああいうシーンを、自分のことみたいに投影して共感できない人は、恋愛沙汰に関わらんほうがいいでしょ、って書いてます。

何回も言うようですけど、兼好、恋愛マスターみたいに語る、語る。
柴門ふみとか瀬戸内寂聴みたいな感じですか。
そういえばどっちも同郷なんだよな私。


【原文】

しのぶの浦の蜑のみるめも所狹く、くらぶの山も守る人しげからんに、わりなく通はむ心の色こそ、淺からずあはれと思ふふしぶしの、忘れがたき事も多からめ。親・はらからゆるして、ひたぶるに迎へすゑたらむ、いとまばゆかりぬべし。

世にあり侘ぶる女の、似げなき老法師、怪しの東人なりとも、賑ははしきにつきて、「誘ふ水あらば」など云ふを、仲人、いづかたも心にくきさまに言ひなして、知られず、知らぬ人を迎へもて來らむあいなさよ。何事をかうち出づる言の葉にせむ。年月のつらさをも、「分けこし葉山の」などもあひかたらはむこそ、つきせぬ言の葉にてもあらめ。

すべて、よその人のとりまかなひたらん、うたて、心づきなき事多かるべし。よき女ならんにつけても、品くだり、みにくく、年も長けなむ男は、「かく怪しき身のために、あたら身をいたづらになさんやは」と、人も心劣りせられ、わが身はむかひ居たらんも、影はづかしくおぼえなん。いとこそ、あいなからめ。

梅の花かうばしき夜の朧月にたゝずみ、御垣が原の露分け出でむありあけの空も、わが身ざまに忍ばるべくもなからむ人は、たゞ色好まざらむにはしかじ。


検:第240段 第240段 しのぶの浦の蜑の見るめも所せく

第二百三十九段 八月十五日、九月十三日は、婁宿の日である

八月十五日、九月十三日は、婁宿の日である
この宿(日)は、清く明らかなので、月を愛でるのにふさわしい夜になるんだよ


----------訳者の戯言---------

婁宿(ろうしゅく)っていうのは、月の見かけの通り道である白道を、27のエリア(星宿=星座)に等分割したもの(二十七宿)の一つ、らしいです。
ですから、宿といっても、泊まる宿(やど)のことではありません。
私、はじめて読んだときは婁宿って何? 宿(やど)って?と思いましたけど、全然違いましたよ。

似たようなのに二十八宿っていうのがあるのですが、ここに出てるのは二十七宿のようですね。
暦の1日に1コ割り当てられます。これは六曜とか干支なんかと似ています。
で、この段で紹介されてる宿が「婁」という星宿なんですね。

これ、一応調べたんですけど、毎年8月15日と9月13日はたしかに「婁」になります。
今年もです。
念のため、徒然草が書かれた頃、1329年も1330年も調べましたが、やはり8月15日と9月13日は「婁」でした。当たり前かもしれませんが。

兼好は第二百十二段でも月愛好家ぶりを発揮していましたね。
また、第百三十七段①第百三十七段②でも月の愛で方を書いていました。

秋の満月はやはりきれいなものだということですね。


【原文】

八月十五日、九月十三日は婁宿なり。この宿、清明なる故に、月をもてあそぶに良夜とす。


検:第239段 第239段 八月十五日、九月十三日は、婁宿なり

第二百三十八段⑦ 二月十五日、月の明るい夜、夜が更けてから

一つ
二月十五日、月の明るい夜、夜が更けてから、千本釈迦堂に参詣して、裏口から入って、一人顔を深く隠して説法を聞いてたんですけど、上品で、姿、雰囲気が人とは違ってる女性が、人の間を分け入ってきて、私の膝に寄りかかって、匂いなんかも私に移るくらいになったんで、まずいなー、と思って、すっとよけたんだけど、それでもまだ近寄ってきて、さっきと同じ様子なんで、立ち去ったんだ
その後、ある御所の方にお仕えしてるベテランの女房が、何てことない用事のついでに、「残念なことに情緒の無い人でいらっしゃいました、って、見損なうことがございましたのよ。情に欠けてるよね、ってお恨みしてる人がいるんですよねー」と言われたんで、「全然、わかりませんが…」と申して、その話は終わったの

で、これは後で聞いたんですが、例の千本釈迦堂の夜、御局の中からある人が私を見つけられて、仕えてる女房をおしゃれさせてお出しになって、「うまくいったら、言葉なんかもかけるんですよw どんな様子だったか、報告してね♡ おもしろくなりそうよね♪」って、トラップにかけようとしたらしいんだ


----------訳者の戯言---------

で、結論としては、そんな誘惑に乗らなかった私って、すごくね? さすがじゃね?
って話です。

ま、僧侶なんで、当たり前ですけどね。

小出恵介みたいなことにはならんぞ!と言ったかどうかはわかりませんが。(絶対言うてないし!)

