徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第八十八段 小野道風の書いた和漢朗詠集

ある者が「小野道風の書いた和漢朗詠集」なるもの持っていたのを見たある人が「言い伝えが根拠のないことではないんでしょうけど、四条大納言(藤原公任)が編纂された和漢朗詠集を、小野道風が書いたっていうのは、時代が違ってるんじゃないですか。怪しいっすね」と言ったんですが、「だからこそなんですよ。世にも珍しい物なんです」ということで、ますます大切にしまっておいたのでした


----------訳者の戯言---------

まあ、ネタですわな。

小野道風(894-967)は、平安時代中期の貴族で書家として有名です。藤原佐理藤原行成と合わせて「三跡」と言われます。これに対して藤原公任(966-1041)もざっくり言うと平安中期ではありますが、活動時期は完全に小野道風の没後です。和漢朗詠集は1012年に上梓されてますからね。

ま、ジョン・レノンの直筆サイン入りのビートルズCDとか、そういう感じですか。美空ひばりの歌うCAN YOU CELEBRATE? とかでしょうか。


【原文】

或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを、ある人、「御相傳浮けることには侍らじなれども、四條大納言撰ばれたるものを、道風書かむこと、時代や違ひはべらむ、覺束なくこそ」といひければ、「さ候へばこそ、世に有り難きものには侍りけれ」とていよいよ秘藏しけり。

 

検:第88段 第88段 或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを 或者小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを

第八十七段 使用人に酒を飲ませる時は

使用人に酒を飲ませる時は、注意しておかないといけません

宇治に住んでた男性が、京の具覚房という上品なお坊さんが妻の兄弟だったんで、常々親しくしてたんですね
ある時、その人が(具覚房の)迎えに馬を遣わせたんだけど、(具覚房は)「遠いところご苦労だったよね。馬の口を引く男の人に、まずは一杯飲ませてあげて」といって、お酒を出させたら、杯に何回も注いでもらってぐいぐい飲んだんだって

腰に太刀を装備して、きびきびした様子なので頼もしいなーと思って、召し連れて行くうちに、木幡山のあたりで、奈良法師が警備の兵士をたくさん連れてるのに出会ったんだけど、この男が立ち向かって「日暮れの山中で怪しいぞ。止まりなされ」と言って太刀を引き抜いたので、相手の警護の兵士たちもみんな太刀を抜いて、矢を射ようとしたもんだから、具覚房は手をすり合わせて「正気を失って酔っている者でございます。理屈には合いませんけどお許しください」と言ったら、兵士たちも馬鹿にして通り過ぎて行ったのね
この男は、具覚房に向かって「あなた、まあ残念なことをしてくれたもんですね。私は酔ってなどないっすよ。手柄を立てようとしてたのに、抜いた太刀を無駄にされてしまったじゃんよ!」と怒って、めった斬りに斬って馬から落としてしまったの
で、さらに「山賊がいるよー」って大声で騒いだから、そこの地元の人が大挙して出てきたんだけど「我こそが山賊だー」と言って走りながら斬り回ったんで、大勢でやっつけて取り押さえて縛り上げましたと
馬には血がついて、宇治の大通りの家に走って行きましたよ
呆れて、使用人の男たちを大勢走らせたんだけど、具覚房はくちなしの咲いてる野原にうめき声を上げて突っ伏してて、それを探し出して担いで連れてきたんです
なんとか一命は取り留めたんだけど、腰を斬られて損傷を負い、身体障害者になってしまったんですよ


----------訳者の戯言---------

まあ、元々キレやすい人だったのかもしれませんが、多少はお酒のせいもあったんでしょうか。
酔っぱらい=ダメ人間ということですね。酒の飲みすぎはほんと良くないです。
しかも刃物とか持ってたらダメでしょ。
お酒って、もちろん飲んでもいいんですけど、もっと「悪影響を及ぼしかねない危険なものである」という部分を、世の中の共通認識として持っておきたいものですね。

さて、この段の最後に出てくる「かたは」という語です。
所謂「差別用語」ですね。

身体障害者については、かつて日本では「かたわ(片端、片輪とも)」「不具者(ふぐしゃ)」などとも呼ばれていましたが、現在ではこれらの言葉は差別用語放送禁止用語として扱われていて、障害箇所を嘲笑的・侮蔑的に扱うことなどは、TV番組や出版物はおろか、日常会話でもほとんどなくなっています。
ポリティカル・コレクトネスの観点からも、好ましくない表現であるのは明らかですね。

