徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第六十八段 大根を万病に効く薬だと

筑紫の国に何とかさんという押領使とかいう仕事の人がいましたが、大根を万病に効く薬だと言って、何年間も毎朝二つずつ焼いて食べていましたの

ある時、屋敷の中に人のいない隙を見計らって、敵が襲って来て、囲んで攻めたんですが、屋敷に武士が二人登場して、命を惜しまず戦い、皆追い返してしまったんだと
めっちゃ不思議に思ったんで「普段ここに住んではるようには見えん人たちが、こんなに戦われたって、おたくらどういう人なんですか?」と聞いたら「長年頼りにされて、毎朝召されていた大根でございます」と言って消えてしまったのでした

深く信じていたからこそ、こんな功徳もあったのだろうね


----------訳者の戯言----------

いやいやいやいや、そんなのないし。オカルトやし。
信じる者は救われる、ということか。

大根の精ってことなのか。
メルヘンというか、アンパンマン的なものなのか。
それとも仮面ライダー的な感じなのか。妖(あやかし)の類ですか。
いろいろ想像は尽きません。

あえてこれを書く吉田兼好のセンスって…。


【原文】

筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなる者のありけるが、土大根を萬にいみじき藥とて、朝ごとに二つづゝ燒きて食ひける事、年久しくなりぬ。ある時、館のうちに人もなかりける隙をはかりて、敵襲ひ來りて圍み攻めけるに、館の内に兵二人出で来て、命を惜しまず戰ひて、皆追ひ返してけり。いと不思議に覚えて、「日頃こゝにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戰ひしたまふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年來たのみて、朝な朝な召しつる土大根らに候」といひて失せにけり。

深く信を致しぬれば、かゝる徳もありけるにこそ。

 

検:第68段 第68段 筑紫になにがしの押領使などいふやうなるもののありけるが 筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなるもののありけるが

第六十七段 上賀茂神社の摂社

上賀茂神社の摂社である岩本社と橋本社は、在原業平藤原実方をお祀りしています
でも、人がいつも言い間違うので、一年前参詣した時に、年老いた神社の職員が通り過ぎるのを呼び止めて尋ねた所、「実方を祀った所は、御手洗川に影が映った所と申しますから、橋本はやはり川に近いほうということで実方と思われます。吉水和尚こと天台座主慈円さまが『月をめで花をながめしいにしへのやさしき人はここにありはら』とお詠みになったのは、岩本の社だと承っておりますが、自分たちよりはあなた方のほうがよくご存じでしょうと、たいそう礼儀正しく言ったのは、とても立派に思えましたよ

今出川院近衛といって歌集に多く歌を採用されてる女性は、若い時、常に百首の歌を詠んで、かの二つの社の御前の水で墨をすって書いて奉納しました
ほんとうに尊くて誉れ高いので、人が思わず口にする歌も多いですね
漢詩漢詩の序文なども、上手に書いた人です


----------訳者の戯言----------

私もどっちがどっちか覚えられません。
絶対忘れると思う。

前の段で出てきた「伊勢物語」の主人公と言えば、今回登場の…月を愛で花をながめた昔の優美な人、そう在原業平です。
モテモテだったということでも知られていますね。
なんと生涯、契ったとされる女性は3733人だそうです。1日1人としても10年以上かかるぞ。


【原文】

賀茂の岩本、橋本は、業平・實方なり。人の常にいひ紛へ侍れば、一年參りたりしに、老いたる宮司の過ぎしを呼び止めて、尋ね侍りしに、「實方は、御手洗に影の映りける所と侍れば、『橋本や、なほ水の近ければ』と覺え侍る。吉水和尚の、

月をめで花をながめし古の やさしき人は こゝにあり原

と詠みたまひけるは、岩本の社とこそ承りおき侍れど、己らよりは、なかなか御存じなどもこそさぶらはめ」と、いと忝しく言ひたりしこそ、いみじく覺えしか。

今出川院近衞とて、集どもにあまた入りたる人は、若かりける時、常に百首の歌を詠みて、かの二つの社の御前の水にて書きて手向けられけり。誠にやんごとなき譽ありて、人の口にある歌多し。作文・詩序などいみじく書く人なり。

 

