第百三十七段② だいたい月や花を
だいたい月や花を、そんなに無闇に目だけで見るべきだろうかね
春は家から出なくても、月の夜はお布団の中で想像するのが、すごいわくわく感があって、いい感じなんだよ
品のいい人は、やたら風流好き、みたいには見えないし、楽しむ様子も、一見、気にしてない感じなんだ
片田舎の人っていうのは、しつこくて、何でももてはやすでしょ
桜の花の木の下には、にじり寄って、寄りかかって、脇目もふらず見ては、お酒を飲み、連歌をして、その挙句、大きな枝を考えなしに折って取るんだよ
泉には手足を浸けて、雪には降り立って足跡を付けたりして、どんなものでも、離れて見るってことをしないんだよね
----------訳者の戯言---------
都会の上品な人はすかしてる感じ。
片田舎の人はピュア、無邪気。
とも言える。
そして兼好、もはや達人レベルのイメージプレイ。
引き続き、第百三十七段③へ。
【原文】
すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いと頼もしう、をかしけれ。よき人は、偏にすける樣にも見えず、興ずる樣もなほざりなり。片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。花のもとには、ねぢより立ちより、あからめもせずまもりて、酒飮み、連歌して、はては大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手・足さしひたして、雪にはおりたちて跡つけなど、萬の物、よそながら見る事なし。
検:第137段 第137段 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは
第百三十七段① 桜の花は満開を
桜の花は満開を、月はくっきりと雲もかかってないのだけを見るべきなのかな?
むしろ雨を見て月を恋しく思ったり、部屋に籠って、春がどこへ向かって行くのか、それを知らなかったりするからこそ、かえって、よりいっそう情緒深いものになるんだよね
今にも咲きそうな花の梢や、花が散りしおれた後の庭なんかに、実は見所って多いのさ
歌の詞書(ことばがき)に「花見に出かけたんだけど、早く散り過ぎてしまってたから」とか、「事情があって出かけられなくて」なんて書いてるのは、「花を見て」って言うのより劣ることなのかな?(そんなことないよね)
花が散ったり、月の傾いたりするのを愛でる習慣は正解なのに、あんまり風流じゃない人って「この枝もあの枝も散っちゃった。もう今は見所無し!」なーんて言うみたいなんだよ
どんなことだって、始めと終わりこそ、趣深いんですよ
男女の恋愛も、ただ単に逢引してるのだけを言うものなのかなぁ
逢えずに終わったガッカリ感を感じたり、はかないワンナイトラブを嘆いたり、長い夜を一人で明かし、はるか遠くの恋人を思い、荒れ果てた家を見て昔を偲べるなんてのが、情愛の機微を知ってるって言えるんじゃないかな
満月で雲がかかってないのを千里以上先まで見渡せるような場所で眺めるより、夜明け近くになるまで待ってた月が出たのが、すごく心の奥深くまでぐっときて、青みがかったようで、深い山の杉の梢のあたり見える木の間の月影が、さっとにわか雨を降らせた一群の雲に隠れてる様子は、比べ物なく、めちゃ素敵なんだよね
椎や白樫の木々の濡れたような葉の上に(月の光が反射して)きらめいてるのが身にしみて、情趣のわかる友だちが一緒だったらなあって、都を恋しく思うんだよ
----------訳者の戯言---------
兼好、今、どこにおるんや。
ま、出家隠遁してますからね、時々ホームシックになるんですかね。
なかなか、くどいくらいの月マニア。
「マツコの知らない世界」にでも出るか。
いやいや当時、無いし。
月については第二十一段で「やなことあっても月を見たらなごむ」みたいなこと書いてますし、あと、第三十二段では友だちと夜明けまで月を見て歩く、みたいなこともしてますね。(その月見の途中で友だちの彼女ん家に行く話なんですけど)
さて、詞書(ことばがき)ですが、和歌の前に書いてある、その和歌を詠んだ時とか場所、その経緯、背景なんかを説明してる文のことです。
一例ですが、下の藤原俊成(定家の父)ので言うと
述懐の百首歌詠みはべりけるとき、鹿の歌とて詠める
世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる (皇太后宮大夫俊成)
となってますから「述懐の百首歌詠みはべりけるとき、鹿の歌とて詠める」の部分が詞書ということになります。
しかし、この段、長いっす。
始まって以来、最長と思われる。
実はこの段から下巻なので、一発目、気合い入ってるんでしょうかね。