ただ、言葉狩りなどとも言われ、このような動きに反対する人もいます。

たとえば、ここでも出てきた「かたわ(片端、片輪)」などは平安時代から使われている言葉であり、「源氏物語」にも出てきます。そうした古くからの一つの「やまとことば」の生命をここで絶ってしまっていいのかという問題はもあろうかと思います。

一方で、「かたわ(片端、片輪)」は明治以降、特に戦前戦中までは「かたわもの」という差別的な使い方をしたという経緯があります。つまり、兵士として国のために働けない身体障害者の人たちを蔑視した、という背景があるんですね。

本来はただ客観的に状態を表す言葉だったものが、「差別意識」を持って使われたために「差別用語放送禁止用語」になった、というのが、この問題の本質なのでしょうね。こんな言葉、ほかにもたくさんあるんじゃないでしょうか。

意識がなくならない限り、差別はなくならない。
逆に差別意識がなければ、個々の言葉など何を使っても、些細なことなのかもしれません。

ただ、差別的な意識はなくとも、一人でもその言葉を聞いた時に傷つく人、嫌な気持ちをもつ人がいるのなら、やはり使わない方がいいと個人的には思います。


【原文】

下部に酒のまする事は心すべき事なり。

宇治に住みける男、京に具覺坊とて なまめきたる遁世の僧を、小舅なりければ、常に申し睦びけり。ある時、迎へに馬を遣したりければ、「遥かなる程なり。口つきの男に、まづ一度せさせよ」とて、酒を出したれば、さしうけさしうけ、よゝと飮みぬ。太刀うち佩きて、かひがひしげなれば、頼もしく覺えて、召し具して行くほどに、木幡の程にて、奈良法師の兵士あまた具して逢ひたるに、この男立ち對ひて、「日暮れにたる山中に、怪しきぞ。止まり候へ」と言ひて、太刀をひき拔きければ、人も皆太刀抜き、矢矧げなどしけるを、具覺坊手をすりて、「現心なく醉ひたるものに候ふ。枉げて許し給はらん」と言ひければ、おのおの嘲りて過ぎぬ。この男具覺坊にあひて、「御坊は口惜しき事し給ひつるものかな。おのれ醉ひたること侍らず。高名仕らんとするを、拔ける太刀空しくなし給ひつること」と怒りて、ひた斬りに斬り落しつ。さて、「山賊あり」とのゝしりければ、里人おこりて出であへば、「われこそ山賊よ」と言ひて、走りかゝりつゝ斬り廻りけるを、あまたして手負はせ、打ち伏せて縛りけり。馬は血つきて、宇治大路の家に走り入りたり。浅ましくて、男ども數多走らかしたれば、具覺坊は、梔原にによひ伏したるを、求め出でて舁きもて來つ。辛き命生きたれど、腰きり損ぜられて、かたはに成りにけり。

 

検:第87段 第87段 下部に酒飲まする事は 下部に酒飲ますることは

第八十六段 めっちゃうまいこと言いました

(平)惟継中納言は、詩歌、文章の才能豊かな人でした
生涯修行に励み、読経をして、三井寺の寺法師の円伊僧正と同じ坊に住んでたんですが、文保年間に三井寺が焼かれた時、坊の主である円伊に会って「あなたを『寺法師』と申してたけど、寺がなくなったんで、今からは『法師』と申しましょうかね」と言いました
めっちゃうまいこと言いましたな


----------訳者の戯言---------

三井寺(みいでら)っていうのは、園城寺(おんじょうじ)の通称で、天台寺門宗の総本山でして、ま、天台宗の総本山である比叡山延暦寺とはずっと揉めてたらしいです。
天台宗においては延暦寺を山門、三井寺を寺門と言うわけで、もっと言うと、「山」が延暦寺、「寺」と言えば園城寺三井寺というくらい、2大勢力だったようですね。で、三井寺は何回も山門派によって焼討ちされてます。

で、この段は、そういった意味ではかなり深刻な事態ではあるわけですね。
でもそんな時、まあ、こういう冗談というか、これ、一種の慰めでもあったんでしょう。
こういうこと言えるっていうのも、人間関係がうまくいってるからこそ、っていうのはあるでしょうね。


【原文】

惟繼中納言は、風月の才に富める人なり。一生精進にて、讀經うちして、寺法師の圓伊僧正と同宿して侍りけるに、文保に三井寺焼かれし時、坊主にあひて、「御坊をば寺法師とこそ申しつれど、寺はなければ今よりは法師とこそ申さめ」と言はれけり。いみじき秀句なりけり。

