徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第二百三十九段 八月十五日、九月十三日は、婁宿の日である

八月十五日、九月十三日は、婁宿の日である
この宿(日)は、清く明らかなので、月を愛でるのにふさわしい夜になるんだよ


----------訳者の戯言---------

婁宿(ろうしゅく)っていうのは、月の見かけの通り道である白道を、27のエリア(星宿=星座)に等分割したもの(二十七宿)の一つ、らしいです。
ですから、宿といっても、泊まる宿(やど)のことではありません。
私、はじめて読んだときは婁宿って何? 宿(やど)って?と思いましたけど、全然違いましたよ。

似たようなのに二十八宿っていうのがあるのですが、ここに出てるのは二十七宿のようですね。
暦の1日に1コ割り当てられます。これは六曜とか干支なんかと似ています。
で、この段で紹介されてる宿が「婁」という星宿なんですね。

これ、一応調べたんですけど、毎年8月15日と9月13日はたしかに「婁」になります。
今年もです。
念のため、徒然草が書かれた頃、1329年も1330年も調べましたが、やはり8月15日と9月13日は「婁」でした。当たり前かもしれませんが。

兼好は第二百十二段でも月愛好家ぶりを発揮していましたね。
また、第百三十七段①第百三十七段②でも月の愛で方を書いていました。

秋の満月はやはりきれいなものだということですね。


【原文】

八月十五日、九月十三日は婁宿なり。この宿、清明なる故に、月をもてあそぶに良夜とす。


検:第239段 第239段 八月十五日、九月十三日は、婁宿なり