次、第百三十七段②に続きます。
【原文】
花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を戀ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころおほけれ。歌の詞書にも、「花見に罷りけるに、はやく散り過ぎにければ」とも、「さはることありて罷らで」なども書けるは、「花を見て」といへるに劣れる事かは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊に頑なる人ぞ、「この枝かの枝散りにけり。今は見所なし」などはいふめる。
萬の事も、始め終りこそをかしけれ。男女の情も、偏に逢ひ見るをばいふものかは。逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明し、遠き雲居を思ひやり、淺茅が宿に昔を忍ぶこそ、色好むとはいはめ。
望月の隈なきを、千里の外まで眺めたるよりも、曉近くなりて待ちいでたるが、いと心ぶかう、青みたる樣にて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれたるむら雲がくれのほど、またなくあはれなり。椎柴・白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心あらむ友もがなと、都こひしう覺ゆれ。
検:第137段 第137段 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは
第百三十六段 土偏でございます
医師の(和気)篤成が、今は亡き後宇多法皇の御前にひかえてて、お料理が配膳された時、
「今からサーヴされるお料理の食材について、法皇さまが名前や効能をお尋ね下さったら、私が何も見ずに申しますんで、医学書に照らし合わせてご確認ください。一つも間違いませんから!」
と申したんだが、まさにその時、今は亡き六条内大臣の源有房が入って来られて
「私、有房がついでに物を教わりましょう」
って言って
「まず『しほ』という文字は、どの偏でしょうか?」
とご質問されたら、
「土偏でございます」
って言ったんだけど、
「あなたの才覚の程度はもうはっきりしました。今はそれで十分でございます。これ以上聞きたいことはありません」
と申されたんで、みんな大爆笑になって、篤成はすごすごと部屋から出て行ってしまったんだよね
----------訳者の戯言---------
前の段に続いて、知ったかぶりの人をdisる展開。
「しほ」っていうのは塩のことなんですけど、正字は「鹽」と書くそうです。
で、有房がちょっと偉そうにしてるドクター篤成に、意地悪な質問をしたって話。
けど、正確に言うと「鹽」には偏はないですからね。
「偏は?」と聞かれたら、「塩」だから「土へん」と思うのは当然です。
間違いではない、と私は思いました。
実は「鹽」は「鹵」(ろ)と「監」からできてるんですね。
ですから、「偏はありません。敢えて言うなら塩の正字は鹽ですから部首は鹵(ろ)ですかね」と答えれば大正解でしょうか。
しかし、これにはさらに古典の難しいところがあって、この問いそのものが偏のことを言ってるんじゃなくて、「『しほ』という文字はどの文献(篇)にありますか?」ではないかという説もあるんです。
で、それがわからなかったドクター篤成が、ごまかすために勘違いしたフリをして「(『へん』だったら)土偏でございますが? 何か」って答えた、と。
まあ、その可能性もありますね。
この説だと先にも書いたように、問い自体がそもそも間違ってる、ということはなくなりますから。
ま、いずれにしても鹽っていう字。
画数多すぎ。難しすぎ。
私、一生書くことはないでしょう。
【原文】
醫師篤成、故法皇の御前に候ひて、供御の參りけるに、「今參り侍る供御のいろいろを、文字も功能も尋ね下されて、そらに申しはべらば、本草に御覽じあはせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ」と申しける時しも、六條故 内府まゐり給ひて、「有房ついでに物習ひ侍らん」とて、「まづ、『しほ』といふ文字は、いづれの偏にか侍らむ」と問はれたりけるに、「土偏(どへん)に候」と申したりければ、「才のほど既に現はれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしきところなし」と申されけるに、とよみになりて、罷り出でにけり。
第百三十五段 資季大納言入道とかいう人が
(藤原)資季大納言入道とかいう人が、(源)具氏宰相中将に会ったとき、
「あんたが質問する程度のことは、どんなことでも、お答えできないことはないですよ」