検:第67段 第67段 賀茂の岩本・橋本は 賀茂の岩本橋本は

第六十六段 花がきれいに咲いた紅梅の枝を見て

岡本関白殿が、花がきれいに咲いた紅梅の枝を見て、鳥(雉)を一つがい添えて、この枝に付けて持ってきてよと、鷹の飼育役の下毛野武勝にお命じになったので「花の咲いた枝に雉を付ける方法は存じません。一つの枝に雉二羽を付けることも存じません」と申したところ、関白殿は料理担当にお聞きになって、人々に質問なさって、またもや武勝に「じゃあ、自分の思うように付けて持ってきてよ」とおっしゃったんで、武勝は花も無い梅の枝に、雉一つを付けて差し上げたんですね

武勝が申すには、
「鷹狩の獲物を結びつける『鳥柴』用の枝は、梅の花のつぼみ状態のものだったり、枯れたものに付けますね。五葉松の枝に付けることもあります。枝の長さは七尺、あるいは六尺、反対側は五分の長さになるように切ります。そして、枝の中ほどに雉を結びつけます。(雉本体を)つける枝、足をのせる枝も、それぞれ決まっています。裂いてないつづら藤の蔓(つる)で、二か所を結びつけるんです。藤の先端は、羽の末端部分の長さに合わせて切って、牛の角のように曲げるのですね。そして初雪がふった朝、この枝を肩にかけて、中門からかしこまった感じで参上します。庭の敷石を伝って雪に足跡をつけず、鳥の短い羽毛をちょっとむき散らして二棟の御所の欄干に、寄せてかけておきます。御祝儀の衣をいただいた時は、肩にかけて、礼をして退出するんです。初雪といっても、靴の先が隠れない程度の雪の時は参上しません。鳥の短い羽毛を散らすことは、鷹は雉の腰の細くなった部分を取って捕まえることから、ご主人様の鷹がこの雉を捕らえたから、という意味なのですよ」
ということなんですね

花の咲いた枝に雉を付けてはならないとは、いったいどんな理由があるんでしょうか?
長月(陰暦九月)ごろ、梅の作り物の枝に雉を付けて「あなたのためにと折った花は、季節も関係ありません」と言ったという話が伊勢物語に書いてあるんだけど
造花なので問題ないってことなんでしょうか?


----------訳者の戯言----------

長い。しかも今はこんなことやらないので興味が全然持てない。

しかし、この下毛野武勝っていう人、やたら細かいことにこだわるけど、別にそんなんどうでもええやん、と思うのは私だけか。
そして、兼好法師も、この件、やたらこだわってるのはどうしてなん?


【原文】

岡本關白殿、盛りなる紅梅の枝に、鳥一雙を添へて、この枝につけて參らすべき由、御鷹飼、下毛野武勝(しもつけの たけかつ)に仰せられたりけるに、「花に鳥つくる術、知り候はず、一枝に二つつくることも、存じ候はず」と申しければ、膳部に尋ねられ、人々に問はせ給ひて、また武勝に、「さらば、己が思はむやうにつけて參らせよ」と仰せられたりければ、花もなき梅の枝に、一つ付けて参らせけり。

武勝が申し侍りしは、「柴の枝、梅の枝、つぼみたると散りたるに付く。五葉などにも付く。枝の長さ七尺、あるひは六尺、返し刀五分に切る。枝の半に鳥を付く。付くる枝、踏まする枝あり。しゞら藤の割らぬにて、二所付くべし。藤の先は、火うち羽の長に比べて切りて、牛の角のやうに撓むべし。初雪の朝、枝を肩にかけて、中門より振舞ひて参る。大砌の石を傳ひて、雪に跡をつけず、雨覆ひの毛を少しかなぐり散らして、二棟の御所の高欄によせ掛く。祿を出ださるれば、肩にかけて、拜して退く。初雪といへども、沓のはなの隱れぬほどの雪には参らず。雨覆ひの毛を散らすことは、鷹は、弱腰を取ることなれば、御鷹の取りたるよしなるべし」と申しき。

花に鳥付けずとは、いかなる故にかありけん。長月ばかりに、梅のつくり枝に、雉を付けて、「君がためにと折る花は時しもわかぬ」と言へること、伊勢物語に見えたり。造り花は苦しからぬにや。

