徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第四十八段 食い散らかしたお膳

(藤原)光親卿が(後鳥羽)院の御所で最勝経を講じて奉行されたので、後鳥羽院が御前に呼んでごちそうを出し、食べさせなさったの
で、食い散らかしたお膳を、光親卿は(院がいらっしゃる)御簾の中へ差し入れて退出したんです
女性スタッフたちが「あら汚らしい。誰に片付けろっていうの」なんて言い合ったんだけど、上皇さまは「伝統に基づいたふるまい、すばらしいことです」と何度も何度もしみじみと感じ入りなさったそうです


----------訳者の戯言----------

やんごとなき階級のしきたりには、常人に理解し難いものもあるんです。
そういうのをちゃんと知ってて、何気にやると、かっこいいよね。
って話?


【原文】

光親卿、院の最勝講奉行してさぶらひけるを、御前へ召されて、供御をいだされて食はせられけり。さて食ひ散らしたる衝重を、御簾の中へさし入れてまかり出でにけり。女房、「あな汚な。誰に取れとてか」など申しあはれければ、「有職のふるまひ、やんごとなき事なり」とかへすがえす感ぜさせ給ひけるとぞ。

 

検:第48段 第48段 光親卿、院の最勝講奉行してさぶらひけるを 光親卿院の最勝講奉行してさぶらひけるを

第四十七段 年老いた尼僧とご一緒することに

ある人が清水寺に参詣したとき、年老いた尼僧とご一緒することになったんだけど、道中「くさめくさめ」と言いながら歩いているので「尼御前、何のことをそんな風におっしゃってるんですか?」と質問したが、答えもなくてやはり言いやまないので、何回も質問したんだけど、そうしたら尼さんが腹を立てて「いやいや、くしゃみをした時、このようにおまじないを唱えないと死んじゃうっていうので、私が乳母としてお育てした養い君が比叡山に稚児としていらっしゃるんですけど、たった今ももしかしたら、くしゃみをなさってるかも、と思って、こう申してるんですよ」と言いました
これ、めったにない志じゃないですか


----------訳者の戯言----------

ちょっとめんどくさいお婆さん。


【原文】

ある人清水へ参りけるに、老いたる尼の行きつれたりけるが、道すがら、「嚔嚔」といひもて行きければ、「尼御前何事をかくは宣ふぞ」と問ひけれども、答へもせず、猶言ひ止まざりけるを、度々問はれて、うち腹だちて、「やゝ、鼻ひたる時、かく呪はねば死ぬるなりと申せば、養ひ君の、比叡の山に兒にておはしますが、たゞ今もや鼻ひ給はむと思へば、かく申すぞかし」といひけり。

有り難き志なりけんかし。

 

検:第47段 第47段 或人、清水へまゐりけるに 或人清水へ参りけるに

第四十六段 強盗法印と呼ばれた僧

柳原のあたりに強盗法印と呼ばれた僧がいました
たびたび強盗にあったので、このニックネームがついたということです


----------訳者の戯言----------

強盗法印というのは「ごうどうのほういん」と読むのだそうです。もしくは「ごうどうほういん」。
しかしどんだけ運が悪いのか、それともセキュリティに問題があるのか。
字だけ見ると一見、怖そうなお坊さんと思うけど、よく聞くと逆にトホホな感じ。本人は、このあだ名、どう思ってたかにも興味あるー。


【原文】

柳原の邊に、強盜法印と号する僧ありけり。度々強盜にあひたる故に、この名をつけにけるとぞ。

 

検:第46段 第46段 柳原の辺に、強盗法印と号する僧ありけり 柳原の辺に、強盗法印と号する僧ありけり

第四十五段 めちゃくちゃ怒りっぽい人

藤原公世の二位の兄で、良覚僧正という人は、めちゃくちゃ怒りっぽい人でした
僧坊の傍らに、大きな榎木があったので、人が「榎木僧正」と言ったんですが
このニックネームが気に入らない、と言ってその木をお切りになったのね
で、その根は残ってたので今度は「きりくいの僧正」と言われたんですよ
またまた腹を立てて、切り株を掘って捨てたんだけども、今度はその跡が大きな堀になってたんで「堀池僧正」と言われましたとさ


