徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第二百二十段 鐘の音は、黄鐘調であるべき

「何ごとにおいても田舎は、賤しくて、粗野なんだけど、四天王寺舞楽だけは都のと比べても恥ずかしくないですよねー」
って言ったら、四天王寺雅楽演奏家が申しましたのは、
「うちの寺の楽は、ピッチ(基準音)をしっかり正確に示すことによって楽器のチューニングが揃ってるので、そこが他よりもすぐれてるかと。何でかって言うと、聖徳太子の時代のピッチが現存してるのを、今も基準にしてるんですね。それが例の六時堂の前の鐘なんです。その音がまさに黄鐘調(の主音)なんですね。ただ気温によって上がり下がりがあるので、二月の涅槃会(旧暦2月15日)から精霊会(旧暦2月22日)までの間の音から基準音が示されます。秘伝のことです。この一つの音でもって、どの楽器もチューニングするんです」
とのことだった
だいたい鐘の音は、黄鐘調(の主音)であるべきだよ
これは無常を感じさせる調子であり、祇園精舎の無常堂の鐘の音なんだ
西園寺の鐘を黄鐘の音が鳴るよう鋳造しようとして、何回も鋳直したんだけど、うまくいかなかったんで、遠い国から探し出してきたんだよね
浄金剛院の鐘の音も、また黄鐘なのだ


----------訳者の戯言---------

今回も兼好法師のものしり話です。

まずひと言言っておきたいんですけど、兼好、田舎者を馬鹿にするんですよね、いつも。
感じ悪いです。

さて気を取り直して音楽のお話です。
そういえば呂、律という音楽の話が第百九十九段でも出てきました。

ご存じのとおり、洋楽ではたいていA、所謂ハ長調のラをチューニングの基準音にします。
あの、オーケストラのコンサートとかで演奏前に最初に全員がギーギー、パッパラパー、ピーヒョロ鳴らしてる音です。
指揮者が来るとピタッと止まるやつですね。

あれは、通常はオーボエからコンサートマスター(バイオリンのトップ)がA(アー)音をもらって、コンサートマスターから全員にA音を配るというシステム。
あれ、オーボエファゴットがチューニングできない楽器だからなんですね。
ピアノコンツェルトの場合はピアノに他の楽器が合わせます。
チェンバロなんかもそうですけど鍵盤楽器もその場ではチューニングできませんから、鍵盤が入るとそっちから音を貰うわけです。

そういやシロフォンとか木琴などの打楽器もチューニングできません。
トライアングルとか、鈴とかカスタネット、シンバルとかもですね。
前もってできるだけ合ったものを用意するんでしょう。
ティンパニーとかドラムなんかはもちろんチューニングします。
言い出すとキリがないですね、話がそれました。すみません。

もちろんジャズやロックでも基準ピッチは同じAです。
最近はデジタルのチューナーがあったり、チューナー内蔵の楽器もあったりで便利になりました。
ちょっと前まではやはりキーボードのAに合わす感じだったでしょうか。
弦楽器をソロやるときとか家で個人練習したりの時はピッチパイプを使ったり、音叉を使いましたね。
現在の洋楽ではA音は440Hzだそうで、音叉はこの音が出ます。

でも、440Hzというのも絶対的なものではなく、オーケストラによって違ったり、時代によっても多少異なるらしいです。

今回出てきた「黄鐘」というのが日本音楽における音の名前であり、そしてこの音を主音にした「調=キー」が「黄鐘調」だと理解できます。
調べてみると、この「黄鐘」という音も、洋楽で言うところのA、つまりラの音に近いようです。

単音「黄鐘」ならAとかラですが、キー「黄鐘調」ならイ短調とかAマイナーなどと言うのと同じですね。
ただ、この段の話題から考えれば、ほぼ「黄鐘」の「単音、ピッチ」のことを言ってるように思います。
ですから、兼好法師が原文で「黄鐘調」「黄鐘調」と何回も書いてるのはおそらく間違い、というか意味合いとしては「黄鐘調の主音」と言いたいところなんでしょう。

もちろん、その音そのものに無常を感じさせる何かがあったのかもしれません、文中で「これ無常の調子」なんて書いてます。
ただ、この「調子」という言葉が曲者で、「調子=ピッチ」ともとれますし、「調子=調=キー」とも理解できますから、読み方によっては、ここはキーとしての「黄鐘調(イ短調?=Aマイナー?)」のことを示唆してるのかもしれません。
短調だとしたら、憂いがありますしね。

さて、いろいろ余談を含めて書いてきましたが、ざっくりと本段を要約すると、日本の雅楽では「黄鐘」をチューニングの基準音にしていて、さらにこの音を主音にした「黄鐘調」が主流であり、で、この無常を感じさせられる音「黄鐘」が、天王寺をはじめいくつかの寺院の鐘の音にあって、そのルーツが祇園精舎の鐘にあるんだ、ということなのでしょう。

ただ、厳密に言うと洋楽のAが440Hzなのに対し、「黄鐘」は430Hzです。
私のような素人が聴いても判別できないでしょうけどね。

ところで、祇園精舎ですが、あの平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声~」に出てくる、あの祇園精舎です。
インドの北部の都市に今もあるにはあるみたいですけど、跡地がほぼ公園になってるらしい。
豆知識なんですが、実はここの鐘って玻璃(ガラスまたは水晶)製だったらしいです。金属じゃなかったのね。
だから、そんなにでかくなかったんじゃないかと思われます。
水晶もそんな大きなのはなかなか出ないでしょうし、工作も難しいので、やっぱり(当時の)ガラスではないかと考えられてるようですね。

私、あの平家物語の冒頭のイメージを、ゴォォ~ンとなる梵鐘の荘厳な感じだとずっと思ってましたが、どうやら全然違っていたようですね。
たしかに430Hzの音を出すには、あの私の知ってるお寺の大きな梵鐘では無理があります。
私の持っている音叉(440Hz)であらためて聴いても、クィィィィ~~ンと結構高く響く感じ。

結構、ショックです。


【原文】

「何事も邊土は、卑しく頑なれども、天王寺の舞樂のみ、都に恥ぢず」といふ。天王寺伶人の申し侍りしは、「當寺の樂は、よく圖をしらべ合せて、物の音のめでたく整ほり侍ること、外よりも勝れたり。ゆゑは太子の御時の圖、今にはべる博士とす。いはゆる六時堂の前の鐘なり。そのこゑ、黄鐘調の最中(もなか)なり。寒暑に從ひて上り・下りあるべきゆゑに、二月 涅槃會より聖靈會までの中間を指南とす。秘藏のことなり。この一調子をもちて、いづれの聲をもとゝのへ侍るなり」と申しき。

 およそ鐘のこゑは黄鐘調なるべし。これ無常の調子、祇園精舍の無常院の聲なり。西園寺の鐘、黄鐘調に鑄らるべしとて、あまたたび鑄替へられけれども、かなはざりけるを、遠國(をんごく)よりたづね出されけり。法金剛院の鐘の聲、また黄鐘調なり。


検:第220段 第220段 何事も辺土は、賤しく、かたくななれども 何事も辺土は、卑しく頑なれども 何事も辺土は、賤しく、頑なれども