 

検:第66段 第66段 岡本関白殿、盛りなる紅梅の枝に 岡本関白殿盛りなる紅梅の枝に

第六十五段 最近の冠は

最近の冠は、昔よりはるかに高くなっています
古代の冠桶を持ってる人は、縁を継ぎ足して、今は使ってるんですから


----------訳者の戯言----------

ここで言ってる「高い」というのは値段ではなく、そのものの高さのこと。
兼好法師、相変わらず昔のもの大好き。最新トレンドとかいらん派です。

しかし、こういう段って絶対、教科書には載らないですよね。


【原文】

このごろの冠は、昔よりは遙かに高くなりたるなり。古代の冠桶を持ちたる人は、端をつぎて今は用ゐるなり。

 

検:第65段 第65段 この比の冠は

第六十四段 五緒のついてる高級車には

「五緒のついてる高級車というのは、必ずしも身分によって乗る人が決められるんじゃなくて、家柄ごとに最高の官位にまで達したら乗るものなのじゃよ」と、ある人がおっしゃいましたよ


----------訳者の戯言----------

どうでもいい。

車というのはもちろん牛車(ぎっしゃ、と読む!)のこと。
高級車といってもメルセデスベンツEクラス以上とかBMWの7シリーズとかではありません。
当たり前ですけど。


【原文】

「車の五緒は必ず人によらず、ほどにつけて、極むる官・位に至りぬれば、乘るものなり」とぞ、ある人仰せられし。

 

検:第64段 第64段 車の五緒は、必ず人によらず 車の五緒は必ず人によらず

第六十三段 武者を集めること

正月の後七日の御修法っていう仏事を仕切る阿闍梨が武者を集めるのは、いつだったか盗人に遭うってことがあったので、「宿直人」と言ってこうやって大げさに警護させることになったんですよね

一年の吉凶はこの修法中の様子で占うものなんだから、武士を利用しようってこと自体、つまり穏やかじゃないということになるよね


----------訳者の戯言----------

仏教の行事には武士なんかいらん、ということか。
職業差別。


【原文】

後七日の阿闍梨、武者を集むる事、いつとかや盜人に逢ひにけるより、宿直人とてかく ことごとしくなりにけり。一年(ひととせ)の相は、この修中に有樣にこそ見ゆなれば、兵(つわもの)を用ひんこと、穩かならぬ事なり。

 

検:第63段 第63段 後七日の阿闍梨、武者をあつむる事 後七日の阿闍梨武者を集むる事 後七日の阿闍梨、武者を集むる事 後七日の阿闍梨武者をあつむる事

第六十二段 延政門院が幼くていらっしゃった時

延政門院が幼くていらっしゃった時、父後嵯峨上皇の御所に参る人に言づてとして申上げなさったという歌、

ふたつ文字(こ)牛の角文字(ひ)直ぐな文字(し)ゆがみ文字(く)とぞ君はおぼゆる

父君を恋しく思っておりますよ、という意味の歌なんですね


----------訳者の戯言----------

子どもにしてはなかなか芸が細かい。


【原文】

延政門院 幼くおはしましける時、院へ參る人に、御言づてとて申させ給ひける御歌、

ふたつ文字 牛の角文字 直ぐな文字 ゆがみもじとぞ君はおぼゆる

恋しく思ひ参らせ給ふとなり。

 

検:第62段 第62段 延政門院いときなくおはしましける時

第六十一段 高貴な方のご出産の時

高貴な方のご出産の時、甑(こしき)を屋根から落とすというイベントは、決まりごとではありませんよ
胎児の胎盤や膜がうまく排出されない時のおまじないなんですね
後産が滞りなくスムーズだった時はこれはやりませんよ
この風習は庶民がはじめたことで、これといった根拠はないってことなのね
甑は大原の里のものを取り寄せて使うの
古い宝物庫にある絵に、身分の低い人が出産している所に、甑を落としてるのを描いてありましたよ

