徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第五十一段 専門家というのは、すばらしい

亀山殿の御池に、大井川の水を引き入れようということで、大井の地元の民に命じて、水車を作らせられました
莫大な金銭を投じて、数日かかって造営して動かしたんだけど、全然回らないので、いろいろと手直ししたものの、結局回らず、そのまま放置

で、宇治の里の人に来てもらって作らせたら、簡単に作って献上したんだけど、思ったとおり回って、うまく水を汲み入れることができたのね
何事も、その道を知ってる専門家というのは、すばらしいものです


----------訳者の戯言----------

で、そもそも亀山殿って何よ。って話なんですが、京都の嵯峨とか亀山とかのあたりにあった、離宮だというんですね。天皇上皇の御屋敷、御所といってもいいです。ま、京都には御所があるから、あれとは別の御所というか。そんな感じですかね。
亀山殿なんて言われると、亀山天皇、つまり後の亀山上皇=亀山法皇のことかなーと思いますし、実際、ここで政治を執り行っていたらしいです、亀山天皇。ただ、亀山殿を造らせたのは父親で2代前の天皇後嵯峨天皇上皇だった時らしいです。亀山法皇は今の南禅寺のあたりにも離宮をつくらせたらしいですね。

ま、徒然草が書かれたのが、おおよそ1330年頃と言われてますから、今回の話は後醍醐天皇の頃でしょうか。もしかするとそれより前の天皇の時代かもしれません。

話がそれました。
宇治。いきなり感ハンパないですが、水車の名所として知られていたらしい。だから、当時は宇治といったら水車だったわけですね。

素人に任せたら、金とか労力無駄だろーがよ。やっぱ専門家はすげーよ、って話です。はい。


【原文】

龜山殿の御池に、大井川の水をまかせられむとて、大井の土民に仰せて、水車を作らせられけり。多くの錢を賜ひて、數日に營み出してかけたりけるに、大方廻らざりければ、とかく直しけれども、終に廻らで、徒らに立てりけり。さて宇治の里人を召してこしらへさせられければ、やすらかに結ひて參らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入るゝ事、めでたかりけり。

萬にその道を知れるものは、やんごとなきものなり。

 

検:第51段 第51段 亀山殿の御池に、大井川の水をまかせられんとて