と言われたんで、具氏は
「さあどうしましょう」
と申されて、
「なら、挑戦してくださいよ」
って言われたもんだから、
「重要事項は私は全然勉強してへんし知らんから、質問することもできません。何でもない、どうでもいいことの中で、ようわからんことをご質問しましょう」
と申されたのね
「身近でつまんないことなんかだったら、ましてや何でも全部明らかにしてお答え申し上げましょう」
って言われたんで、側近の人々や女子職員なんかも
「面白そーだね! どうせ同じことなら、天皇の御前で勝負したら? 負けた人は御馳走するんですよ」
って決めて、天皇が御前に二人を呼んで勝負させたんだけど、
具氏が
「幼い頃から聞きなれてるけど、その意味を知らないことがございます。『むまのきつりやうきつにのをかなかくぼれいりくれんとう』っていうのは、どんな意味でしょう?」
と申されたんで、大納言入道はそこで「!!」と詰まって、
「これはつまらん事やから、言うまでもない」
なーんて言われて…
「もともと重要な事は知りません、つまんない事を質問します、って約束申し上げましたやん」
と申されたから、大納言入道の負けってことになって、賭けてた御馳走を盛大にふるまわれたんだってさ
----------訳者の戯言---------
何となく読める展開。
案の定のオチ。
さて、問題の「むまのきつりやうきつにのをかなかくぼれいりくれんとう」ですが。
実はこれ、まだ解明されていないらしいです。
諸説あり、答えは「雁」とか「枯れ木」だとか、元々「意味がない文字の羅列」とする説、「今考えても当時のことなんかわかるわけねー」とあきらめちゃってる説?もあるようですね。
詳しくは、ググってみてください。
もしくは図書館とかで調べて論文にしてください。
私は、もちろん少しもわかりません。
また時間ができたら考えてみます。
【原文】
資季大納言入道とかや聞えける人、具氏宰相中將に逢ひて、「わぬしの問はれむ程の事、何事なりとも答へ申さざらむや」とい言はれければ、具氏、「いかゞ侍らむ」と申されけるを、「さらば、あらがひ給へ」といはれて、「はかばかしき事は、片端もまねび知り侍らねば、尋ね申すまでもなし。何となきそゞろごとの中に、覺束なき事をこそ問ひ奉らめ」と申されけり。「まして、こゝもとの淺きことは、何事なりともあきらめ申さん」といはれければ、近習の人々、女房なども、「興あるあらがひなり。同じくは、御前にて爭はるべし。負けたらん人は、供御をまうけらるべし」と定めて、御前にて召し合せられたりけるに、具氏、「幼くより聞きならひ侍れど、その心知らぬこと侍り。『むまのきつりやうきつにのをかなかくぼれいりぐれんとう』と申すことは、いかなる心にかはべらむ。承らむ」と申されけるに、大納言入道、はたとつまりて、「これは、そゞろごとなれば、云ふにも足らず」といはれけるを、「もとより、深き道は知り侍らず。そゞろ言を尋ね奉らむと、定め申しつ」と申されければ、大納言入道負けになりて、所課いかめしくせられたりけるとぞ。
検:第135段 第135段 資季大納言入道とかや聞えける人
第百三十四段 三昧僧のナントカ律師
高倉院の法華堂でお勤めしてる三昧僧のナントカ律師とかいう者が、ある時、鏡を手に取って顔をつくづく見て、自分の顔が不細工でひどすぎるのをめっちゃ残念がって、鏡さえ疎ましくなって、その後長い間、鏡を怖がって手にも持たず、まったく人と交流しなくなったんです
法華堂のお務めだけに参加して、あとは引きこもってたって聞きましたけど、めったにできないことだと感心しちゃいましたよ
賢そうに見える人も、人の身の上ばっかり批評して、自分のことは知らないのよ
自分を知らないのに他人のことがわかるなんて理屈あるわけないよね
つまり、自分を知っている人こそ物を知っている人、って言うべきなんですよ
不細工なのにそれを知らず、心が愚かなのも知らず、芸がまだまだ下手なのも知らず、自分が物の数に入ってないことも知らず、年を取って老いていくのも知らず、病気に冒されてるのも知らず、死期が近づいてることも知らず、進んでる道の最後までたどり着けないことをも知らず、自身の非を知らないんだから、ましてや他人から非難されていることなんてわかるわけないよね
でも、ルックスは鏡で見えるし、年齢は数えればわかります
だから自分自身のことを知らないってわけではないけど、対処法はないので、知らないのとおんなじって言えるかも
別に見た目をきれいに、若作りして見せろと言っているんじゃないんです
劣ってるのがわかってるなら、どうしてすぐに退かないのか?
年取ったことがわかったんだったら、何で静かに身体を休ませないのか?
修行がおろそかになってると悟ったんなら、どうして「これって思うことはこれ!」って正しいことをしないのか?