千本釈迦堂っていうのは、正式名称を千本釈迦堂大報恩寺というそうです。
場所を調べたら、平安宮大内裏からはそう遠くもないようですから、あり得る話ですね。

2月15日は釈迦入寂の日。涅槃会が行われます。
仏教界のイベントとしては大事なものの一つだそうです。
入寂っていうのは僧が亡くなることなんですけど、一般人とは違って涅槃に行くことなんですね。
むしろ物質的に肉体は消滅するけど、魂的には解脱が完成する、宗教的に解放されると。
なるほど、深い。

第二百二十段は音楽の話、四天王寺の鐘の音が黄鐘という音だっていうお話だったんですが、そこで二月の涅槃会が旧暦2月15日にあると書きました。

さて、この第二百三十八段では兼好の自慢話を延々と読まされました。
これまでも、ちょいちょいものしり自慢はしてますから、それはわかってたんですけど、それだけじゃなく、洞察力もなかなかシャープで、結構勘がよくて手際がいいとか、女の色香なんぞに惑わされません、っていうアピールもしてきてます。

ただ、兼好は「枕草子」も好きっぽいので、清少納言が「自慢ネタ」をさんざん書いたのを真似してるというか、パロディ的、あるいはオマージュとして、わざと書いてるようなところもあるかもしれませんね。


【原文】

一、二月十五日、月 明き夜、うち更けて千本の寺にまうでて、後より入りて、一人顔深くかくして聽聞し侍りしに、優なる女の、姿・匂ひ、人よりことなるが、わけ入りて膝にゐかかれば、にほひなどもうつるばかりなれば、敏あしと思ひて、すり退きたるに、なほ居寄りて、おなじさまなれば、立ちぬ。その後、ある御所ざまのふるき女房の、そゞろごと言はれし序に、「無下に色なき人におはしけりと、見おとし奉ることなんありし。情なしと恨み奉る人なんある」と宣ひ出したるに、「更にこそ心得はべらね。」と申して止みぬ。

この事、後に聞き侍りしは、かの聽聞の夜、御局のうちより、人の御覽じ知りて、さぶらふ女房を、つくり立てて出し給ひて、「便よくば、言葉などかけんものぞ。そのありさま參りて申せ。興あらん」とて、はかり給ひけるとぞ。


検:第238段 第238段 御随身近友が自讃とて

第二百三十八段⑥ 賢助僧正のお供をして加持香水の儀式を見た時に

一つ
賢助僧正のお供をして加持香水の儀式を見た時に、まだ式が終わらないうちに、僧正が帰られたんだけど、会場の外まで僧都の姿が見えなかったの
で、僧侶たちを戻して探させたんだけど「おんなじ格好のお坊さんでいっぱいで、見つけ出せませんー」と言って、めちゃくちゃ長い間かかって出てきたんで、「ああ困った。あんた、探してきてくださいよ」と言われたので、戻って、すぐに連れて出てきたんだ


----------訳者の戯言---------

これは、他の人らと違って、俺って勘いい、みたいな自慢?
鋭くね?的な。

はぐれる僧都僧都でどうかと思うし、式が終わらないうちに帰ろうとする僧正も僧正で問題だと思いますが、そこはスルーでいいんでしょうか。

ようやく次が最後の自慢です。


【原文】

一、賢助僧正に伴ひて、加持香水を見はべりしに、いまだ果てぬほどに、僧正かへりて侍りしに、陣の外まで僧都見えず。法師どもをかへして求めさするに、「同じさまなる大衆 多くて、え求めあはず」といひて、いと久しくて出でたりしを、「あなわびし。それ、もとめておはせよ」といはれしに、かへり入りて、やがて具していでぬ。


検:第238段 第238段 御随身近友が自讃とて

第二百三十八段⑤ 那蘭陀寺で、道眼上人が講義した時

一つ
那蘭陀寺で、道眼上人が講義した時、「八災」の内容について忘れたので「これ、覚えてはる?」と言ったんだけど、弟子たちは誰も覚えていなくて、私が来賓席から「これこれでしょうか」と言ったところ、とても感心されたんだよね


----------訳者の戯言---------

なんか枕草子清少納言みたいになってきた。
意図的にやっているのだろうとは言え、なかなかくどいです。

那蘭陀寺(ならんだじ)は第百七十九段で出てきました。

兼好、前もそうなんですけど、道眼という人のことを何となくdisってる、というか軽視している感じがします。私の印象では。

八災というのは 「八災患(はっさいげん)」の略だそうです。
修行の妨げとなる八つの障害で、「憂、喜、苦、楽、尋、伺、出息、入息」だとか。
「尋」は物事を追求すること、「伺」はより細かく物事を追求すること、らしいですね。
コトバンクに載っていました。

というわけで、他のはまあわかるとして、「出息」「入息」が何のことかよくわからないんです。
広辞苑にも出てないですしね。
どなたかご存じの方、教えていただけるとありがたいです。

次は第二百三十八段⑥です。


【原文】

一、那蘭陀寺にて、道眼ひじり談義せしに、八災といふ事を忘れて、「誰かおぼえ給ふ」と言ひしを、所化みな覺えざりしに、局のうちより、「これこれにや」といひ出したれば、いみじく感じ侍りき。


検:第238段 第238段 御随身近友が自讃とて