----------訳者の戯言----------

気にしすぎ。怒りすぎ。


【原文】

公世の二位の兄に、良覺僧正と聞えしは極めて腹惡しき人なりけり。坊の傍に大きなる榎の木のありければ、人、「榎木僧正」とぞ言ひける。この名然るべからずとて、かの木を切られにけり。その根のありければ、「切杭の僧正」と言ひけり。愈腹立ちて、切杭を掘りすてたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池の僧正」とぞいひける。

 

検:第45段 第45段 公世の二位のせうとに、良覚僧正と聞えしは、 公世の二位のせうとに良覚僧正と聞えしは

第四十四段 みすぼらしい竹の編戸の中から

みすぼらしい竹の編戸の中から、かなり若い男の人が出てきました
月の光だけだから色合いははっきりしないけれど、光沢のある着物に濃い紫の袴がとても由緒ある感じで、まだ小さい子どもを一人だけお供にして、遥かに続く田の中の細道を、稲の葉の露に濡れそぼちながら分け入って
何ともいえないいい笛を吹くんだけど、いいよなーなんて聴き入る人もないだろうねと思いつつ、この若者の行先は知りたいと思って目を離さずについて行くと、笛を吹くのをやめて、山裾の大きな門のある屋敷に入っていったんですね

榻(しぢ)に轅(ながえ)を立てている車が見えたんだけど、それが都よりも目立っていい感じがして、そこのスタッフの人に聞けば「ちょうどこれこれの宮さまがいらっしゃってて、仏事などされているのでしょう」と言うんです

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御堂の方に法師たちが集まっています
夜の寒い風に誘われて漂ってくる空焚きの香の匂いも、身にしみる心地がします
寝殿から御堂への廊下に通う女官たちが残り香にまで気を配ってるなんて、人目も無い山里なのに、心遣いがしっかりされてるんですよ

心のままに茂った秋の野は、あり余るほどの露に埋もれ、虫の声が恨みがましく感じられ、小川の音はのどかです
都の空よりは雲の往来も早く思われて、月が晴れたり曇ったり定まることもありません


【原文】

怪しの竹の編戸の内より、いと若き男の、月影に色合定かならねど、つやゝかなる狩衣に、濃き指貫、いとゆゑづきたるさまにて、さゝやかなる童一人を具して、遙かなる田の中の細道を、稻葉の露にそぼちつゝ分け行くほど、笛をえならず吹きすさびたる、あはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに、行かむかた知らまほしくて、見送りつゝ行けば、笛を吹きやみて、山の際に總門のあるうちに入りぬ。榻にたてたる車の見ゆるも、都よりは目とまる心地して、下人に問へば、「しかじかの宮のおはします頃にて、御佛事などさぶらふにや」と言ふ。

御堂の方に法師ども參りたり。夜寒の風にさそはれくる空薫物の匂ひも、身にしむ心地す。寢殿より御堂の廊にかよふ女房の追風用意など、人目なき山里ともいはず、心遣ひしたり。

心のまゝにしげれる秋の野らは、おきあまる露に埋もれて、蟲の音かごとがましく、遣水の音のどやかなり。都の空よりは、雲のゆききも早き心地して、月の晴れ曇ること定めがたし。

 

検:第44段 第44段 あやしの竹の編戸のうちより、いと若き男の あやしの竹の編戸の内よりいと若き男の あやしの竹の編戸の内より、いと若き男の

第四十三段 春が暮れようとする頃

春が暮れようとする頃、空がのどかにしっとりと優しい感じに晴れている日、品のいい家があって、その奥深くは、木立も古めかしいいい感じで、散りしおれた花も見過ごせなくて庭に入ってみたら、南に面した格子戸は全部おろして寂しげなのに、東向きの扉はいい感じに開いてて、御簾の破れた隙間から見たら、ルックスの良さげな男子が、年は二十歳ぐらいなんだけど、リラックスしてて、それがなんか奥ゆかしくてのどかな雰囲気で、机に上に本を広げて見ていたんですね