すべてにおいて、人に可愛いがられてもないのに、たくさんの人と関わるのは恥だよね
不細工で思慮が足りないままお勤めに出て、無知のままで学問の才能がすごい人と交流し、下手なのに一流のアーチストと同席し、白髪頭で若者の人と肩を並べ、ましてや、叶うわけもないことを望み、それが叶わないことを嘆き、来ないだろうことを待ち、人を怖がり、人に媚びるのは、他人が与える恥じゃないんだ
欲深い心に引っぱられて、自分で自分を辱めてるんだよ
欲深く、貪ることをやめないのは、命を終えるという一大事が、まさに、もう今ここに来てるってことが、実感としてわかってないからなんだね
----------訳者の戯言---------
今だったらアンチエイジングや美容整形もあるから。
ボトックス、ヒアルロン酸、コラーゲン。
ウエラ、シエロ、サロンドプロ、ブローネ。
ライザップ。
けど、芸術的センスや知能指数はどうしようもないですからね。
結局、念仏しかないのか。
ちょっと前の段(第百三十一段)でも、自分の身のほどを知れ、みたいな話ありましたけどね。
ここ、試験に出るぞー、ノート書いとけよー、って感じでしょうか。
ところで、三昧僧のなんたら律師っていうお坊さん、けなされてるんだか、ほめられてるんだか。
ほめられてるんですよ、ね…。
【原文】
高倉院の法華堂の三昧僧、何某の律師とかやいふ者、ある時、鏡を取りて顔をつくづくと見て、我が貌の醜く、あさましき事を餘りに心憂く覺えて、鏡さへうとましき心地しければ、その後長く鏡を恐れて、手にだに取らず、更に人に交はる事なし。御堂の勤め許りにあひて、籠り居たりと聞き傳へしこそ、あり難く覺えしか。
賢げなる人も人の上をのみ計りて、己をば知らざるなり。我を知らずして、外を知るといふ理あるべからず。されば、己を知るを、物知れる人といふべし。貌醜けれども知らず、心の愚かなるをも知らず、藝の拙きをも知らず、身の數ならぬをも知らず、年の老いぬるをも知らず、病の冒すをも知らず、死の近き事をも知らず、行ふ道の至らざるをも知らず、身の上の非をも知らねば、まして外の譏りを知らず。たゞし、貌は鏡に見ゆ、年は數へて知る。我が身の事知らぬにはあらねど、すべき方のなければ、知らぬに似たりとぞいはまし。貌を改め、齡を若くせよとにはあらず。拙きを知らば、何ぞやがて退かざる。老いぬと知らば、何ぞ閑にゐて身をやすくせざる。行ひ愚かなりと知らば、何ぞこれを思ふ事これにあらざる。
すべて人に愛樂せられずして衆に交はるは恥なり。貌みにくく心おくれにして出で仕へ、無智にして大才に交はり、不堪の藝をもちて堪能の座に連なり、雪の頭を戴きて壯りなる人にならび、況んや、及ばざることを望み、叶はぬことを憂へ、來らざる事を待ち、人に恐れ、人に媚ぶるは、人の與ふる恥にあらず、貪る心に引かれて、自ら身を恥しむるなり。貪ることのやまざるは、命を終ふる大事、今こゝに來れりと、たしかに知らざればなり。
検:第134段 第134段 高倉院の法華堂の三昧僧
第百三十三段 寝室は東枕
皇室の寝室は東枕です
一般に、東枕にして太陽の「気」を受けるためっていうのがその理由で、孔子も東を頭にして寝られたんです
よって皇族や貴族のお屋敷の内装レイアウトは、東枕あるいは南枕ですが、白河院は北枕でお休みになられたのね
「北は不吉な方角です。また、伊勢は南です。伊勢神宮の方向に足をお向けになるのは、いかがなもんでしょうか」と、ある人が申しました
でも上皇が遥か彼方の伊勢神宮を拝まれる時は、巽(東南)の方角にお向きになったのだ
南ではなかったね
----------訳者の戯言---------
微妙な違い。
白河上皇ならではのこだわり。
【原文】
夜の御殿は東御枕なり。大かた東を枕として陽氣を受くべき故に、孔子も東首し給へり。寢殿のしつらひ、或は南枕、常のことなり。白河院は北首に御寢なりけり。「北は忌むことなり。また、伊勢は南なり。太神宮の御方を御跡にせさせ給ふ事いかゞ」と、人申しけり。たゞし、太神宮の遥拜は巽に向はせ給ふ。南にはあらず。
検:第133段 第133段 夜の御殿は東御枕なり
第百三十二段 鳥羽の作道
「鳥羽の作道(つくりみち)」は、鳥羽殿(鳥羽の離宮)が建てられた後の名前ではないのよ
昔からあった名前なんだよね
元良親王の、元日の賀詞(祝詞)を読み上げる声がめちゃくちゃよく通って、大極殿から「鳥羽の作道」まで聞こえたって、李部王の日記にございます、だって!