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----------訳者の戯言----------

そんな風習があったのか。

ちなみに甑(こしき)っていうのは当時使われていた調理器具で、米や豆の蒸し器とのことです。


【原文】

御産の時、甑落す事は、定まれることにはあらず。御胞衣滯る時の呪なり。滯らせ給はねば、この事なし。

下ざまより事おこりて、させる本説なし。大原の里の甑をめすなり。ふるき寳藏の繪に、賤しき人の子産みたる所に、甑おとしたるを書きたり。

 

検:第61段 第61段 御産のとき甑落す事は、さだまれる事にはあらず 御産の時甑落す事はさだまれる事にはあらず

第六十段 盛親僧都

仁和寺の真乗院に盛親僧都といって、めちゃくちゃ尊い智慧者がおりました
この人、芋頭という物を好んで、たくさん食べたの
仏典の講義の席でも、大きな鉢にもりもりに盛って、膝元に置いたまま食べながら本を読みましたと
病気になった時は、七日から十四日くらい、療治と言って引き籠って、自分でいい芋頭を選んで、めっちゃいっぱい食べて、何の病気でも治したの
けど人には食べさせなかったのね
たった一人、自分だけで食べたんだと

実はこの人、ハンパなく貧しかったので、師匠が死に際に、銭二百貫と家を一軒譲ったんだけど、家を百貫で売って、かれこれ三万疋(=三百貫)の金を芋頭代にって決めて、京都にいる人に預けて、十貫づつ取り寄せて、芋頭を切らさないように食べてはったんやけど、他に金を使うことも無いもんで、三百貫を芋頭の代金として全部使い切っちゃったのよ
「三百貫の金を貧しい身に手に入れたのに、こんな感じで使っちゃうって、本当にありがたい仏道精進のお方だ」と、みんな言ったんだよね

この僧都が、あるお坊さんを見て「しろうるり」という名をつけたのね
で、「それは何ですか?」と人が尋ねると「そんな物、実は私も知らないのよ。もしあったら、この僧の顔に似てるんだろうねー」と言いました

この僧都はルックスもよくて、パワフルで、大食いで、字が上手で、博識で、話も上手く、真言宗の幹部なので、仁和寺でも重鎮とされてたんだけど、世間を何とも思ってない変人であり、全て自由で、まず人に従うことは無かったんですよね

法会に出席して食事の時だって、全員に食膳が行き渡るのを待たないで、自分の前に食膳が据えられたら、すぐに一人で食べちゃうし、帰りたくなったら、一人ですっと立って帰ってっちゃったしね

決められた斎(午前の食事)も、非時(午後の食事)も他の人と同じように決まった時には食べずに、自分が食べたい時、夜中でも明け方でも食べるし、眠たかったら昼でも閉じこもって、どんな重要なことがあっても、人の言う事は聞き入れない、目が覚めた時は何日も寝ないで心を澄まして口ずさんで回ったり、なーんて、尋常ではない様子なんだけど、人には嫌われず、すべて許されてたんですよ

徳が至高の域に達してたからでしょうかね


----------訳者の戯言----------

変人。自由人。

ところで芋頭って何ぞや?
ということで調べてみました。

芋頭というのは里芋の「親芋」のことだそうです。
里芋は通常「種芋」と呼ばれる「親芋」を畑に植えて、そこから芽が出て茎と葉が育つんですね。
で、土の中ではその種芋の周りに小芋がどんどん増えていきます。
その元の芋が親芋です。小芋よりは全然大きいようですね。
この「芋頭」は固くておいしくないからと、農家や地方によっては、捨ててしまうということも多いそうですが、案外おいしいらしい。
普通の里芋より繊維質が多く、ヌルヌル感は少なめだそうです。

お金の単位は、1貫=100疋=1000文 とのこと。
1文は当時50円くらい?とすれば100貫で500万か。
1000万円の現金と小さい家500万とすれば、遺産そんなもんかな。
けど1000万円以上、芋に費やすとは恐れ入った。
1日に1000円分食べても30年ぐらいかかるんだが。

