徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第二百三十一段 趣向を凝らして面白さがあるより、面白くなくてもストレートなのが

園の別当入道(藤原基氏)は、比べるものもないくらい優れた料理人なのだ
ある人のところで、立派な鯉を出したんで、みんな、別当入道の包丁さばきを見ないとなーと思ったんだけど、簡単に言い出すのもどうなん?ってためらってたら、別当入道もわかってる人で
「この頃、100日間、毎日鯉を切ることにしてるもんですから、今日も欠かすわけにはいかないんです。理屈を曲げて申し受けましょう」
と言ってお切りになったのは、とってもその場の空気を読んでられて、いい感じだったと人々が思ったんだって、ある人が北山太政入道殿に申されたところ、
「そういうのは、私はすごいめんどくさ!って思うんですね。『切る人がいないんだったら、おっしゃってください、私が切りましょう』と言ってたら、もっとよかっただろうにね。何で百日の鯉を切るんだよ!」とおっしゃったのは、面白れーと思ったね!ってその人が語られたのは、これまためっちゃ面白かったのだ

だいたい、趣向を凝らして面白さがあるより、面白くなくてもストレートなのが、勝っていることなのさ
お客さんをおもてなしするのも、タイミングを計って作って出されるのも、本当にいいんだけど、ただ、何気に出てくるのって、すごくいいんだよ
人に物をあげるのでも、何の経緯もなくて単に「これ、あげます」って言うのが、ホントの気持ちがこもってるんだ
惜しむふりをして、それ欲しいんですーって言わせようと画策したり、勝負に負けたことにかこつけてあげたりするのは、ヤな感じだよね


----------訳者の戯言---------

園の別当入道っていう人は藤原基氏という人なんですけど、若くして出家した人なんですね。
だから「入道」なんですけど、園家を興して、園流(四条園流)という料理の流派の開祖となった人だそうです。元々は四条家の人らしい。
「四条流包丁道」については第百八十二段に出てきましたね。

兼好は「わざとらしい」のがやっぱり嫌い。


【原文】

園の別當入道は、雙なき庖丁者なり。ある人の許にて、いみじき鯉を出したりければ、みな人、別當入道の庖丁を見ばやと思へども、たやすくうち出でむも如何とためらひけるを、別當入道さる人にて、「この程百日の鯉を切り侍るを、今日缺き侍るべきにあらず、まげて申しうけん」とて切られける、いみじくつきづきしく、興ありて人ども思へりけると、ある人北山太政入道殿に語り申されたりければ、「かやうの事、おのれは世にうるさく覺ゆるなり。『切りぬべき人なくば、給べ。切らん』と言ひたらんは、猶よかりなん。南条、百日の鯉を切らんぞ」と宣ひたりし、をかしくおぼえしと、人のかたり給ひける、いとをかし。

大かた、ふるまひて興あるよりも、興なくて安らかなるが、まさりたることなり。賓客の饗應なども、ついで をかしき樣にとりなしたるも、誠によけれども、唯その事となくてとり出でたる、いとよし。人に物を取らせたるも、ついでなくて、「これを奉らん」と云ひたる、まことの志なり。惜しむ由して乞はれむと思ひ、勝負の負けわざにことつけなどしたる、むつかし。


検:第231段 第231段 園の別当入道は、さうなき庖丁者なり