徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第百六十四段 ほんのちょっとの間でも黙ってることって無い

世間の人がお互いに会う時、ほんのちょっとの間でも黙ってることって無いですよね
必ず言葉が出ちゃうんだよ
その内容を聞いたら、だいたい大したことない話で
世間のいい加減な噂話とか、人の良し悪し、それぞれにとって、失うものは多くても得るものは少ないネタですよ
こんなことを喋るのって、互いの心にとってダメダメだってことがわかってないんですね


----------訳者の戯言---------

言いたいことはわからんでもないけど、ほっといてやれ、とも思う。
だって、ワイドショーネタとか、無駄話って結構おもしろいじゃん。
盛り上がるときもあるし。

兼好みたいに仏教の話とか、死ぬことばっかりも話してられへんしな。


【原文】

世の人相逢ふ時、しばらくも默止することなし。必ず言葉あり。そのことを聞くに、おほくは無益の談なり。世間の浮説、人の是非、自他のために失多く得少し。

これを語る時、互の心に無益のことなりといふことを知らず。


検:第164段 第164段 世の人相逢ふ時 世の人あひ逢ふ時、暫くも黙止する事なし

第百六十三段 太衝の「太」の字は、点を打つのか、打たないのか

陰陽道で九月をあらわす)太衝の「太」の字は、点を打つのか、打たないのかっていうことが、陰陽道をやってる人の間で論争になったことがあった
盛親入道が申しましたことには「(安倍)吉平の自筆の占い文の裏に書かれた記録が、関白の近衛様の家にあるの。点を打ったのを書いてあるんだ」ってことだったよ


----------訳者の戯言---------

吉平というのは、あの安倍晴明の息子らしい。

どっちかようわからんのはたまにあります。

太田と大田はよく間違いがち。太平洋はさすがに間違えない。土屋太鳳はこれで正解?(むしろ鳳か凰かで迷いがち) 
という風にたしかに大と太は間違いやすいですが、大と犬は間違いにくいと思う。(読み方が違うからね!)どーだ!


【原文】

太衝の太の字、點打つ打たずといふこと、陰陽のともがら、相論のことありけり。盛親入道 申し侍りしは、「吉平が自筆の占文の裏に書かれたる御記、近衞關白殿にあり。點うちたるを書きたり」と申しき。


検:第163段 第163段 太衝の太の字

第百六十二段 遍照寺の雑務係の僧が、池の鳥を

遍照寺の雑務係の僧が、池の鳥を日ごろ飼い慣らしてて、お堂の中にまで餌をまいて、戸を一つあけておいたら、無数の鳥が入り籠って、その後、自分も入り、閉め切って、捕えながら殺してる様子が、恐ろしい感じの物音で、それを聞いた草刈りの子どもが人に知らせたら、村の男たちがいっぱい繰り出してきて、入ってみたら、大きな雁が騒ぎ合う中にその僧が混じってて、鳥たちを床に叩きつけて、絞め殺してたんで、この僧を捕えて、そこから検非違使庁へ突き出したんだ

殺した鳥を首にかけさせて、牢獄に閉じ込められたって
基俊大納言が別当(長官)の時のことだったよ


----------訳者の戯言---------

お坊さんによる猟奇的動物虐待。ホラーですわー。

現代でも、先日、神職にあった人が殺人したりもしましたしね。
あれは猟奇ではなく怨恨、逆恨み的なものと言われていますが。
あれ、今後の神社自体の存亡はわかりませんが、門前町で商売されてる人は、とばっちりもいいとこです。いきなりとんでもないことになって、今後の生活もたいへんでしょう。

閑話休題

検非違使庁は前にも書いたことありますが、当時の警察みたいなものですね。
今のような司法制度はなかったでしょうから、裁判権もあった。
つまり自ずと裁判所、刑務所でもあったのでしょう。
時々出てくる「六波羅探題」も警察的な存在で、この頃は両者が共存していたようですね。
調べてみたら、この時代は六波羅探題のほうが勢力は強かったみたいです。
ただし、この後、鎌倉幕府出先機関だった六波羅探題足利尊氏らに壊滅させられるということにはなるんですが。

今は動物愛護法がありますが、当時はなかったです。当然。
しかし、それ的な裁定が下ったわけですね。
動物愛護法ができたのが1973年ですから、かなり先進的ではあります。
その前に徳川綱吉の生類憐みの令もありましたか。

生類憐みの令は天下の悪法のように言われていますけど、あれはかなり誤解があるようですね。
ま、それも別の話なんですが。

さて、この段で出てくる鳥ですが、雁というのは鴨(カモ)類全体としての総括的な名称であったらしい。
カモ科に属する鳥のうち大形のものの総称とのことです。
ただ、「大雁」と書かれてますから、鴨ではなくて雁なのでしょう。
雁は今は天然記念物ですが、当時は狩りの対象だったし、食用でもあったようですね。

今は動物愛護法がありますし、文化財保護法がありますけど、そんなものはない時代で、しかも食用でもあった頃。
なのに警察に捕まった、ということは相当な残虐性があった、ということでしょうね。
サイコパス的なものかもしれません。
現代なら弁護士が「正常な判断が出来得る状態ではなかった。責任能力無し」として無罪を主張するケースでしょうか。

基俊大納言。
堀川基俊のことです。

第九十九段に少しだけ登場したのがこの人です。この人のお父さん、太政大臣堀川基具がこの九十九段の主人公だったんですが、検非違使庁の古い「唐櫃」を新しいのに変えさせようとして止められたのでした。

第百七段で女子たちに「無難ね」って言われたのは兄の堀川具守のほうです。
「無難」というのは褒め言葉だったんですけどね。

実は兼好は、出家前、兄の堀川具守に家司として仕えていました。
なので、兼好としてはこの堀川家には好意的なはずです。
「唐櫃」の話は、ちょっと恥ずかしい話だけど、ま、ぶっちゃけ遠慮なく書いちゃった、という感じでしょうか。

で、今回。
これも私の想像ですが、かつての主人の弟くん、なかなかやるやないの、という視点ではないかと思います。
鎌倉幕府出先機関である六波羅探題の躍進によって、すでに形骸化していた検非違使庁ではありますが、このような動物虐待をしっかり検挙し裁いている、とね。
それとも、もっと世間的に大きな事件、たとえば殺人や強盗などでなく、このような、動物殺しくらいしか取り扱えない検非違使という存在を嘆いてるのでしょうか。

私はそのどちらでもあるように思います。動物虐待は今も昔もちゃんと裁いてほしいもの。
微力ながらがんばっているのを評価したいな、という気持ちはあるのではないでしょうか。


【原文】

遍照寺の承仕法師、池の鳥を日ごろ飼ひつけて、堂の内まで餌をまきて、戸ひとつをあけたれば、數も知らず入りこもりける後、おのれも入りて、立て篭めて捕へつつ殺しけるよそほひ、おどろおどろしく聞えけるを、草刈る童聞きて、人に告げければ、村の男ども、おこりて入りて見るに、大雁どもふためきあへる中に、法師まじりて、打ち伏せ、ねぢ殺しければ、この法師を捕へて、所より使廳へ出したりけり。殺すところの鳥を頚にかけさせて、禁獄せられけり。

基俊大納言別當の時になむ侍りける。


検:第162段 第162段 遍昭寺の承仕法師

第百六十一段 桜の花の盛りは

桜の花の盛りは、冬至から150日とも、春分の後、7日とも言うけど、立春から75日で、だいたい間違いはないのだ!


----------訳者の戯言---------

冬至12月21日だとすると150日後では5月だから遅すぎます。
春分が3月21日で7日後だと3月下旬。
まあまあ合ってはいるけど、それでもちょっと早め。
立春が2月4日とすると4月20日頃。遅すぎだろう。

京都も今とは気候が違ってたのかもしれないけど、それにしても各説がずれまくり。

春分の15日後(±7)でいいだろ。

立春というと、旧暦の1月1日と誤解されていることもあるけど、それは間違いです。
冬至春分立春夏至等々は太陽の位置に基いてるから、今の太陽暦と同じ日になりますね。


【原文】

花の盛りは、冬至より百五十日とも、時正の後、七日ともいへど、立春より七十五日、おほやう違はず。


検:第161段 第161段 花のさかりは

第百六十段 普段言ってることに、こんなことは結構多い

門に額をかけるのを「うつ」というのは、よくないのだろうか
(書家として知られた)勘解由小路二品禅門(藤原経尹)は「額をかける」とおっしゃった
「見物の桟敷うつ」もよくないのだろうか
「平張うつ」なんて言うのは普通のことである
「桟敷構える」などというべきだ
護摩たく」というのも、だめ
「修する」「護摩する」などという
「行法も、法の字を清音で(ギョウホウと)言うのはよくない。濁って(ギョウボウと)言う」と、清閑寺僧正がおっしゃった