本題ですが、
こういう人ってたまにいる気がします。


【原文】

眞乘院に、盛親僧都とて、やんごとなき智者ありけり。芋頭といふ物を好みて、多く食ひけり。談義の座にても、大きなる鉢にうづたかく盛りて、膝もとにおきつゝ、食ひながら書をも讀みけり。煩ふ事あるには、七日、二七日など、療治とて籠り居て、思ふやうによき芋頭を選びて、ことに多く食ひて、萬の病をいやしけり。人に食はすることなし。たゞ一人のみぞ食ひける。極めて貧しかりけるに、師匠、死にざまに、錢二百貫と坊ひとつを讓りたりけるを、坊を百貫に賣りて、かれこれ三萬疋を芋頭の錢と定めて、京なる人に預けおきて、十貫づゝ取りよせて、芋頭を乏しからずめしけるほどに、また、他用に用ふる事なくて、その錢皆になりにけり。「三百貫のものを貧しき身にまうけて、かく計らひける、誠にあり難き道心者なり。」とぞ人申しける。

この僧都、ある法師を見て、「しろうるり」といふ名をつけたりけり。「とは、何ものぞ」と、人の問ひければ、「さる者を我も知らず。もしあらましかば、この僧の顔に似てん」とぞいひける。

この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書・學匠・辯説、人にすぐれて、宗の法燈なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世を輕く思ひたる曲者にて、萬自由にして、大かた人に隨ふといふ事なし。出仕して饗膳などにつく時も、皆人の前据ゑわたすを待たず、我が前に据ゑぬれば、やがて獨り打ち食ひて、歸りたければ、ひとりついたちて行きけり。齋・非時も、人に等しく定めて食はず、我が食ひたき時、夜中にも曉にも食ひて、睡たければ、晝もかけ籠りて、いかなる大事あれども、人のいふこと聽き入れず。目覺めぬれば、幾夜も寝ねず。心を澄まし嘯きありきなど、世の常ならぬさまなれども、人に厭はれず、萬許されけり。徳の至れりけるにや。

 

検:第60段 第60段 真乗院に盛親僧都とて、やんごとなき智者ありけり

第五十九段 即そのまま世を捨てて出家すべき

出家して悟りを開きたいと思い立った人は、たとえやらんとあかんことや、やりたいなということがあってその目的を達成してなくても、即そのまま世を捨てて出家すべきなんだよね
「もうちょっと、この用事が終わってから」「どっちにしても後で出家するんだから、まずあの件を処理し終わってから」「こんな事したら人に馬鹿にされるかもしれん、後々問題ないように調整してから」「今まで長年出家せずに来たんだから、もうちょっと待っても大して問題ないっすよね。騒がず落ち着いてていいでしょう」なんて思ってたら、やるべき用事ばかりいっぱい重なって、いつまでたっても決断できる日なんか来ないでしょうに
おおむね人を見てると、少し分別がある、っていうぐらいの程度の人は、みんなこんな気持ちで一生を終えてしまうようなんですよね

近くで火事が起こって逃げている人が「もうちょっと後で」って言うかな?
身を助けようとしたら、恥も顧みず、財産も捨てて、逃げ去るに違いありませんよね
命は人を待ってくれるかな?
いやいや、待たないですよ
死がやって来るのは、水や火が攻めて来るより速くて逃れ難いのに、いざその時、年老いた親、幼い子ども、主君の恩、人の情なんか、捨てられないとは思っても、捨てないわけにはいかないんですよね


----------訳者の戯言----------

だから、思い立ったら、全部捨てて、すぐやれと。


【原文】

大事を思ひたたむ人は、さり難き心にかゝらむ事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。「しばしこの事果てて」、「同じくは彼の事沙汰しおきて」、「しかしかの事、人の嘲りやあらん、行末難なく認め設けて」、「年来もあればこそあれ、その事待たん、程あらじ。物さわがしからぬやうに」など思はんには、え去らぬ事のみいとゞ重なりて、事の盡くる限りもなく、思ひたつ日もあるべからず。おほやう、人を見るに、少し心ある際は、皆このあらましにてぞ一期は過ぐめる。

近き火などに逃ぐる人は、「しばし」とやいふ。身を助けむとすれば、恥をも顧みず、財をも捨てて遁れ去るぞかし。命は人を待つものかは。無常の來ることは、水火の攻むるよりも速かに、遁れがたきものを、その時老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情、捨てがたしとて捨てざらんや。

 

検:第59段 第59段 大事を思ひたたん人は 大事を思ひ立たん人は