徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第百三十七段② だいたい月や花を

だいたい月や花を、そんなに無闇に目だけで見るべきだろうかね
春は家から出なくても、月の夜はお布団の中で想像するのが、すごいわくわく感があって、いい感じなんだよ
品のいい人は、やたら風流好き、みたいには見えないし、楽しむ様子も、一見、気にしてない感じなんだ
片田舎の人っていうのは、しつこくて、何でももてはやすでしょ
桜の花の木の下には、にじり寄って、寄りかかって、脇目もふらず見ては、お酒を飲み、連歌をして、その挙句、大きな枝を考えなしに折って取るんだよ
泉には手足を浸けて、雪には降り立って足跡を付けたりして、どんなものでも、離れて見るってことをしないんだよね


----------訳者の戯言---------

都会の上品な人はすかしてる感じ。
片田舎の人はピュア、無邪気。
とも言える。

そして兼好、もはや達人レベルのイメージプレイ。

引き続き、第百三十七段③へ。

 

【原文】

すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いと頼もしう、をかしけれ。よき人は、偏にすける樣にも見えず、興ずる樣もなほざりなり。片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。花のもとには、ねぢより立ちより、あからめもせずまもりて、酒飮み、連歌して、はては大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手・足さしひたして、雪にはおりたちて跡つけなど、萬の物、よそながら見る事なし。


検:第137段 第137段 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは