徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

読了しました

徒然草」読み終わりました。
去年(2017年)の10月11日に読みはじめましたから、3カ月半ほどかかったことになります。(ちなみに序段(冒頭文)はこんな感じでした。)

徒然草を読むことにしたのには、それほど大層なモチベーションもなく、ほとんど思いつきに近いものでした。
実は、徒然草については、学校で習ったのと、何か別の読み物を読んだ時に引用されていた話くらいしか知らず、ちゃんと通して読んだことはありません。
ただ、自分の印象としては変わり者のお坊さん、という体(てい)の吉田兼好、そして徒然草という随筆にもなんとはなしに興味を持ってはいました。

現代語訳、というと大層に見えますが、そもそもは、自分が「徒然草」を読むだけのつもりだったことに間違いはありません。
最近は本もあまり読まなくなっていましたし、古典でも読もうか、という気持ちではじめたことです。もちろんブログで訳文を公開するつもりもありませんでした。

しかし他の人が書いた訳文を少し読むと、結構直訳的、教科書的であったり、逆に意訳というか超訳というか、訳者の個性がすごく出ているものであったりして、それはそれぞれ良いものなのですが、帯に短し襷に長しというか、どちらも自分には少し違和感があるというか、しっくりはしないものではありました。
とは言うものの、残念ながら自分には原文をダイレクトに理解できる知識や能力はありませんし、結局は、原文を自分で少しずつ訳しながら読んでいくしかありません。

ただ、読むからには、ある程度の内容は理解したいですし、そのためには自分の頭にスムーズに入ってくる感じに噛み砕く必要もあります。
話の背景も少しは知っておかないと、面白さもわかりづらいです。
そう考えると、調べたこととか、自分で部分的に訳したものを、何らかのメモに留めていったほうが、格段に読み進めやすくなります。
せっかくなので、「ここまで読んだ」という栞も残したいし、読後の感想なんかも書き留めておいたほうがいいのではないか、そう考えるようになりました。
そこで、自分の記録としてブログに残すことにしたわけです。
ですから、このブログは、ほんとうに元々は、自分のためのメモの延長ということになります。

とは言っても、ブログとなると、今度は人に読まれる可能性も出てきます。
それほど多くの方ではないにしても、ある程度は「読み手」も意識して書くことになって、少しですが緊張感も出てきました。

訳については、表現方法は現代風にはしていますが、内容はできるだけ直訳に近くすることを心がけました。
それが作者の意図に至る近道だと思いますし、素人はまずそこからです。

結果としては、自分なりに、そこそこ楽しんで読めましたし、このブログもはじめから順に読んでいただくと、たぶん面白さは倍加すると思います。
もちろん興味のあるところだけ、試しに、という感じでも、面白いものはありますし、教科書に載っていないことも多少は書いていますから、参考資料の一つとして見ていただいてもいいかもしれません。

「面白い」というのは、原典がいろんな意味で面白いからに他なりません。
兼好法師のロジックやセンスの中には、もちろん同意できるものもありますが、変な話とか、自分とは違う困った考え方なんかも出てきます。
兼好という変わった友だちがいて、その話にツッコミを入れたり、からかったり、共感したり、適当にスルーしたりしながら、つきあってきたという感じでしょうか。

さて、とりあえず一段落しましたから、もう一度、最初から読み直してみようかとも思います。
気になるところは改稿したり、時事ネタを入れてしまったところもあるので、それはまた、削除すべきか、残すか、なども再考しながらになるでしょう。
誤字や脱字、文法の誤りなどもあると思いますので、それもチェックしていくつもりです。

最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。
はじめてご覧いただいた方、何度か立ち寄っていただいてる方、ありがとうございます。
ぜひまたお越しください。

 

すらすら読める徒然草 (講談社文庫)

すらすら読める徒然草 (講談社文庫)

 


(2018年1月27日)
(2018年2月16日 改稿)
(2018年3月13日 再更新)