----------訳者の戯言---------
地図で測ってみたところ、大極殿から羅城門までは3km以上あります。
っていうかむしろ4kmに近い。
「鳥羽の作道」は羅城門から鳥羽の離宮までの道だったということで、さらに南に約3kmあったということですね。
ま、鳥羽の作道の北端でも大極殿から4km弱ですから、普通は肉声は聞こえないです。
B'zの稲葉やTM西川がPA使えば聴こえますが。
ドリカム吉田美和も。
けどマイクなしでは無理かと。
兼好も「李部王、嘘っぽいよなー」のトーンで書いてますね。
ところで元良親王って誰?
調べました。陽成天皇の第一皇子だそうです。
では李部王は?
醍醐天皇の第四皇子で、式部卿だった重明親王のことだそうです。
中国の人ではありません。
「李部」っていうのは「式部省」の当時の中国名だそうです。
唐風にかっこよく言うと「李部」になるわけね、当時は。
【原文】
鳥羽の作道(つくりみち)は、鳥羽殿 建てられて後の號にはあらず。昔よりの名なり。元良親王、元日の奏賀の聲、はなはだ殊勝にして、大極殿より鳥羽の作り道まで聞こえけるよし、李部王の記に侍るとかや。
検:第132段 第132段 鳥羽の作道は
第百三十一段 自分の身のほどを知って
貧しい者にかぎってお金をお礼にし、お年寄りにかぎって力仕事をお礼にするもんなんだよね
でも自分の身のほどを知って、できないときはすぐやめることができる人を、インテリジェンスがある、っていうんだよ
それができないのは、その人が間違ってるってこと
レベルをわきまえずに無理に強行しようとするのは、自分自身についての客観的判断ミスなんだ
貧乏なのにその状況に納得できないと盗みを働いたりするし、体力が衰えてるのに体調をちゃんとわかってなかったら病気になっちゃうよね
----------訳者の戯言---------
言いたいことは、自身に対する客観的判断の重要性。
そして、無理するなよ。
ってことですね。
【原文】
貧しきものは財をもて禮とし、老いたるものは力をもて禮とす。
おのが分を知りて、及ばざる時は速かに止むを智といふべし。許さざらんは、人の誤りなり。分を知らずして強ひて勵むは、おのれが誤りなり。
貧しくして分を知らざれば盜み、力衰へて分を知らざれば病をうく。
検:第131段 第131段 貧しきものは財をもて礼とし
第百三十段 何をするにも争い事はしないこと
何をするにも争い事はしないこと! あえて自分を曲げて、人の言うままに、自分のことは後回しにして、相手を優先するに越したことはないんだよ
どの遊びでも、勝負ごとが好きな人っていうのは、勝ったら面白いからだよね
自分のテクニックがイケてるのってうれしいんだ
だったら、負けて、「面白くねー」って思うのも、また当然と思う
自分が負けたら、結果、「相手を喜ばせることになるんかい!」って思うと、遊びも全然楽しくないだろうからね
逆に相手をがっかりさせて、自分の心が癒されるっていうのも、徳に背いててなんだかなーって感じやしなぁ
仲のいい者同士で遊んでても、相手をだましたり、欺いたりして、自分のほうの知恵が勝ってることで面白さを感じるって
これまた礼儀に反してるもんね
だから、最初は単なる冗談から始まったことでも、そのうち後々まで遺恨を持つような場合も多いんだ
こんなことも全部、争いごとを好むことから生じるデメリットだよね
人に勝とうと思うなら、ただ学問をして、その知恵、知識において勝とうと思うべきだね
物の道理を学ぶのは、自分の長所に慢心せず、友だちと争っちゃダメってことを知るべきだからなんだ
立派な役職を辞めたり、お金を捨てたりできるのは、ただただ学問の力なんだよ
----------訳者の戯言---------
とはいっても、ゲームだし。
別にそこまで考えてないし。
「徳」とか「礼儀」とか言われても…。
たしかに中には、必死な人もいて、変な感じになるときあるけどね。
そして最終的には学問かい!