いったいどういう人なんだろう
聞いてみたいもんだ


----------訳者の戯言----------

こんな感じのところに何気に男前がいてると、ええ感じですわなーってことか。
しかし、不法侵入、覗き見だし。
いいのか。

しかし前段との落差ハンパないな。


【原文】

春の暮つかた、のどやかに艷なる空に、賤しからぬ家の、奧深く、木立ものふりて、庭に散りしをれたる花、見過しがたきを、さし入りて見れば、南面の格子、皆下してさびしげなるに、東にむきて妻戸のよきほどに開きたる、御簾のやぶれより見れば、かたち清げなる男の、年二十ばかりにて、うちとけたれど、心にくくのどやかなる樣して、机の上に書をくりひろげて見居たり。

いかなる人なりけむ、たづね聞かまほし。

 

検:第43段 第43段 春の暮つかた、のどやかに艶なる空に

第四十二段 こんな病気もあるんですね

唐橋中将という人の子で、行雅僧都という仏経の理論を教える僧がいました
気がのぼせ上がる病気になって、年をとるにつれて鼻の中がふさがって、息をするのも困難になったので、いろいろ治療したんだけど、病状が悪化して、目、眉、額なども腫れがひどくなって、顔全体に広がってきたので、物も見えず、二の舞のお面のように見えるようにまでなったんですが、ただ恐ろしく鬼の顔のようになって、目は頭の上のほうにつき、額のあたりが鼻になったりして、その後は僧坊の内の人にも会わず、引き籠って、長年経ってさらに病状が悪化して、死んでしまったのだとか

こんな病気もあったんですね


----------訳者の戯言----------

こうもまあ、淡々と。
兼好法師、動ぜず。さすがと言うべきか。


【原文】

唐橋の中將といふ人の子に、行雅僧都とて、教相の人の師する僧ありけり。氣のあがる病ありて、年のやうやうたくるほどに、鼻の中ふたがりて、息も出でがたかりければ、さまざまにつくろひけれど、煩はしくなりて、目・眉・額なども腫れまどひて、うち覆ひければ、物も見えず、二の舞の面の樣に見えけるが、たゞ恐ろしく、鬼の顔になりて、目は頂の方につき、額の程鼻になりなどして、後は坊の内の人にも見えず籠り居て、年久しくありて、猶煩はしくなりて死ににけり。

かゝる病もある事にこそありけれ。

 

検:第42段 第42段 唐橋中将といふ人の子に

第四十一段 五月五日、上賀茂神社の競馬を見に行った時

五月五日、上賀茂神社の競馬を見に行った時に、牛車の前に身分の低い人たちがいっぱい立ってて見えにくかったんで、各々車を降りて、柵の際まで寄って行ったんだけど、めちゃくちゃ混雑してて、分け入って行けそうにもなかったんです
そんな時、向いにある楝(栴檀)の木に法師が登って、木の股にちょこんと座って見物してたのね

木に寄り添ってはいるんだけどかなり眠り込んでて、落ちかけたら目を覚ます、っていうのを何回も繰り返してたんですよ
これを見た人が馬鹿にして呆れた感じで「世にも珍しいアホやな。こんな危ない枝の上で、安心してよう寝てるわー」と言ったので、私、心にふと思いつくまま、「私らに死ぬ時期が来るのだって、今すぐのことかもしれんし。それを気にもせずこうやって見物して日を暮らすなんてのは、同じ『愚かさ』においてはずっと勝ってると思うんやけどな」と言ったところ、私の前にいる人たちが「まさにおっしゃる通り。私らが最高に愚かでしたー」と言って、みんな後ろを振り向いて「ここへお入りください」と、場所を空けて呼び入れてくれましたよ

この程度の道理は誰もが思いつかなくもないんですけど、このタイミングだったので、思いがけない感じがして胸に響いたのかな
人は木や石でないから、時によって、感動しちゃうことも無くはないんだよね


