徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第百八十八段③ 一つのことを必ず成就させようと思うんだったら

一つのことを必ず成就させようと思うんだったら、他のことがうまくいかなくてもがっかりしちゃいけません
人にバカにされても恥じてはいけません
あらゆることと引き換えにしないと、一つの大事が成就するはずがないんです
人が大勢いる中で、ある人が
「ますほの薄(すすき)、まそほの薄なんていう言葉があるね。渡辺の聖が、このことを伝え知ってるのさ」
と語ったのを、その集まりにいらっしゃった登蓮法師が聞いて、雨が降っていたので
「蓑笠はありますか? お貸しください。その薄のことを習いに、渡辺の聖の元へ行ってまいります」
と言ったのを、
「あまりにも慌ただしいことだねー。雨がやんでから行ったら?」
と人が言ったら、
「とんでもないことをおっしゃいますねぇ。人の命は、雨の晴れ間を待つものでしょうか? 私が死んで聖も死んでしまったら、質問できます?」
と言って、駆け出して行って、習いました、と申し伝えられたことは、とんでもなく立派なことに思われますね
「スピーディにやれば成功する」と、「論語」っていう書物にも書かれてるということです
登蓮法師がこの薄のことを気がかりに思ったように、人生の一大事、仏道における「因縁」を思うべきだったんです


----------訳者の戯言---------

最後の結論の一文が、過去形で書かれているんですね。
この段の冒頭(このブログでは2つ前の記事です)に出てきた、馬乗りや早歌に熱心になってしまって説教の勉強をしないまま年を取ってしまった人がどうすべきだったか、の答えとなります。

例が多すぎるし、しかも長い。
もうちょっと何とかならんのか。

渡辺というのは、摂津渡辺のことだそうです。大阪の、今の天満橋と天神橋の間あたりに港があったという説が有力らしく、渡辺津(わたなべのつ)と言ってたと。
今、渡辺橋っていうのもあるんですけど、四つ橋筋のほうですから、位置的にはだいぶずれてますね。

聖と言うのは出家隠遁者のことですから、当時その渡辺津あたりで暮らしてたお坊さんなんでしょう。

さて、その「ますほ」とか「まそほ」とかです。
調べてみたら、漢字で「真赭」と書くそうで、赤い色(赤い土の色)なんだそうです。「真朱」とも書くようです。
ですから、「ますほ(まそほ)の薄」というのは赤みを帯びた穂の色をしたすすき、っていうことなんでしょう。

因縁というのは、仏教において因と縁のことらしい。
よくわかりませんね。
結果を生じさせるにおいて、「因」は内的な要因、「縁」は外的な間接的な原因を言うそうです。
全ての存在は、因縁によって生じ、因縁によって滅する、この道理が、因縁生滅の理というものだそうです。
やっぱりざっくりとしかわかりません。てへヘ。真に悟るには出家するしかなさそうですね。


【原文】

一事を必ず成さむと思はば、他の事の破るゝをも痛むべからず。人のあざけりをも恥づべからず。萬事にかへずしては、一の大事成るべからず。人のあまたありける中にて、あるもの、「ますほの薄、まそほの薄などいふことあり。渡邊の聖、この事を傳へ知りたり」と語りけるを、登蓮法師、その座に侍りけるが、聞きて、雨の降りけるに、「蓑・笠やある、貸したまへ。かの薄のこと習ひに、渡邊の聖のがり尋ねまからん」といひけるを、「あまりに物さわがし。雨やみてこそ」と人のいひければ、「無下の事をも仰せらるゝものかな。人の命は、雨の晴間を待つものかは、我も死に、聖もうせなば、尋ね聞きてむや」とて、走り出でて行きつゝ、習ひ侍りにけりと申し傳へたるこそ、ゆゝしくありがたう覺ゆれ。「敏きときは則ち功あり」とぞ、論語といふ文にも侍るなる。この薄をいぶかしく思ひけるやうに、一大事の因縁をぞ思ふべかりける。


検:第188段 第188段 或者、子を法師になして ある者、子を法師になして