説教なんかいらんわ。と。
さて、兼好法師、これまでにも勝負事というかゲーム、ギャンブルについて何回か書いていますね。
おおむねギャンブル的なものには否定的ですが、第百十段のように肯定的に書いてる段もあります。
私の想像ですが、この段も含めて、彼はゲームや勝負事で嫌な思いをした経験ありとみました。
【原文】
物に爭はず、己を枉げて人に從ひ、我が身を後にして、人を先にするには如かず。
萬の遊びにも、勝負を好む人は、勝ちて興あらむ爲なり。己が藝の勝りたる事を喜ぶ。されば、負けて興なく覺ゆべきこと、また知られたり。我負けて人を歡ばしめむと思はば、さらに遊びの興なかるべし。人に本意なく思はせて、わが心を慰めむこと、徳に背けり。むつましき中に戲るゝも、人をはかり欺きて、おのれが智の勝りたることを興とす。これまた、禮にあらず。されば、はじめ興宴より起りて、長き恨みを結ぶ類多し。これ皆、争ひを好む失なり。
人に勝らむことを思はば、たゞ學問して、その智を人に勝らむと思ふべし。道を學ぶとならば、善に誇らず、ともがらに爭ふべからずといふ事を知るべき故なり。大きなる職をも辭し、利をも捨つるは、たゞ學問の力なり。
検:第130段 第130段 物に争はず、おのれを枉げて人に従がひ、 物に争はず、おのれを枉げて人に従ひ
第百二十九段 顔回は、信条として
顔回(孔子第一の弟子)は、信条として、人に苦労をかけることはしない、と決めてたのね
たとえどんなことがあっても、人を苦しめたり、物を傷つけることをしたり、身分の低い民の志だったとしてもその気持ちを奪っちゃいけないんだよ
また、幼い子どもを、お遊びでおどかしたり、辱めるようなことを言って面白がることあるよね
大人からすると、マジなことじゃないから、どうってことないと思うんだけど、子ども心には、身にしみて恐ろしくて、恥しくて、情けない思いは本当に切実なんだ
幼い子どもを悩ませて面白がるのは、慈悲の心があるって言えないよ
大人が、喜び、怒り、悲しみ、楽しむのも、すべて(物理的なものじゃなく、実体の無い)架空の迷いなんだけど、誰もが実在してるものだと錯覚してそれにこだわっちゃうんだよね
体を傷つけるよりも、心を傷つけるほうが、人をよりいっそう大きく傷つけるんだ
病気にかかるのも、その多くは精神的なものからくるものさ
むしろ外的要因による病気は少ないね
薬を飲んで汗を出そうとしても効果が無いこともあるけど、一旦、恥ずかしかったり怖かったりすることがあると、必ず汗をかくのは、心に原因があるってことを理解しておくべきだよ
凌雲観の額を書いて、白髪頭になった例も無いわけではないからね
----------訳者の戯言---------
たしかに病は気からと言います。
もちろん心因性の病気もたくさんありますけど、外的な要因による病気もたくさんありますからね。
兼好説に科学的根拠は一切なしです。
しかしそれでも、心が身体に影響を及ぼすことを、発汗作用だけで強引に結論づけるという力技(汗)
しかも「必ず」って(汗)
白血球が基準値超えてるし、コレステロール150超えてるし、血圧も高めですし、ほんま「心」だけではどうしようもないです。
食生活変えるしかないと(汗)
凌雲観っていうのは中国のめっちゃ高い建物らしいですけど、ここの上の方の額に建物名を書家に書かせた時、恐怖で白髪頭になっちゃったとのこと(汗)
いやいや、無いから(汗)
汗だらけ。
【原文】
顔囘は、志、人に勞を施さじとなり。すべて、人を苦しめ、物を虐ぐる事、賎しき民の志をも奪ふべからず。また、幼き子を賺し、嚇し、言ひ辱しめて興ずることあり。大人しき人は、まことならねば、事にもあらず思へど、幼き心には、身にしみて恐ろしく、恥づかしく、浅ましき思ひ、誠に切なるべし。これを惱して興ずる事、慈悲の心にあらず。
大人しき人の、喜び、怒り、哀れび、樂しぶも、皆 虚妄なれども、誰か實有の相に著せざる。身を破るよりも、心を痛ましむるは、人を害ふ事なほ甚だし。病を受くる事も、多くは心より受く。外より來る病は少なし。藥を飮みて汗を求むるには、驗なき事あれども、一旦恥ぢ恐るゝことあれば、必ず汗を流すは、心のしわざなりといふことを知るべし。凌雲の額を書きて、白頭の人となりし例なきにあらず。
検:第129段 第129段 顔回は、志、人に労を施さじとなり