第六十九段 豆の殻を燃やして
書写山円教寺の(性空)上人は、法華経を読んだ功が積み重ねられて、人間をまどわす六つの感覚器官「六根」(眼・耳・鼻・舌・身・意)がすべて浄化された人です
旅先で仮の宿に立ち入った時に、豆の殻を燃やしてその火で、鍋の豆を煮る音がつぶつぶと鳴るのをお聴きになって「同じ豆から生まれた、他人でないお前たち(豆殻)よ、恨めしくも私(豆)を煮て、辛い目を見せるのかい」と言ったと
燃やされるれる豆殻がはらはらと鳴る音のほうは「本意じゃないんだよ。自分の身が焼かれるのはどうにも耐えがたいけど、力が無いのでどうしようもない。そんなに恨まないでくださいよ」と聞こえたということですよ
----------訳者の戯言---------
豆と豆殻は兄弟みたいなもんです。
そりゃ辛い。わかるよ、その気持ち。
【原文】
書寫の上人は、法華讀誦の功積りて、六根淨にかなへる人なりけり。旅の假屋に立ち入られけるに、豆の殻を焚きて豆を煮ける音の、つぶつぶと鳴るを聞き給ひければ、「疎からぬ己等しも、恨めしく我をば煮て、辛き目を見するものかな」と言ひけり。焚かるゝ豆がらのはらはらと鳴る音は、「我が心よりする事かは。燒かるゝはいかばかり堪へがたけれども、力なきことなり。かくな恨み給ひそ」とぞ聞えける。
検:第69段 第69段 書写の上人は