第百八十一段 降れ降れ粉雪、たんばの粉雪
「『降れ降れ粉雪、たんばの粉雪』というのは、米を搗(つ)いて篩にかけたのに似てるので、粉雪というんだ。『たまれ粉雪』と言うべきなのを、間違って『丹波の』と言ったの。(続けて)『垣や木の股に』って歌うんだからね」と、ある物知りが言ってたよ
昔から言ってたことなんだろうか
鳥羽院が幼くていらっしゃったとき、雪が降ったら、このようにおっしゃったって、讃岐典侍の日記に書いてあるんだよね
----------訳者の戯言---------
「たまれ」っていうのは「溜まれ」、つまり「降り積もれ」ってことですよね。
たしかに、「たまれ粉雪 垣や木の股に」のほうがしっくりきます。
「丹波の粉雪 垣や木の股に」よりはね。
前回に引き続き今回も、ですが、後半は兼好の博学自慢です。
讃岐典侍というのは、本名・藤原長子という人で、堀河天皇の典侍(ないしのすけ)だった人だそうです。
典侍については第百七十八段でも出てきましたね。
讃岐典侍は堀河天皇が亡くなっていったん退職しましたが、請われて鳥羽天皇に再出仕したようです。
鳥羽上皇は5歳ぐらいで天皇に即位しましたが、「讃岐典侍日記」に書かれたのはその即位直後のできごとみたいですね。
幼い鳥羽天皇が口ずさんだ「ふれふれこゆき」っていうのは、文字に残されたわらべうたの記録としては最古のものらしい。
で、兼好法師は徒然草の執筆時よりさらに約200年前のこの日記の記述を引用してるわけです。
しかし、調べてみたら、鳥羽天皇がどっちの歌詞で歌っていたのかは、日記の内容からは不明。
「ふれふれこゆき」とは歌ったけど「たんばのこゆき」と歌ったかどうかはわかりません。
ごまかされないぞ。フフフ、兼好、詰めが甘いな。
【原文】
「降れ降れ粉雪、たんばの粉雪」といふ事、米搗き篩(ふる)ひたるに似たれば、粉雪といふ。「たまれ粉雪」といふべきを、誤りて「たんばの」とは言ふなり。「垣や木の股に」とうたふべし、とある物知り申しき。昔よりいひけることにや。鳥羽院 幼くおはしまして、雪の降るにかく仰せられけるよし、讚岐典侍が日記に書きたり。
検:第181段 第181段 「ふれふれこゆき、たんばのこゆき」といふ事 降れ降れ粉雪たんばの粉雪といふ事 『降れ降れ粉雪、たんばの粉雪』といふ事 「降れ降れ粉雪、たんばの粉雪」といふ事