普段言ってることに、こんなことは結構多い


----------訳者の戯言---------

前段に続いて、言葉について。
ですが、ハッキリ言って、どっちでもええ。

何度も言うようですが、言語というのは、生きていれば変わっていきます。
変わるほど健康、健全と言えるでしょう。

さて、勘解由小路二品禅門という人。
そもそも読み方がわかりませんがな。

ネットで調べました。
「かでのこうじのにほんぜんもん」と読むそうです。
勘解由小路(かでのこうじ)は住んでるところ、二品(にほん)は当時の階位の2番目ということなんで、従二位もしくは正二位ということらしいですね。
禅門とは俗人のままで(出家せず)仏門に入った男性のことだそうです。
本名は藤原経尹で、書家でもあったとのこと。


【原文】

門に額 懸くるを、「打つ」といふはよからぬにや。勘解由小路二品禪門は、「額懸くる」とのたまひき。「見物の棧敷うつ」もよからぬにや。「平張うつ」などは常の事なり。「棧敷構ふる」などいふべし。「護摩焚く」といふも、わろし。「修する」、「護摩する」など云ふなり。「行法も、法の字を清みていふ、わろし。濁りていふ」と清閑寺僧正仰せられき。常にいふ事にかゝることのみ多し。


検:第160段 第160段 門に額かくるを 門に額懸くるを

第百五十九段 みなむすびというのは

「みなむすびというのは、糸を結び重ねたものなんだけど、蜷(みな)という貝に形が似てるからそういうのね」と、ある身分の高い人がおっしゃった
「にな」というのは間違いだよ


----------訳者の戯言---------

あちゃー、兼好、断言してますよ。
これ、私が第百四十五段の余談として「とうさつりょく」か「どうさつりょく」か、さんざん語ったやつですね。
ちょうどこの時代、「みな」→「にな」の過渡期だったんでしょう。彼は昔大好き人間なんでね、仕方ないですけどね。
ご存知のとおり、今、蜷は「にな」としか言わんし。
「みな」ってテストで書いたら×やし。
亡くなったけど、蜷川幸雄に「みながわ先生」とか言うたら、灰皿投げられただろう。
パワハラかよ、怖いんだよ!


【原文】

「みなむすびといふは、絲をむすびかさねたるが、蜷といふ貝に似たればいふ」と或やんごとなき人、仰せられき。「にな」といふは誤りなり。


検:第159段 第159段 みなむすびといふは

第百五十八段 盃の底に残った酒を捨てるのは

「盃の底に残った酒を捨てるのは、どういうことだと思う?」と、ある人がお尋ねになったので、「凝当(ぎょうとう)と申しますのは、底にたまったものを捨てることではございません?」と申しましたところ、「そうではない。魚道だ。酒を残して(魚がいつも同じ道を通るみたいに)自分が口をつけたとこをすすぐんだよ」と仰せられたのだ


----------訳者の戯言---------

あっそ、て感じ。
ようわからんな。
「ぎょうとう」か「ぎょどう」か、そんな言い方をしてたのだと思われます。


【原文】

「杯の底を捨つることは、いかゞ心得たる」と、ある人の尋ねさせ給ひしに、「凝當(ぎょうたう)と申し侍れば、底に凝りたるを捨つるにや候らん」と申し侍りしかば、「さにはあらず。魚道なり。流れを殘して、口のつきたる所をすゝぐなり」とぞ仰せられし。


検:第158段 第158段 盃のそこを捨つる事は 杯の底を捨つることは 盃の底を捨つる事は 盃の底を捨つることは

第百五十七段 筆を持てば自然と文章を書くし

筆を持てば自然と文章を書くし、楽器を持てば音を鳴らそうと思う
盃を手に取ればお酒が飲みたくなり、サイコロを持つと博打がしたくなる
心は必ず物事に触れて動き出すんだ
だから仮にでも良くない遊びをしてはいけません

