徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第百四十四段 栂尾の(明恵)上人が

栂尾の(明恵)上人が、道を通り過ぎられたんだけど、川で馬を洗っている男が、「足足」と言ったんで、上人は立ち止まって、「ああ尊い! 前世の善行が現世で身を結んでる、立派な人だよ。阿字阿字と唱えるとはね! どんな人の御馬だろうか。すごく尊く思われるんだけど」とお尋ねになったんで、「府生殿の御馬でございます」と答えたんだ
「こりゃあめでたい事だ! 阿字本不生ってことだね。うれしい縁が結ばれたね」といって感涙を拭われたってことだよ


----------訳者の戯言---------

という話なんですが、何のことなんか、どこがどうおもしろいのかさっぱりわかりません。
予備知識が必要なんですね。

まず栂尾上人(とがのおのしょうにん)です。
明恵(みょうえ)という高僧で、この名前のほうが一般に知られています。栂尾上人は通称ですね。
明恵華厳宗の中興の祖で、華厳密教の僧侶として非常に高名な人です。学問ができ、修行にも熱心、人柄は、無欲無私で清廉、世俗の権力・権勢を怖れるところもなかったそうです。和歌もうまかったらしい。
その学徳の高さから、各界の人々から尊敬を集めたそうですね。まさにスーパーな高僧だったようです。

で、続いて、出てくる難解ワードです。
原文では「宿執開発」とあります。「しゅくしゅうかいほつ」と読むらしい。
「前世で積んだ善い行いの結果が、現世に現れてること」をこう言うんですね。

そして「阿字」。「あじ」ですね。サンスクリット語字母の一番目のものに漢字をあてたものだそうです。
とは言うものの、そもそもその「サンスクリット語」って何?って話。
調べたら、古代インドの文学語。梵語ともいう、とネットに出ていました。
仏教の経典とかも、そもそもこれで書かれてたんですね。
字母」っていうのは英語だとアルファベットに当たるものです。日本語だと50音でしょうか。ですから「阿」というのは英語の「A」、日本語の「あ」、ギリシャ語で「α(アルファ)」と、まあ同じようなもんなんです。

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この「阿」の音が元になってすべての音が生まれるので、密教では宇宙の根元として大事にされるそうなんです。

「阿字本不生」は、この「阿字」が絶対的な存在で、不生にして不滅であるとする思想なのだとか。
「あじほんぷしょう」と読みます。
ここまでくると、宗教学をやっているわけでもない一般人の私には難解すぎてよくわかりません。
まあ、密教ではすごい尊いことなんだろうなーくらいの感じです。すみません。
それとも、このへんは当時の一般常識レベルなのでしょうか?

では「府生殿」って何?
六衛府検非違使庁などの下級職員。「府」とつくのは概ね警備を担当する役所だったらしい。検非違使庁は主に刑事警察の組織だったようですね。

そして、やっとこさ、この段の話です。
ここまでたどり着くのに手間がかかり過ぎなんですよ、もう。

ま、簡単に言うと、馬に「足足」って言ったら「阿字阿字」に聴こえたってんで、すばらしい!と思って見たら馬がいたので、誰の馬?って聞いたら「ふしょう殿」のだっていうので、組み合わせたらなんと「阿字本不生! めでたい!」って、明恵上人が涙を流して喜ばれたわけですね。

偶然の素晴らしさ?を喜ぶ明恵上人に対する敬愛なのか、明恵上人ともあろう方の愛すべき大ボケ?を笑う段なのか。
私も、兼好法師の本心を量りかねる段でございます。
あー疲れた。


【原文】

栂尾の上人 道を過ぎたまひけるに、河にて馬洗ふ男、「あしあし」といひければ、上人たちとまりて、「あなたふとや。宿執開發の人かな。『阿字々々』と唱ふるぞや。いかなる人の御馬ぞ。あまりにたふとく覺ゆるは」と尋ね給ひければ、「府生殿の御馬に候」と答へけり。「こはめでたきことかな。阿字本不生にこそあなれ。うれしき結縁をもしつるかな」とて、感涙を拭はれけるとぞ。


検:第144段 第144段 栂尾の上人 道を過ぎたまひけるに

第百四十三段 人のご臨終の様子がすばらしかったこと

人のご臨終の様子がすばらしかったことなんかを、誰かがしゃべるのを聞いてて、ただ「静かで混乱も無かったよ」って言うんだったら、心苦しいってこともないんやけど、愚かな人ってのは、ミステリアスな、いつもと違ってた様子だったかのように誇張し直して、(故人が)言った言葉も行動も、自分の中で勝手に美化してほめ称えたりするのは、その亡くなった人が常日頃持ってた意思でもなんでもないんちゃうかな、って思うんよね

この「死」っていう一大事は、神様仏様の権化であっても予測不可能
博学な先生も予測はできない
自身に違っているところがないのなら、他人の見聞きによって判断するもんじゃないよ


----------訳者の戯言---------

イメージ操作はいかんよ。
ってことですか。

結論がいまいちボヤ~っとしてますけどねー。
兼好、主語述語をしっかりと、もうちょっとはっきり書いてくれ。


【原文】

人の終焉の有樣のいみじかりし事など、人の語るを聞くに、たゞ、「靜かにして亂れず」といはば心にくかるべきを、愚かなる人は、怪しく異なる相を語りつけ、いひし言葉も、擧止も、おのれが好む方に譽めなすこそ、その人の日ごろの本意にもあらずやと覺ゆれ。

この大事は、權化の人も定むべからず。博學の士も計るべからず。おのれ違ふ所なくば、人の見聞くにはよるべからず。


検:第143段 第143段 人の終焉の有様のいみじかりし事など

第百四十二段 思慮が足りないように見える者も

思慮が足りないように見える者も、いい一言を言うことはあるもんだよね
ある荒々しい田舎出の恐ろしげな者が、そばにいる人に向かって、「子どもはいますか?」と質問したんで「一人もいません」と答えたんだけど、「だったら、人の心の機微や情緒はおわかりいただけないでしょうねえ。薄情なお心でいらっしゃるんだろうと、すごく怖いっすよ。子どもがいるからこそ、すべての心情が理解できるワケでしょ」と言ったのは、たしかにそのとおりだよね
もし愛情込めて家族を思いやる経験がなかったら、こんな者に慈悲の心が生まれるだろうか(生まれないよな)
親を敬愛する心の無かった者でも、子どもを持つと親の気持ちが理解できるのさ

世捨て人が、その人自身にはたしかに全然財産もしがらみもないんだろうけど、(そういうわけにもいかず)概ねしがらみにとらわれがちな人が、仕方なく何にでも媚びへつらったり、欲深かったりする様子を見て、それを容赦なく見下すのは間違いだよね
その人の気持ちになってみたら、本当に愛する親のため、妻子のためだったら、恥も気にせず、盗みもするだろうさ
だったら、盗人を戒め過ちを罰するだけじゃなく、世の人が飢えず、寒さに震えない世にしてほしいもんだよ
人は生活が安定していないと、安定した心が持てないんだ
人は極限状況に追い込まれて盗みを働くもの
世の中が平穏じゃなくって、凍えたり飢えたりの苦しみがあるうちは、犯罪者がいなくなることはないよ
人を苦しめ、法を犯させて、それを罪に問うのは、かわいそうなことだよ

さて、どうやって人に恩恵を施すべきかっていうと、上の者が偉そぶって浪費するのををやめ、民を慈しんで農業を振興すれば、下の者にとって利益があることは間違いない
衣食が普通に足りてるのに、その上で間違いを犯す人を、本当の盗人というべきなんだよ


----------訳者の戯言---------

また出た、兼好の田舎者差別。
そして昨今問題となっている「子なしハラスメント」です。
これまた炎上ネタですね。

ここでいう「上の者」っていうのは政治家のこと、あるいは上流階級のことなんでしょうね。
舛添、お前だよ!お前!(やめたけど)

マリー・アントワネット徒然草を読んでればなー、って話ですが、「パンがなかったら…」のあのあたりの話はだいたいがデマらしい。

財源を確保して、ベーシックインカムやるか!
ただ、世の中が安定してれば犯罪が無くなるかっていうと、そういうこともなくて。
サイコパスもいますからね。
怖いね。


【原文】

心なしと見ゆる者も、よき一言はいふ者なり。ある荒夷の恐ろしげなるが、傍にあひて、「御子はおはすや」と問ひしに、「一人も持ち侍らず」と答へしかば、「さては、物のあはれは知り給はじ。情なき御心にぞものし給ふらむと、いと恐ろし。子故にこそ、萬の哀れは思ひ知らるれ」と言ひたりし、さもありぬべき事なり。恩愛(おんあい)の道ならでは、かゝるものの心に慈悲ありなむや。孝養の心なき者も、子持ちてこそ親の志は思ひ知るなれ。

世をすてたる人のよろづにするすみなるが、なべてほだし多かる人の、よろづに諂ひ、望み深きを見て、無下に思ひくたすは、僻事なり。その人の心になりて思へば、まことに、悲しからん親のため、妻子のためには、恥をも忘れ、盜みをもしつべき事なり。されば、盜人を縛め、僻事をのみ罪せんよりは、世の人の飢ゑず、寒からぬやうに、世をば行はまほしきなり。人、恆の産なき時は、恆の心なし。人窮りて盜みす。世治らずして、凍餒の苦しみあらば、科のもの絶ゆべからず。人を苦しめ、法を犯さしめて、それを罪なはんこと、不便のわざなり。

さて、いかゞして人を惠むべきとならば、上の奢り費すところを止め、民を撫で、農を勸めば、下に利あらむこと疑ひあるべからず。衣食世の常なる上に、ひがごとせむ人をぞ、まことの盜人とはいふべき。


