徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

2017-12-26から1日間の記事一覧

第百八十三段 人を突く牛は角を切り、人を噛む馬は耳を切って

人を突く牛は角を切り、人を噛む馬は耳を切って、目印にするのだその目印をつけてないのが人を傷つけた場合は、飼い主の罪なんだよ人を噛む犬を養い飼ってはならないこれらは全部罪のあることなんだよね律で禁止されてるのだ ----------訳者の戯言--------- …

第百八十二段 四条大納言隆親卿が、乾鮭というものを

四条大納言隆親卿が、乾鮭というものを天皇に献上したところ、「こんな賤しい物を差し上げるのってあり?」って、ある人が申したのを聞いて、大納言は「鮭という魚を献上しないことに決まってるならそうかもしれんが。鮭を乾したのに何か問題ありますか? 鮎…

第百八十一段 降れ降れ粉雪、たんばの粉雪

「『降れ降れ粉雪、たんばの粉雪』というのは、米を搗(つ)いて篩にかけたのに似てるので、粉雪というんだ。『たまれ粉雪』と言うべきなのを、間違って『丹波の』と言ったの。(続けて)『垣や木の股に』って歌うんだからね」と、ある物知りが言ってたよ 昔…

第百八十段 左義長(さぎちょう)は

左義長(さぎちょう。三毬杖とも書く)は、正月に打った毬杖(ぎちょう)を、真言院から神泉苑へ出して、焼き上げる行事なのだ「法成就の池にこそ」と囃すのは、神泉苑の池のことを言うんだよ ----------訳者の戯言--------- 毬杖(ぎっちょう/ぎちょう)っ…

第百七十九段 宋に渡った道眼上人が

宋(実際は元)に渡った出家者、道眼上人が「一切経」を持ち帰って、六波羅のあたりの焼野という所に安置して、特に「首楞厳経(しゅりょうごんきょう)」の講義を行って、那蘭陀寺(ならんだじ)と名づけたのねその聖(道眼上人)が申されたのが「インドの那蘭…