第八十三段 竹林院入道左大臣殿が太政大臣に昇進なさるのに
竹林院入道左大臣殿が太政大臣に昇進なさるのに、何の差し障りもなかったんだけど「べつに珍しいこともありません。左大臣でやめましょう」といって出家されました
洞院左大臣殿が、このことに共感されて、太政大臣になることを望まれませんでした
「亢竜の悔あり」(昇った竜は後は下るだけなので悔いがある)とかって、言うことがございます
月は満ちると必ず欠け、物が盛えると必ず衰えるもの
全てにおいて、先が詰まってるのは、破滅に近い道なんですよね
----------訳者の戯言---------
現代の政治家にはめったにいないタイプ。
相国というのは太政大臣の唐名です。律令制度における太政官の最高職だそうですね。
故人の場合は、どうもその人の生涯の最終(最高)官職で言うのが習わしみたいです。
実は太政大臣は名誉職らしくて、必ずしも常にいたわけではなかったらしいですけどね。
ただ、武家時代にも残っていたので、没後に贈られたものも含めて太政大臣だった人はたくさんいるようです。
豊臣秀吉や徳川家康もそうでしたし、織田信長は死後に追贈されています。徳川幕府の将軍は生前、没後の追贈を含めると全員太政大臣になっているそうです。
実は家光は将軍になった後で太政大臣就任を打診されたようですが、「若すぎるので…」と断っています。
当時30歳ぐらいだったらしい。
【原文】
竹林院入道左大臣殿、太政大臣にあがり給はんに、何の滯りかおはせむなれども、「珍しげなし。一の上(かみ)にてやみなん」とて、出家し給ひにけり。洞院左大臣殿、この事を甘心し給ひて、相國の望みおはせざりけり。
「亢龍の悔いあり」とかやいふ事侍るなり。月滿ちては缺け、物盛りにしては衰ふ。萬の事、先の詰りたるは、破れに近き道なり。