検:第142段 第142段 心なしと見ゆる者も

第百四十一段 悲田院の尭蓮上人は

悲田院の尭蓮上人は、俗姓は三浦の某とか言う、トップクラスの(元)武者なのです
故郷の人が来てお話をした時に、
「関東人は言ったことが信頼できる。都の人は受け答えだけはいいけど、実体がともなってない」
と言ったのを聞いて、上人は、
「それはそう思われるんでしょうけれど、私は都に長く住んで、見慣れておりますので、人の心が劣ってるとは思いません。おしなべて心が穏やかで、情深いため、人に言われたことを、きっぱり断れなくて、すべて、断り切れず、弱気に承るしかできません。約束を違えようなんて思ってはないんだけど、貧乏なのでなかなか思いどおりにもならず、自ずとやるべきことができない人が多いだけなんですよ。関東人は私の故郷の人だけど、実は優しい気持ちが無くて、情が薄く、もっぱらポジティブなもんだから、はじめっから『ダメです』と言って終わりなんです。儲かってて豊かなので、人からも頼まれがちなんでしょうけどね」
と道理をお説きになったのは、この上人、言葉はなまりがあって荒々しくて、仏典のこまかな道理をそんなにわかってないんじゃないかも、と思ってたけど、この一言の後は奥ゆかしく思えて、多くの僧がいる中で住職になれたのも、こんな柔和なところがあって、そんな性格のおかげなんだろうと思いましたよ


----------訳者の戯言---------

京都人については、巷間言われている通りで、関東人のご友人が言うこともさほど違ってはないかとは思います。表面的、言葉的には良いこと言うけど、実態はそれとは裏腹。よく言われる所謂「腹黒い」というイメージですね。
もちろんそんな人ばかりではないでしょうけど、そのような傾向はあります。

私は直接は経験ないですけど、よその家行ったとき「ぶぶ漬け」ならぬ「お茶でも」「コーヒーでも」と言われた、言った、っていう話は何回か聞きましたね。

「都市伝説みたいなもの」「現実には聞いたことがない」という説もあるんですが、やっぱり実際にあるようです。
「〇〇してもらえやしまへんやろか」なんてのもめんどうな言い方ですし、「ごきんとはん」とかいうワケのわからない言葉もどうかと思います。
物事を婉曲に言う方法は、そんな言葉遣いをしなくてもいくらでもありますからね。

しかし、だからといってそれを真っ向から全否定してはいけません。
京都にはコミュニケーションにおける伝統的な暗黙の了解事項がたくさん存在するんです。
為政者がことあるごとに変わり、他所から人が入ってくることも多いのが都ですから、この段で上人が言うような「心持ちの優劣」の問題ではなく、生きるための知恵、テクニックだと考える方が妥当ではないでしょうか。
他者との間の距離を常に測りながら、お互いに刺激し合うことを避け、摩擦を避けるためのコミュニケーション方法、それが京都の一つの文化なのでしょう。

「京都人っていうやつは…まったくもう…」なんていうネタだって、一つや二つあったほうが、面白いですしね。

で、これを踏まえた上で、この段です。
兼好自身が都出身ですから、都びいきなのは当然なんですね。

というか、尭蓮上人、京都人のことを、良く言い過ぎだろ!とは思います。
ヨイショ芸かと思うほどの持ち上げよう。
その話芸にまんまとハマった兼好、ってことで。笑うところは、そこなのかもしれません。

 

【原文】

悲田院の尭蓮上人は、俗姓は三浦のなにがしとかや、雙なき武者なり。故郷の人の來りて物がたりすとて、「吾妻人こそ、言ひつることは頼まるれ。都の人は、言受けのみよくて、實なし」といひしを、聖、「それはさこそ思すらめども、おのれは都に久しく住みて、馴れて見侍るに、人の心劣れりとは思ひ侍らず。なべて心やはらかに情あるゆゑに、人のいふほどの事、けやけく否びがたく、よろづえ言ひはなたず、心弱くことうけしつ。僞せんとは思はねど、乏しくかなはぬ人のみあれば、おのづから本意通らぬこと多かるべし。吾妻人は、我がかたなれど、げには心の色なく、情おくれ、偏にすくよかなるものなれば、初めより否といひて止みぬ。賑ひ豐かなれば、人には頼まるゝぞかし」と、ことわられ侍りしこそ、この聖、聲うちゆがみあらあらしくて、聖教のこまやかなる理、いと辨へずもやと思ひしに、この一言の後、心憎くなりて、多かる中に、寺をも住持せらるゝは、かく和ぎたるところありて、その益もあるにこそと覺え侍りし。


検:第141段 第141段 悲田院の尭蓮上人は

第百四十段 死んだ後に財産を残すっていうことは

死んだ後に財産を残すっていうことは、知性のある者はしないのだよ
よからぬ物を蓄え置くのは見苦しいし、いい物だとすると、それにこだわったように見えて、それはそれで哀しいよね
莫大な財産を残すのは、ますます残念さ
「私がぜひ相続したい」なんて言う者たちが出てきて、死後に争っているのはカッコ悪いこときわまりない
死んだ後、誰かに譲ろうと心に思ってる人がいるなら、生きているうちに譲るべきなんだよ
日常的に使う生活必需品はあっていいけど、その他は何も持たずにいたいもんだね


----------訳者の戯言---------

持っちぁダメ、残すのもダメ。


【原文】

身死して財殘ることは、智者のせざるところなり。よからぬもの蓄へおきたるも拙く、よき物は、心をとめけむとはかなし。こちたく多かる、まして口惜し。「我こそ得め」などいふものどもありて、あとに爭ひたる、樣惡し。後には誰にと志すものあらば、生けらむ中にぞ讓るべき。朝夕なくて協(かな)はざらむ物こそあらめ、その外は何も持たでぞあらまほしき。


検:第140段 第140段 身死して財残る事は

第百三十九段 家にあってほしい木は

家にあってほしい木は、松、桜
松は五葉松もいいです
桜の花は一重なのがいいんだ
八重桜は奈良の都だけにあったんだけど、最近は、世の中にたくさん出回ってるんだよな
吉野の花も、左近の桜も、どれも全部一重なのであって
だから八重桜は異様な物
めっちゃ大げさでひねくれてるよ
ってことで、植えなくてもいいでしょうね
遅咲きの桜もまたダメダメっす
虫のついたのも嫌だね

梅は白いのと、薄紅梅
一重の梅が早く咲くのも、重なって咲く紅梅の匂いが素敵なのも、どれもいい感じなんだ
遅咲きの梅は、桜と同時期に咲くので印象が薄く、桜に圧倒されてて、枝にしがみついてるのが残念だよね
「一重の梅がまず咲いて散るのは、気が早くて素敵だよ」ってことで、京極入道中納言藤原定家)は、やっぱり一重の梅を軒近くに植えられたそうなんだ
京極のお屋敷の南側に、今も二本あるようだね

柳もまた、いい感じ
卯月(旧暦4月。4月末~6月初)ごろの新緑の楓は、すべてのあらゆる花、紅葉にもまさってすばらしいらしいものだよ
橘、桂は、どっちも木が古くて、大きいのがいいね

草花は、山吹、藤、杜若(かきつばた)、撫子
池には、蓮
秋の草花は、荻、すすき、桔梗、萩、女郎花(おみなえし)、藤袴、紫苑、吾木香(われもこう)、刈萱(かるかや)、りんどう、菊、黄菊もいいね
そして、蔦、葛、朝顔
これらはどれもそんなに背が高くなくて、ささやかで、垣根にあまり繁らないのがいいんです
これ以外のレアな物、中国風の名がわかりにくくて、花も見慣れないものなんかには、それほど魅かれないな

だいたい、何においても、珍しくて滅多に無い物というのは、ものごとがわかってない人が面白がるんだよね
そんな物は、無くてもいいんだろうよ


----------訳者の戯言---------

また出た! 兼好の極端なオーセンティック、トラディショナルスタイル志向。
もし今生きてたら、仕事でもないのに普段着に着物とか着てるような人になるんでしょうかね。サブカル系ですね。
肥田晧三は学者だし、篠原勝之(クマさん)はゲージツ家ですけどね。

だいたい兼好法師、概ね、新しいもの、流行りもの、わざとらしいものが嫌いなんですよ。

そういうわけで、「一重」の桜は普通のシンプルな桜ですが、「八重」というのは「たくさん重なった」という意味。
兼好からすると、八重桜も「わざとらしいもの」ということになるんでしょうね。

しかし兼好、相変わらず毒舌ハンパなし。ほめるより、ダメ出しするほうがやっぱり面白い。


【原文】

家にありたき木は、松・櫻。松は五葉もよし。花は一重なるよし。八重櫻は奈良の都にのみありけるを、この頃ぞ世に多くなり侍るなる。吉野の花、左近の櫻、皆一重にてこそあれ。八重櫻は異樣のものなり。いとこちたくねぢけたり。植ゑずともありなん。遲櫻、またすさまじ。蟲のつきたるもむつかし。梅は白き、うす紅梅。一重なるが疾く咲きたるも、重なりたる紅梅の匂ひめでたきも、みなをかし。おそき梅は、櫻に咲き合ひて、おぼえ劣り、けおされて、枝に萎みつきたる、心憂し。「一重なるがまづ咲きて散りたるは、心疾く、をかし」とて、京極入道中納言は、なほ一重梅をなむ軒近く植ゑられたりける。京極の屋の南むきに、今も二本はべるめり。柳、またをかし。卯月ばかりの若楓、すべて萬の花・紅葉にも優りてめでたきものなり。橘・桂、何れも木は物古り、大きなる、よし。

草は山吹・藤・杜若・撫子。池には蓮。秋の草は荻・薄・桔梗・萩・女郎花・藤袴・しをに・吾木香・刈萱・龍膽・菊・黄菊も・蔦・葛・朝顔、いづれもいと高からず、さゝやかなる、垣に繁からぬ、よし。この外の、世にまれなるおの、唐めきたる名の聞きにくく、花も見なれぬなど、いとなつかしからず。

大かた、何も珍しくありがたきものは、よからぬ人のもて興ずるものなり。さやうの物、なくてありなん。


検:第139段 第139段 家にありたき木は

第百三十八段 葵祭が終わったら

葵祭が終わったら、後の葵はいりませんわ」って言って、ある人が御簾についてる葵を全部取らせなさったのが、雰囲気ないなーと思いましたが、レベルの高い人がなさることなんで、そうなんかなーっても思ったんだけども、実は周防内侍が、

かくれどもかひなき物はもろともにみすの葵の枯葉なりけり
(かけておいても意味ないものは、彼氏と一緒に見ることができなくなった御簾の葵の枯葉なんだよなぁ)

と詠んだ歌も、母屋の御簾に掛かってる葵の枯葉をネタにしてるってことで、彼女の家集(個人の歌集)にも載ってるんだものね
古い和歌の詞書(ことばがき)にも「枯れた葵にさして遣わします」ともございますよ
枕草子にも「過去が恋しくなる物は、枯れた葵」と書いてるのは、すごく共感できて自分的には好きだし
鴨長明の「四季物語」にも「玉が飾ってある美しい簾に、祭の後の葵が留まっているよ」って書いてあるんだよね
自然に枯れてしまう葵もあるくらいなのに、名残を残すこともなく、そんなに急いでなんで取って捨てちゃうべき?(いや、捨てなくていんじゃね?)

御帳にかかってる薬玉も、九月九日に菊に取り換えられるってことだから、菖蒲は菊の季節まで残しておくべきなんだよね
枇杷太后がお隠れになった後、古い御帳の中に、菖蒲や薬玉なんかの枯れたのが残されてたのを見て「折ならぬ音(ね)をなほぞかけつる」(季節はずれの(草の)根を今もまだかけてたのね)と弁の乳母(「皇太后の娘=皇女」の乳母だった人)が詠み、返事に「あやめの草はありながら」(菖蒲の草は今も以前のままに残ってるけど)って、江侍従が詠んだってことだよ


----------訳者の戯言---------

「かくれどもかひなき物はもろともにみすの葵の枯葉なりけり」
の歌ですが、「欠く」と「掛く」、「御簾(みす)」と「見ず」、「枯れ」と「離(か)れ」がそれぞれ掛詞(かけことば)になっています。
ダジャレみたいですが、こういうダブルミーニング的な表現も和歌には大事で、粋なことでもあるし、インテリジェンスも感じさせるわけなんですね。

「御帳」というのは、貴人のお屋敷で、主がメインで居る場所のようです。
御帳台とか御帳の間とか、言うらしいですね。
中に台があって、そこに寝転んだり、座ったりしてるんですって。
ま、リビングのソファみたいなもんかな。
で、帳っていうカーテンが四方に垂らされてるされてるのは図のとおり。

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「薬玉」っていうのは、五月五日(端午の節句)に邪気をはらうために、この御帳の柱やカーテンにかけた玉だそうです。
麝香(じゃこう)などの香料を錦の袋に入れて、菖蒲とか蓬なんかで飾って、五色の糸を垂らした、らしい。
凝ってますな。

最後のところの和歌のやり取りは、調べてみると「千載和歌集」からの出典のようです。
弁の乳母って人も、江侍従っていう人も、まあまあの歌人であったらしい。
弁の乳母(弁乳母)という名前だけで判断すると、母代わりとして授乳する人か、ベビーシッターさんみたいに思うけど、さすがに皇族に仕え、しかも皇女の養育(教育)係ともなると、それなりに高貴な人で教養も人格も優れている人でないとなれません。この人ももちろん貴族ですし、藤原氏の娘で本名は藤原明子といいます。弁乳母というのは通称、ニックネーム、芸名みたいなものかもしれませんね。

で、本題としては、せっかくのもんやし、そんなせっかちに捨てんでもええんちゃうかなーって話。

けど、クリスマスツリーは片付けないと、お正月来ますしね。
お雛様、早ようしまわんと、行き遅れるとか言うしね。
けどレシートは置いといたらなんかに使えるかもしれんしな!


【原文】

「祭過ぎぬれば、後の葵不用なり」とて、ある人の、御簾なるを皆取らせられ侍りしが、色もなく覚え侍りしを、よき人のし給ふことなれば、さるべきにやと思ひしかど、周防の内侍が、

かくれどもかひなき物はもろともに みすの葵の枯葉なりけり

と詠めるも、母屋の御簾に葵のかゝりたる枯葉を詠めるよし、家の集に書けり。古き歌の詞書に、「枯れたる葵にさしてつかはしける」ともはべり。枕草紙にも、「來しかた戀しきもの。かれたる葵」と書けるこそ、いみじくなつかしう思ひよりたれ。鴨長明が四季物語にも、「玉だれに後の葵はとまりけり」とぞ書ける。己と枯るゝだにこそあるを、名殘なくいかゞ取り捨つべき。

御帳にかゝれる藥玉も、九月九日、菊にとりかへらるゝといへば、菖蒲は菊の折までもあるべきにこそ。枇杷の皇太后宮かくれ給ひて後、ふるき御帳の内に、菖蒲・藥玉などの枯れたるが侍りけるを見て、「折ならぬ音(ね)をなほぞかけつる」と、辨の乳母のいへる返り事に、「あやめの草はありながら」とも、江侍從が詠みしぞかし。


検:第138段 第138段 祭過ぎぬれば、後の葵不要なりとて

第百三十七段⑤ あの桟敷の前を

あの桟敷の前を大勢の人が行き交うんだけど、その中に顔見知りがいっぱいいることから、わかるんだ、世の中の人の数もそれほど多くは無いってことをね
この人たちがみんな亡くなった後、自分も死ぬと決まってるんだけど、待ってたらすぐにその時はやって来るんだよ

大きな容器に水を入れて、小さい穴をあけたら、したたることは少ないって言っても、ずっと続けて漏れてくんだから、すぐに水は無くなってしまうでしょ
都の中に人は多いけど、人が死なない日は無いはずでね
それは一日に一人、二人だけなんかな?(いやいや違うし。そんなもんやなくてめちゃくちゃ多いし)
鳥辺野、舟岡、そのほかの野山でも、死んだ人を葬る数が多い日はあるけど、まったくない日はないんだよ

ということだから、棺を売る者は、作って置いておく暇さえ無いんだ
若いかどうかに関係なく、強さにも関わらず、予測できないのは死ぬ時期なんだよね
今日まで死を逃れて来れたのは滅多にない奇跡なのよ
たとえほんの一瞬たりとも、この世がこんなのどかに続くと思っていいのかな(ダメだよね)
「ままこ立て」っていうものを双六の石で作って、最初に石を並べた時は、取られるのがどの石かわからない、でも、数え当てて一つを取ったら、その他は取られずに一瞬セーフに見えるんだけど、またまた数えて、一個、また一個と抜いて行くうちに、結局どれも逃げられず取られちゃうのに似てるんだよ
武士が戦に出るときは、死が近いことを知って、家も忘れ、自分自身のことだって忘れてる
俗世から離れた草の庵で静かに水や石を愛でて、死期がやってくることは自分には関係ない、なんて思うのは、めちゃくちゃ浅はかな考えだよ

閑静な山の奥に「死」という敵は勢いよく押し寄せて来ないんだろうか?(来るんだよ!)
そんな死が目の前にあるってことは、戦争で敵陣に進むのと同じなんだよね


----------訳者の戯言---------

当時の京都の人口っていうのは数万人~15万人くらいだったらしいです。
あまりはっきりとはしてないらしいですが、15万人だとしても、人口だけで言えば現代なら小さめの地方都市、という感じでしょう。

東京なら東村山とか武蔵野市、埼玉の入間、愛知だと刈谷市、大阪なら守口市といったところでしょうか。
それでも、現代の日本の都会だと、生活圏が広いですから、ちょっとイメージは違うでしょうね。

私は大都市圏ではない地方都市出身で、県庁所在地ではあったけど、それでも生活圏が閉じてるのは実感していました。
文字通り世間が狭いんですね。
昼夜人口もあまり変わらないし、日常的に人が他の府県、他の街に行くことはほとんどない。
ですから、ここで兼好法師が書いてるように、盛り場や駅前に行くと、知った人何人かに必ずと言っていいほど出会うし、男女で街を歩いたりするとすぐ噂になったりする、イベントのある日には何十人もの知り合いとすれ違うんですね。
葵祭で知った顔に出会うっていうのは、おそらく、ああいうイメージなんだろうなと思います。

さて本題です。
結論としては、死を常にしっかり意識して(それを踏まえた上で、しっかり、精進して)生きろ、とね。
さすが兼好、僧侶としては理想的な論理展開です。

ちなみに鳥辺野は墓地の多いところで、第七段にも鳥辺山という地名が出ていましたね。舟岡も墓地、埋葬地のようです。

もう一つ、追記です。(以下、長文注意)
気になる「ままこ立て(継子立て)」ですね。
なんじゃそりゃ?ということで、調べてみました。

コトバンクデジタル大辞泉によると次のように書かれています。

碁石でする遊戯。黒白の石それぞれ15個ずつ、合計30個をなんらかの順序で円形に並べ、あらかじめ定められた場所にある石を起点として10番目にあたる石を取り除き、順次10番目の石を取っていって、最後に一つ残った石を勝ちとするもの。白・黒を、それぞれ先妻の子と後妻の子に見立てたところからいう。」

「ままこ」っていうのは「継子」ですね。義理の子ども、前妻の子ども。継母⇔継子 です。
興味深いのはこの「継子立て」が、ゲームというだけではなくて、数学の問題でもあるという点です。そして、それにストーリーも付加されているという、複層の仕立てになっているということですね。

では大まかなストーリーから。

離縁したり、奥さんと死別したりすると、後妻をめとるっていうのは今もよくあるお話です。再婚ですね。先妻の子どもたちは、後妻さんからすると所謂「継子」であって、昔は継子いじめ、などということもよくあったらしいです。

今も、シングルマザーに彼氏ができて、彼氏が、子どもを虐待して死なせる、なんていう事件、よくあります。所謂ネグレクトですね。ほんま、ダメ人間は親になっちゃ駄目です。

話がそれました。

子どもが多いと「後継ぎ」も大きな問題でした。昔は「家督相続」などというものがありましたからね。
しかも、今みたいにちゃんとした民法なんてないですから、お家騒動はどこにでもあったわけです。

で、ある所に先妻の子(つまり継子)15人、実の子15人、合計30人の子をもった母がいました、と。
後継ぎを選ぶのに先妻の子には白い着物、実子には黒い着物を着せて全員を輪になって並ばせ、あるところから数えて10人ごとに除外していき、残った1人を相続人にしようと決めました。
ゲームとしては、この子ども(石)を最後まで残したほうが勝ち、ということです。

この絵は江戸時代に書かれた「塵劫記」という本の(類書の)挿絵が出典です。(『塵劫記』については後述します)

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この絵で数えていくと(白い着物の子は先妻の子=継子、黒い着物は実子)、白い着物の子は14人まで連続で除かれてしまいます。そこで、残った最後の継子が「これでは一方ばかり抜けてしまうので、ここからあとは自分から数えてください」と言ったので、やむをえずその1人から数えていくと、今度は実子15人が全部除かれてしまい、最後に先妻の子1人(継子)だけが残って後を継いだという話。

ここまでが「継子立て」の大まかなお話です。

数学的に言うと、
①どう並べたら、白黒30個の石のうち片側の色を全部残して、その反対の色が1個だけ残るのか?
②並べ方が①の正解通りであった場合、継子のうち最後に残り「異議申し立て」をしたのはどの位置の子か?
③黒15個、白1個の計16個を円形に並べて、再度10個めを取っていき、さらに10個め、10個め、と、それを続けていくと、連続15個黒が取り除かれ、最終的に白が残るには、どこからスタートすればいいか?
などの問題が考えられます。もちろん他の問題もいろいろ考えられますね。

上の答えは、①黒白黒白…と並べるとすれば、21352241131221 ②スタート位置から数えて14番目の子(石) ③唯一の「白」から となります。

この話(数学の問題)は、先にも触れましたが江戸時代に書かれた「塵劫記(じんこうき)」という算術書に記されています。
塵劫記」の著者は吉田光由という和算家、今で言うと数学者ですね。
この「塵劫記」、江戸初期(1627年)に発刊された入門的・実用的な書なんですが、すごく人気があったらしく、重版も次々になされたもよう。江戸時代を通して、さらに明治時代まで長きにわたってのロングセラーだったようなのです。
また、類書、異本も多く出たようで、一説によると本家、改訂版、類書を合わせて400くらいあるといいます。

内容としては、まず大小の数や計量単位の名前、そろばん、かけ算・割り算、米・布の売買、貨幣の両替、利子の計算、土地の面積、器物の体積、土木工事に関する計算など、日常生活に必要な諸計算を懇切丁寧にわかりやすく説明し、和算を発展させるとともに庶民に数学を普及する上で大きな役割を果たした、とも言われているそうです。

さて「徒然草」は「塵劫記」よりも約300年も前に書かれています。
徒然草」の頃のゲームを、発展させ、数学の問題として紹介したのが江戸時代の「塵劫記」だったということになるでしょうか。
吉田光由も「徒然草」を読んだのかもしれません。


【原文】

かの棧敷の前をこゝら行きかふ人の、見知れるが數多あるにて知りぬ、世の人數もさのみは多からぬにこそ。この人皆失せなむ後、我が身死ぬべきに定まりたりとも、程なく待ちつけぬべし。大きなる器に水を入れて、細き孔をあけたらんに、滴る事少しと云ふとも、怠る間なく漏りゆかば、やがて盡きぬべし。都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。一日に一人二人のみならむや。鳥部野・舟岡、さらぬ野山にも、送る數おほかる日はあれど、送らぬ日はなし。されば、柩を鬻ぐもの、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり。今日まで遁れ來にけるは、ありがたき不思議なり。暫しも世をのどかに思ひなんや。まゝ子立といふものを、雙六の石にてつくりて、立て竝べたる程は、取られむ事いづれの石とも知らねども、數へ當ててひとつを取りぬれば、その外は遁れぬと見れど、またまた数ふれば、かれこれ間拔き行くほどに、いづれも、遁れざるに似たり。兵の軍に出づるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。世をそむける草の庵には、しづかに水石をもてあそびて、これを他所に聞くと思へるは、いとはかなし。しづかなる山の奧、無常の敵きほひ來らざらんや。その死に臨めること、軍の陣に進めるに同じ。


