徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第二百三十四段 人が何か質問してきた時に

人が何か質問してきた時に、「まさか知らないはずないし、そのまんま言うのはアホらしい」とでも思うんだろうか、心を惑わすように返事するのは、良くないことだよね
ちょっとは知っていることでも、もっとハッキリと知りたい!と思って質問するのかもしれないし
また、ホントに知らない人だって、何で皆無って言えるワケ?(いるかもしれないでしょ!)
結局、ストレートに教えてあげたほうが、思慮深いって思われるはずだよね

他人がまだはっきりと知らない噂話なんかを、自分の勝手な解釈のまま「それにしても、あの人のことは、ひどいよねー」ってだけ言ってきたら、「何かあったんですか?」って聞き返さないといけないのは、不愉快だよね
世間では当たり前になってることでも、たまたま聞き漏らしてることもあるだろうから、あいまいな部分が無いようにちゃんと説明するのはいけないことかな?(いやいや、いいことだよね!)

そういう風に曖昧な言い方をするのは、無分別な人がやりがちなことである


----------訳者の戯言---------

それぐらい、いんじゃね? と思いますが。


【原文】

人の物を問ひたるに、知らずしもあらじ、有りのまゝにいはむはをこがましとにや、心まどはすやうに返り事したる、よからぬ事なり。知りたる事も、猶さだかにと思ひてや問ふらん。また、まことに知らぬ人もなどか無からん。うらゝかに言ひ聞かせたらんは、おとなしく聞えなまし。

人はいまだ聞き及ばぬことを、わが知りたる儘に、「さてもその人の事の淺ましき」などばかり言ひやりたれば、「いかなる事のあるにか」と推し返し問ひにやるこそ、こゝろづきなけれ。世に古りぬる事をも、おのづから聞きもらす事もあれば、覺束なからぬやうに告げやりたらん、惡しかるべきことかは。

かやうの事は、ものなれぬ人のあることなり。


検:第234段 第234段 人のものを問ひたるに