 

検:第86段 第86段 惟継中納言

第八十五段 人の心は素直ではないから

人の心は素直ではないから、嘘が無いわけではありません
だけども、稀に正直な人がいないわけでもないですよ
自分がまっすぐな人間じゃなくても、人が賢いのを見てうらやむのは全然おかしくありませんよね

最高に愚かな人は、たまたま賢い人に会うと、これを憎むんですよ
「大金を儲けるためにケチな仕事はやらない。見せかけだけの嘘で名声を得ようとしてる」なんて文句を言うんですね
自分の考え方と違ってるからって、こんな風に逆に軽蔑するなんて、程度がわかるってもんです
こんな人の下劣な根性がよくなることはなくて、たとえ嘘でも、小っちゃい利益は要りません、なんてよう言わんだろうね
仮にも賢い人から学ぶことなんてできないんですよ

狂人の真似といって大通りを走ったら、それは狂人にほかなりません
悪人の真似といって人を殺したら、悪人なんです
千里を走ると言われてる駿馬に学ぶのは、やはり千里を駆ける駿馬
徳が高かった伝説の王様、舜に学ぶのは、舜の同士なんです
嘘でも「賢いことを学ぶ者」を、「賢い」って言うんですよ


----------訳者の戯言---------

賢い人は賢い人に学びます。
逆に愚かな人は賢い人を否定するんですよね。
ま、そもそもの価値観が違うっちゃあ違うんでしょうけど。


【原文】

人の心すなほならねば、僞りなきにしもあらず。されども、自ら正直の人、などかなからん。己すなほならねど、人の賢を見て羨むは世の常なり。至りて愚かなる人は、たまたま賢なる人を見て、これを憎む。「大きなる利を得んが爲に、少しきの利を受けず、僞り飾りて名を立てむとす」と謗る。おのれが心に違へるによりて、この嘲りをなすにて知りぬ。この人は下愚の性うつるべからず、僞りて小利をも辭すべからず。假にも賢を学ぶべからず。

狂人の真似とて大路を走らば、則ち狂人なり。惡人の真似とて人を殺さば、惡人なり。驥を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶは舜の徒なり。僞りても賢を学ばむを賢といふべし。

 

検:第85段 第85段 人の心すなほならねば

第八十四段 法顕三蔵が天竺に渡って

法顕三蔵が天竺に渡って、故郷の扇を見ては悲しみ、病に臥しては中国の料理を食べたいと願われたことを聞いて「あれほどの人が、ひどく心弱い様子を外国でお見せになったんだなあ」と言ったら、弘融僧都が「優しくて情け深い三蔵だなあ」と言ったのは、お坊さんのようじゃなく、とても素敵に感じましたよ


----------訳者の戯言---------

ホームシックですか。
「案外、弱っちいのね」と言ったら、「いやいや、それだけ心優しい人ってことやんか」と友だちに返されて、「あーそうか、なるほどー」と感動したって話。
だいたい、元々兼好って人に厳しすぎるから。

第八十二段でも出てきた弘融僧都、再登場。
お坊さんの立場からすると「偉い高僧が弱さを露呈したこと」に疑問を持つのがむしろ普通なんだけど、そういう「立場や肩書」とは別のところの一人の人間としての情緒に着目したのが兼好に評価されたというわけですね。
ちょっと教科書的な解説かな。すまんすまん。

ちなみに三蔵というのは3種類の仏典のことで、この三つに精通している高僧のことをこう呼んだらしい。例の「西遊記」の三蔵法師玄奘という戒名で、玄奘三蔵と呼ばれている人だから、ここで出てくる法顕三蔵とは別人です。


【原文】

法顯三藏の天竺に渡りて、故郷の扇を見ては悲しび、病に臥しては漢の食を願ひ給ひける事を聞きて、「さばかりの人の、無下にこそ、心弱き氣色を人の國にて見え給ひけれ」と人の言ひしに、弘融僧都、「優に情ありける三藏かな」といひたりしこそ、法師の樣にもあらず、心にくく覺えしか。

 

検:第84段 第84段 法顕三蔵の、天竺にわたりて 法顕三蔵の天竺に渡りて

第八十三段 竹林院入道左大臣殿が太政大臣に昇進なさるのに

竹林院入道左大臣殿が太政大臣に昇進なさるのに、何の差し障りもなかったんだけど「べつに珍しいこともありません。左大臣でやめましょう」といって出家されました
洞院左大臣殿が、このことに共感されて、太政大臣になることを望まれませんでした