ちょこっと経典のワンセンテンスを見たら、何となく前後の経文もわかるし
一瞬で長年やってきた間違いを改めることもある
仮に今、この本を開かなかったら、この事がわかっただろうか!?
これこそが、イコール「触れること」のメリットなんだよね

気分は全然乗らなくても、仏前に座って数珠を持って、経文を手に取れば、怠けてる間でも善行は自然と行なわれて、乱れた心でいてもいざ縄床(座禅を組む椅子)に座れば、気付かないうちに心が安定してきて動揺することのない心境に達するんだ
事(現象)と理(真理)は、元々二つ、つまり別々の違ったもの、というわけじゃない
(一つのものなんだよ)
外に現れた事象がもし道に背くものでなければ、心の内で必ず悟りが開かれていく
(だから、『形式でやってるだけじゃん』なんて)
無闇に不平を言うもんじゃない
敬い、これを尊ぶべきなんだ


----------訳者の戯言---------

学生はまず、教科書を開くこと!
社会人はまず、仕事着に着替えるところから。
とりあえず出勤すること!
パソコンの電源入れて、立ち上げる!
仕事してるフリをしてたら、いつの間にかほんとにやってたりして。

なーんてな。


【原文】

筆をとれば物書かれ、樂器をとれば音をたてんと思ふ。杯をとれば酒を思ひ、賽をとれば攤うたむ事を思ふ。心は必ず事に觸れて來る。仮りにも不善のたはぶれをなすべからず。

あからさまに聖教の一句を見れば、何となく前後の文も見ゆ。卒爾にして多年の非を改むる事もあり。假に今この文をひろげざらましかば、この事を知らんや。これすなはち觸るゝ所の益なり。心更に起らずとも、佛前にありて數珠を取り、經を取らば、怠るうちにも、善業おのづから修せられ、散亂の心ながらも繩床に坐せば、おぼえずして禪定なるべし。

事・理もとより二つならず、外相若し背かざれば、内證かならず熟す。強ひて不信といふべからず。仰ぎてこれを尊むべし。


検:第157段 第157段 筆をとれば物書かれ

第百五十六段 大臣に就任したときのお披露目宴会

大臣に就任したときのお披露目宴会は、しかるべき所を申し受けて行うのが普通のことです
宇治左大臣藤原頼長殿は、東三条殿で開催されました
ここは内裏(皇居)だったんですが、左大臣殿が申し出られたことによって、帝はそのとき他所へ行幸されたのです
これといった縁故はなくても、女院の御所などをお借りするのが、昔からのしきたりである、っていうことです


----------訳者の戯言---------

たまに出てくる、メモみたいな段。

女院(にょいん、にょういん)というのは、天皇の母、太皇太后、皇太后、皇后、内親王などの称号だったそうです。
「なんとか門院」などというのが、よく映画やドラマで出てきますけど、あれも女院の一種らしい。

お雛様の歌で「お内裏様とお雛様~」ってありますけど、あの「内裏」って皇居のことなんですね。
ということは、正確に言うと、お内裏様とか内裏雛とかっていうのは、皇居にいらっしゃるカップル、つまり天皇と皇后、お二人の御姿のお人形、ということになります。
雛人形っていうのは「ちっちゃい人形」のことですから、そのへんがごっちゃになって、男雛=お内裏様、女雛=お雛様になったんでしょう。
現代では、雛人形がかつての「天皇皇后両陛下」をフィギュアにしたものだという認識は、さほどありませんが、憧れの理想のカップルであり、あやかりたいとみんなが思ったからこそ、ひなまつりが今まで続いてきた伝統行事でもあるわけで、残してほしい文化ではありますね。

ただ、少しだけ申し添えておきますと、御所には後宮、つまり女の園的なものがあって、天皇には正室以外にも側室が当り前にいっぱいいました。それは全然非道徳的なことではなく、むしろ世継ぎを絶やさないためにはどんどんやるべきことでした。

