徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第二百五段 起請文というものは

比叡山で、伝教大師最澄)の御霊をお招きして書く「起請」というのは、慈恵僧正が書き始められたことなのね
起請文というものは、法律家は取り扱わないんだ
昔、聖なる方が治めた時代には、起請文に基いて行われる政治なんか全然なかったのに、近年は、このことが広まっちゃったんだよ

また、法令においては、水と火を特に穢れの対象にはしてないんだ
でも入れ物には穢れがあるに違いないとされてるんだよね


----------訳者の戯言---------

とはいうものの、起請文、結局、江戸時代頃までいろいろな形で続くんですよね。
兼好、残念でしたー。

起請文(きしょうもん)というのは、ネットで調べると、人が契約を交わす際、それを破らないことを神仏に誓う文書、というふうに解説されています。

ま、意味はよくわからないですけどね。
政治に宗教がからんでるみたいでもあり複雑です。

そして、最後の方の水と火の件もよくわかりません。
が、書いてあるとおりなんでしょう、たぶん。

それ以上のことは…誰か教えてください。
すみません。


【原文】

比叡山に、大師勸請の起請といふ事は、慈惠僧正 書きはじめ給ひけるなり。起請文といふ事、法曹にはその沙汰なし。古の聖代、すべて起請文につきて行はるゝ政はなきを、近代、このこと流布したるなり。

また法令には、水火に穢れをたてず、入物にはけがれあるべし。


検:第205段 第205段 比叡山に、大師勧請の起請といふ事は 比叡山に大師勧請の起請といふ事は