「亢竜の悔あり」(昇った竜は後は下るだけなので悔いがある)とかって、言うことがございます
月は満ちると必ず欠け、物が盛えると必ず衰えるもの
全てにおいて、先が詰まってるのは、破滅に近い道なんですよね


----------訳者の戯言---------

現代の政治家にはめったにいないタイプ。

相国というのは太政大臣唐名です。律令制度における太政官の最高職だそうですね。
故人の場合は、どうもその人の生涯の最終(最高)官職で言うのが習わしみたいです。

実は太政大臣は名誉職らしくて、必ずしも常にいたわけではなかったらしいですけどね。

ただ、武家時代にも残っていたので、没後に贈られたものも含めて太政大臣だった人はたくさんいるようです。
豊臣秀吉徳川家康もそうでしたし、織田信長は死後に追贈されています。徳川幕府の将軍は生前、没後の追贈を含めると全員太政大臣になっているそうです。

実は家光は将軍になった後で太政大臣就任を打診されたようですが、「若すぎるので…」と断っています。
当時30歳ぐらいだったらしい。

 

【原文】

竹林院入道左大臣殿、太政大臣にあがり給はんに、何の滯りかおはせむなれども、「珍しげなし。一の上(かみ)にてやみなん」とて、出家し給ひにけり。洞院左大臣殿、この事を甘心し給ひて、相國の望みおはせざりけり。

「亢龍の悔いあり」とかやいふ事侍るなり。月滿ちては缺け、物盛りにしては衰ふ。萬の事、先の詰りたるは、破れに近き道なり。

 

検:第83段 第83段 竹林院入道左大臣殿、太政大臣にあがり給はんに 竹林院入道左大臣殿太政大臣に上り給はんに

第八十二段 整っているのは悪いこと

「薄い布を貼った表紙は、すぐにだめになるので嫌ですね」とある人が言ったら、頓阿が「羅(薄い絹)の表紙は上下がほつれたの、貝殻で象嵌を施した巻物の軸なんかは貝が落ちてからのほうが、いい感じなんよ」と申したのは、すごい立派と思うんですよね

シリーズ物の本の形が統一されてないのを、みんな見苦しいって言いますけど、弘融僧都が「物を必ず一セットにまとめようとするのは、低レベルな人間のする事です。不揃いこそいいんだよね!」と言ったのも、すごく立派だと思います

「すべて何でもみんな、事の整っているのは悪いことです。やり残した部分をそのままに放置してるのは、面白いし、長らえる秘訣なんだよね。天皇のお屋敷を建てる時も、必ず未完成な部分を残すんですよね」と、ある人が申したってことです

昔の賢人のつくった仏典や、それ以外の書物にも、章段の欠けてる事って結構多いですよ


----------訳者の戯言---------

頓阿って誰?
って思ったんですが、ここで出てくる頓阿も弘融僧都吉田兼好の友だちだったそうです。

どっちもまあまあの文化人で有名人のようですね。
だからいきなり名前が出てきても不自然じゃないと。


【原文】

「羅の表紙は、疾く損ずるが侘しき」と人のいひしに、頓阿が、「羅は上下はづれ、螺鈿の軸は、貝落ちて後こそいみじけれ」と申し侍りしこそ、心勝りて覺えしか。一部とある草紙などの、同じ樣にもあらぬを、醜しといへど、弘融僧都が、「物を必ず一具に整へんとするは、拙き者のする事なり。不具なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく覺えしなり。

「總て、何も皆、事の整ほりたるはあしき事なり。爲殘したるを、さて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶる事なり。内裏造らるゝにも、必ず、造り果てぬ所を殘す事なり」と、ある人申し侍りしなり。先賢の作れる内外の文にも、章段の闕けたる事のみこそ侍れ。

 

検:第82段 第82段 うすもの表紙は疾く損ずるがわびしき 羅の表紙は疾く損ずるがわびしき

第八十一段 屏風、障子などの絵や文字なんかも

屏風、障子などの絵や文字なんかも、見てられないような下手な筆運びで描いたのは、そのものが美しくない、っていうより、その宿の主がくだらない人だと見えてしまうんですよね
だいたい持ってる道具を見たら、その持ち主がしょうもない人に思えることってあるでしょ
そんなに高級品を持つべし、っていうわけではないんですよ
壊れたり汚れたりしないためってことで、下品に醜く見えるくらいカバーをかけたり、珍しいだろうっていらん添え物をいっぱい着けたりしてコテコテに装飾してるのが、アカンって言ってるんです
古めかしいようで、そう大げさでなく、お金もかからないのに、高品質な物がいいですよ