と、いうわけで、「お内裏様ってあんなマジメな感じなのに、不潔! 嫌ーね」とか言わずに温かく見てあげてほしいなと思います。


【原文】

大臣の大饗は、さるべき所を申し受けて行ふ、常のことなり。宇治左大臣殿は、東三條殿にて行はる。内裏にてありけるを、申されけるによりて、他所へ行幸ありけり。させる事のよせなけれども、女院の御所など借り申す、故實なりとぞ。


検:第156段 第156段 大臣の大饗は、さるべき所を申しうけておこなふ 大臣の大饗は、さるべき所を申し受けて行ふ

第百五十五段 世の中に合わせて生きようという人は

世の中に合わせて生きようという人は、まず頃合いを知るべきだよ
順序を間違うと、人から受ける評価も悪くなり、共感を得られず、物事は成功しない
だから、そういうタイミングのとり方をマスターするべきなんだ

ただし、病気にかかること、出産すること、死ぬこと、だけは、頃合いを計ることはできないし、順序が悪くても止められることもない
生・住・異・滅(仏語における、発生、存続、変化、滅亡の四相)の移り変わりといった本当に重要なことは、勢いの激しい川がみなぎって流れるのと同様でね
少しの間も留まらないで、すぐに現実のものになっていくもんなんだ
だとしたら、出家してても、俗世間にいたとしても、必ずやり遂げようって思うことに関しては、むしろタイミングを言うべきじゃない
少しの用意も必要はないし、足を踏み留めるようなこともしなくていい(すぐにやるんだ!)

春が過ぎて後、夏になり、夏が終わって秋が来るんじゃないんだよ
春はすぐに夏の気配を誘い出し、夏のうちから既に秋は通って行き、秋は秋のままに寒くなっていって、(旧暦)十月(太陽暦では10月下旬~12月上旬)は小春日和となり、草も青くなり梅もつぼみをつけるんだ
木の葉が落ちるのも、まず落ちてから芽が出てくるんじゃないよ
下から芽が出るのに押し出されて、葉が落ちるのさ
新しいものを迎える気が内側で育まれてるからこそ、その事象を受け入れる段取りがとってもスピーディなんだよね
でも、生、老、病、死が移り来ることは、もっとこれ以上に速いよ
四季にはやっぱ決まった順序があるけど
死ぬ時期には順序がないからね
死は前からだけやって来るもんじゃなくて、並行して、後ろにも迫ってるんだ
人はみんないずれ死ぬことを知ってて、(否応なしに)それを待つのではあるけど、死はそれほど差し迫ってはない時に思いがけなくやって来るよ
沖の干潟ははるか遠くに見えるけど、磯辺から潮が満ちてくるのとおんなじだよね


----------訳者の戯言---------

今回のテーマは「タイミングとスピード」でしょうかねぇ。
そして結論めいたものは「死を意識しつつ生きる」という仏教的メッセージに帰納するという、またも僧侶としては理想的かつ強引な論理展開。

してやられてるよな、というのが感想です。


【原文】

世に從はむ人は、まづ機嫌を知るべし。ついで惡しき事は、人の耳にも逆ひ、心にも違ひて、その事成らず、さやうの折節を心得べきなり。ただし、病をうけ、子うみ、死ぬる事のみ、機嫌をはからず。ついであしとて止む事なし。生・住・異・滅の移り變るまことの大事は、たけき河の漲り流るゝが如し。しばしも滯らず、直ちに行ひゆくものなり。されば、眞俗につけて、かならず果し遂げむとおもはむことは、機嫌をいふべからず。とかくの用意なく、足を踏みとゞむまじきなり。

春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の來るにはあらず。春はやがて夏の氣を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は則ち寒くなり、十月は小春の天氣、草も青くなり、梅も莟みぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる氣、下に設けたる故に、待ち取る序、甚だ早し。生・老・病・死の移り來る事、又これに過ぎたり。四季はなほ定まれる序あり。死期は序を待たず。死は前よりしも來らず、かねて後に迫れり。人みな死ある事を知りて、待つ事、しかも急ならざるに、覺えずして來る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の滿つるが如し。


検:第155段 第155段 世に従はん人は、先づ機嫌を知るべし 世に従はん人は、まづ機嫌を知るべし 世に従はむ人は、まづ機嫌を知るべし 世に従はむ人は、先づ機嫌を知るべし