----------訳者の戯言----------

けどほんま、いつ死ぬかわからんのだから。

今回はドヤ顔、120パー。自慢話ですか?
と思いきや、いやいや、タイミングがよかっただけなんでー、と一応、自己フォロー。


【原文】

五月五日、賀茂の競馬を見侍りしに、車の前に雜人たち隔てて見えざりしかば、各々下りて、埒の際によりたれど、殊に人多く立ちこみて、分け入りぬべき様もなし。

かゝる折に、向ひなる楝の木に、法師の登りて、木の股についゐて、物見るあり。取りつきながら、いたう眠りて、堕ちぬべき時に目を覺す事度々なり。これを見る人嘲りあざみて、「世のしれ物かな。かく危き枝の上にて、安き心ありて眠るらんよ」と言ふに、わが心にふと思ひし儘に、「我等が生死の到來、唯今にもやあらむ。それを忘れて、物見て日を暮す、愚かなる事は猶まさりたるものを」と言ひたれば、前なる人ども、「誠に然こそ候ひけれ。尤も愚かに候」と言ひて、皆後を見返りて、「こゝへいらせ給へ」とて、所を去りて、呼び入れはべりにき。

かほどの理、誰かは思ひよらざらむなれども、折からの、思ひかけぬ心地して、胸にあたりけるにや。人、木石にあらねば、時にとりて、物に感ずる事なきにあらず。

 

検:第41段 第41段 五月五日、賀茂の競馬を見侍りしに、 五月五日賀茂の競べ馬を見侍りしに 五月五日賀茂の競馬を見侍りしに

第四十段 栗ばっかり食べて

因幡の国に、何とか入道とかいう者の娘が美人だというので、多くの男が結婚を申し込んでたんだけど、実はこの娘は栗ばっかり食べて、米の類を全然食べないので「こんな変人を人様に嫁がせるわけにはいかない」と言って、親は結婚を許さなかったんですと


----------訳者の戯言----------

美人だけど偏食。
私は全然OKですが。

ちなみに栗はでんぷん質の食べ物なので、ちゃんと穀物と同等のエネルギー源になります。しかもナッツ類にしては脂質が少なくてヘルシー。たんぱく質、ビタミン類、ミネラル分も豊富で、食物繊維も多いですし、渋皮にはポリフェノールも多く含んでいます。なかなかいい食物なのです。


【原文】

因幡(いなば)の國に、何の入道とかやいふものの女、かたちよしと聞きて、人あまたいひわたりけれども、この娘、ただ栗をのみ食ひて、更に米のたぐひを食はざりければ、「かゝる異樣のもの、人に見ゆべきにあらず」とて、親ゆるさざりけり。

 

検:第40段 第40段 因幡国に、何の入道とかやいふ者の娘 因幡国に何の入道とかやいふ者の娘

第三十九段 ある人が法然上人に

ある人が法然上人に「念仏の時、睡魔におそわれて行を怠ってしまうんですが、どうやってこの問題を解決したらいいでしょうかね」と言ったところ、「目が覚めた時に念仏しなさい」とお答えになったというの、とても尊いですね
また「極楽への往生は、必ずと思えば必ずできるし、できないかもと思ってしまったらできないかもしれないですね」とおっしゃったといいます
これも尊いお言葉です
また「疑いながらでも念仏をとなえていれば、極楽浄土に往生できますよ」ともおっしゃったとか
これもまた尊いですね


【原文】

或人、法然上人に、「念佛の時、睡りに犯されて行を怠り侍る事、如何して此の障りをやめ侍らん」と申しければ、「目の覺めたらむ程、念佛し給へ」と答へられたりける、いと尊かりけり。又、「往生は、一定と思へば一定、不定と思へば不定なり」といはれけり。これも尊し。

また、「疑ひながらも念佛すれば往生す」とも言はれけり。是も亦尊し。

 

検:第39段 第39段 或人、法然上人に、 或人法然上人に