徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第百七十三段 小野小町のことは

小野小町(825年頃~900年頃。生没年不詳)のことは、全然解明されてないんよ
衰えた様子は「玉造」という書物に書いてあるが
この書物は、(三善)清行(847~919)が書いたという説があるけど、弘法大師の著作の目録にもこれが入ってんのよね
けど、弘法大師は承和のはじめ(承和2年=835)にお亡くなりになったわけで
小野小町の全盛期ってその後のことちゃうかな、やっぱりクリアにはならんよなー


----------訳者の戯言---------

小野小町が9世紀の人だということはなんとなーくわかってるんですが、生没年も、どういう人だったのかも詳細不明なんですね。
今も、です。

「玉造」というのは「玉造小町壮衰書」という書物のことだそうで、実は作者不詳なのです。
落ちぶれた美女のありさまを描いたものではあるようなんですが、かつての美女がイコール小野小町のことかも、実ははっきりしないようですね。


【原文】

小野小町がこと、極めて定かならず。衰へたるさまは、玉造といふ文に見えたり。この文、清行が書けりといふ説あれど、高野大師の御作の目録に入れり。大師は承和のはじめにかくれ給へり。小町が盛りなる事、その後のことにや、なほ覚束なし。


検:第173段 第173段 小野小町がこと、極めて定かならず 小野小町が事、きはめてさだかならず 小野小町が事、極めて定かならず 小野小町が事、きはめて定かならず 小野小町がこと、きはめてさだかならず