第二百三十八段⑦ 二月十五日、月の明るい夜、夜が更けてから
一つ
二月十五日、月の明るい夜、夜が更けてから、千本釈迦堂に参詣して、裏口から入って、一人顔を深く隠して説法を聞いてたんですけど、上品で、姿、雰囲気が人とは違ってる女性が、人の間を分け入ってきて、私の膝に寄りかかって、匂いなんかも私に移るくらいになったんで、まずいなー、と思って、すっとよけたんだけど、それでもまだ近寄ってきて、さっきと同じ様子なんで、立ち去ったんだ
その後、ある御所の方にお仕えしてるベテランの女房が、何てことない用事のついでに、「残念なことに情緒の無い人でいらっしゃいました、って、見損なうことがございましたのよ。情に欠けてるよね、ってお恨みしてる人がいるんですよねー」と言われたんで、「全然、わかりませんが…」と申して、その話は終わったの
で、これは後で聞いたんですが、例の千本釈迦堂の夜、御局の中からある人が私を見つけられて、仕えてる女房をおしゃれさせてお出しになって、「うまくいったら、言葉なんかもかけるんですよw どんな様子だったか、報告してね♡ おもしろくなりそうよね♪」って、トラップにかけようとしたらしいんだ
----------訳者の戯言---------
で、結論としては、そんな誘惑に乗らなかった私って、すごくね? さすがじゃね?
って話です。
ま、僧侶なんで、当たり前ですけどね。
小出恵介みたいなことにはならんぞ!と言ったかどうかはわかりませんが。(絶対言うてないし!)
千本釈迦堂っていうのは、正式名称を千本釈迦堂大報恩寺というそうです。
場所を調べたら、平安宮大内裏からはそう遠くもないようですから、あり得る話ですね。
2月15日は釈迦入寂の日。涅槃会が行われます。
仏教界のイベントとしては大事なものの一つだそうです。
入寂っていうのは僧が亡くなることなんですけど、一般人とは違って涅槃に行くことなんですね。
むしろ物質的に肉体は消滅するけど、魂的には解脱が完成する、宗教的に解放されると。
なるほど、深い。
第二百二十段は音楽の話、四天王寺の鐘の音が黄鐘という音だっていうお話だったんですが、そこで二月の涅槃会が旧暦2月15日にあると書きました。
さて、この第二百三十八段では兼好の自慢話を延々と読まされました。
これまでも、ちょいちょいものしり自慢はしてますから、それはわかってたんですけど、それだけじゃなく、洞察力もなかなかシャープで、結構勘がよくて手際がいいとか、女の色香なんぞに惑わされません、っていうアピールもしてきてます。
ただ、兼好は「枕草子」も好きっぽいので、清少納言が「自慢ネタ」をさんざん書いたのを真似してるというか、パロディ的、あるいはオマージュとして、わざと書いてるようなところもあるかもしれませんね。
【原文】
一、二月十五日、月 明き夜、うち更けて千本の寺にまうでて、後より入りて、一人顔深くかくして聽聞し侍りしに、優なる女の、姿・匂ひ、人よりことなるが、わけ入りて膝にゐかかれば、にほひなどもうつるばかりなれば、敏あしと思ひて、すり退きたるに、なほ居寄りて、おなじさまなれば、立ちぬ。その後、ある御所ざまのふるき女房の、そゞろごと言はれし序に、「無下に色なき人におはしけりと、見おとし奉ることなんありし。情なしと恨み奉る人なんある」と宣ひ出したるに、「更にこそ心得はべらね。」と申して止みぬ。
この事、後に聞き侍りしは、かの聽聞の夜、御局のうちより、人の御覽じ知りて、さぶらふ女房を、つくり立てて出し給ひて、「便よくば、言葉などかけんものぞ。そのありさま參りて申せ。興あらん」とて、はかり給ひけるとぞ。
検:第238段 第238段 御随身近友が自讃とて