----------訳者の戯言---------

アンティーク最高。
たしかに、アンティーク家具とか、機械式時計とか、上手く探せば、高くなくてもいいものがたくさんありますね。


【原文】

屏風・障子などの繪も文字も、かたくななる筆樣して書きたるが、見にくきよりも、宿の主人の拙く覺ゆるなり。

大かた持てる調度にても、心おとりせらるゝ事はありぬべし。さのみよき物を持つべしとにもあらず、損ぜざらむためとて、品なく見にくきさまに爲なし、珍しからんとて、用なき事どもし添へ、煩はしく好みなせるをいふなり。古めかしきやうにて、いたく ことごとしからず、費もなくて、物がらのよきがよきなり。

 

検:第81段 第81段 屏風・障子などの絵も文字も 屏風障子などの絵も文字も

第八十段 自分の専門からかけ離れてること

みんな誰でも、自分の専門からかけ離れてることばっかりやりたがるよね
僧侶が武の道を極めようとしたり、野蛮な武者が弓の引き方を知らないのに仏法は知ってる風で、連歌を詠み、管弦を嗜んでる
でも、それって、自分の専門分野が中途半端だってことにも増して、もっと人に馬鹿にされることなんじゃないかな

お坊さんだけではないですよ
上達部、殿上人といった身分の高い人々まで、だいたいが武の道を好きな人って多いんです
でも仮に百回戦って百回勝っても、まだまだ武勇の名を定めることはできませんよ
だって、ただ運が良くて敵をやっつけただけでも、勇者だって言われるわけですからね
むしろ、兵が尽き、矢が無くなって、それでも最後まで敵に降伏せず、死んで後にこそ、はじめて武勇をあらわすというのが理に適ってますよ

つまりね、生きている間は、武勇を誇れるもんじゃないのよ
武の道は人の倫理からは遠く、鳥や獣に近いふるまいなので、武家に生まれたんじゃなければ、好んでも何の利益もないですよ


----------訳者の戯言---------

たしかに。

吉田兼好の生きた時代って、奇しくも後醍醐天皇の頃、なんですよね。
後醍醐天皇って自ら武力を率いて政権を取った人ですから、歴代の天皇の中でも稀有な存在です。
実は嫌いだったんだろうなと思います、はい。


【原文】

人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。法師は兵の道をたて、夷は弓ひく術知らず、佛法知りたる氣色し、連歌し、管絃を嗜みあへり。されど、おろかなる己が道より、なほ人に思ひ侮られぬべし。

 法師のみにもあらず、上達部、殿上人、上ざままで おしなべて、武を好む人多かり。百たび戰ひて百たび勝つとも、いまだ武勇の名を定めがたし。その故は運に乘じて敵を砕く時、勇者にあらずといふ人なし。兵盡き、矢窮りて、遂に敵に降らず、死を安くして後、はじめて名を顯はすべき道なり。生けらんほどは、武に誇るべからず。人倫に遠く、禽獸に近き振舞、その家にあらずば、好みて益なきことなり。

 

検:第80段 第80段 人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める 人ごとに我が身にうとき事をのみぞ好める

第七十九段 それほど深くは知らない様子なのがいい

何ごとも、それほど深くは知らない様子なのがいいんですよね
立派な人は、知ってることでも、そんなに知ったふうな顔では言いません
片田舎から出てきた人に限って、あらゆる道を心得てるかのような受け答えをするんですね
なので、こっちが恥ずかしくなるような部分もあるのに、自分のことを立派だと思ってる様子が見ててつらいですよ
よく知っている道については、必ず口を重くして、質問しない限り言わないのがいいんだよね


----------訳者の戯言---------

田舎者が嫌いらしい。


【原文】

何事も入りたたぬさましたるぞよき。よき人は知りたる事とて、さのみ知りがほにやは言ふ。片田舎よりさしいでたる人こそ、萬の道に心得たるよしのさしいらへはすれ。されば世に恥しき方もあれど、自らもいみじと思へる氣色、かたくななり。

よく辨へたる道には、必ず口おもく、問はぬかぎりは、言はぬこそいみじけれ。

 

検:第79段 第79段 何事も入りたたぬさましたるぞよき