検:第137段 第137段 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは

第百三十七段④ 葵の葉を

何にっていうわけではなくいろんなところに葵の葉を掛け渡してるのが優美な感じで、まだ夜が明けきらない頃に、ひっそりとやって来る牛車に心がときめいて、乗っているのはこの人か、あの人かなーなんて思いを寄せてると、牛飼いや下僕などの知ってる人もいたりするんだよ
趣向が凝らされ、きらびやかに飾って、車がさまざまに行き交ってる様子は、見ているだけでも退屈しないよね
日が暮れる頃には、立ち並んでた多くの牛車も、所狭しと並んでた人たちも、どこに行っちゃったのか、しばらくしたら閑散としてきて、車があれだけ騒々しかったのも静まって、簾も畳も取り払われて、目の前で次第に寂しい感じになっていくのも、これこそ世の習いだと思ってね、いい情緒を感じるんだよ
こうして大通りを見ることこそが、実は祭を見るってことなんだよね


----------訳者の戯言---------

えーこの段で出てくる「祭」ですが、葵祭です。今さらですが。
昔は京都で祭と言ったら葵祭のことだったらしい。
で、葵祭というのは賀茂神社のお祭りで、やっぱり貴族のものなのね。
源氏物語にも出てきます。

祇園祭もあるけど、祇園祭のほうがだいぶ後のものだし、どっちかっていうと町人のお祭りなんですってね。

どっちもやけど、あれは見て面白いものなのか?
面白さを求めるものじゃないんですよね、たぶん。
すみません。

そーいうわけで第百三十七段⑤に続きます。

【原文】

何となく葵かけ渡して なまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて寄する車どものゆかしきを、其か、彼かなどおもひよすれば、牛飼下部などの見知れるもあり。をかしくも、きらきらしくも、さまざまに行きかふ、見るもつれづれならず。暮るゝ程には、立て竝べつる車ども、所なく竝みゐつる人も、いづかたへか行きつらん、程なく稀になりて、車どものらうがはしさも濟みぬれば、簾・疊も取り拂ひ、目の前に寂しげになり行くこそ、世のためしも思ひ知られて、哀れなれ。大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ。


検:第137段 第137段 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは

第百三十七段③ 祭を見物する様子

そんな人たちが祭を見物する様子って、めちゃくちゃ変だったよ
「見たい行列がくるのはずっと後やし。その時までは桟敷席は不要だよな」って言って、桟敷の奥にある家で酒を飲み、物を食べて、囲碁や双六なんかで遊んで、桟敷には見張り役の人を置いてあるんで「来ますよー」と言ったら、みんなめっちゃ慌てて競争で桟敷に上って、落ちるくらいまでに簾(すだれ)を張り出して、押し合いながら、一つも見逃さないぞと見守って「あーだ、こーだ」と、一つ一つについて喋って、行列が通り過ぎたら「またやって来るまでねー」と言って桟敷から下りちゃったの
ただ、行列だけを見てるんだろうね
都の人でそれなりの品のある人は、居眠りしたりして、しっかりは見てないのよ
若くて位の低い人たちは仕事として立ち居振る舞いし、身分の高い人の後ろに控えてる人たちはみっともなくのしかかったりしないし、無理やり見ようとする人はいないよ


----------訳者の戯言---------

東京ディズニーランドとかのパレードを見るときの感じ。

兼好法師が言いたいのは、片田舎の人=品が無い=行儀がよろしくない、ということだとは思うんですけどね。
「片田舎の人々」全員のことみたいに書くからいけないんですよ。

けど、都の立派な人も、居眠りしたりで、それはそれでどうかと思う。
せっかくパレードしてるのに。

仕事で来てる人は興味ないんだと思います。
それどころやないしな!

というわけで、さらに第百三十七段④に続く。


【原文】

さやうの人の祭見しさま、いとめづらかなりき。「見ごと いとおそし。そのほどは棧敷不用なり」とて、奧なる屋にて酒飮み、物食ひ、圍棊・雙六など遊びて、棧敷には人を置きたれば、「わたり候ふ」といふときに、おのおの肝つぶるやうに爭ひ走り上がりて、落ちぬべきまで簾張り出でて、押しあひつゝ、一事も見洩らさじとまぼりて、「とあり、かゝり」と物事に言ひて、渡り過ぎぬれば、「又渡らむまで」と言ひて降りぬ。唯物をのみ見むとするなるべし。都の人のゆゝしげなるは、眠りて、いとも見ず。若く末々なるは、宮仕へに立ち居、人の後にさぶらふは、さまあしくも及びかゝらず、わりなく見むとする人もなし。


検:第137段 第137段 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは