第百八十八段② たとえば、碁を打つ人が
たとえば、碁を打つ人が、一手も無駄にせず、相手よりも先回りして、小さい利益は無視して大事な石を取るようなものなんです
それに関して言うと、3つの石を捨てて、10個の石を取ることは簡単
でも、10個を捨てて、11個取るのは難しいんですね
たった1個でも有利な方を選択すべきなのに、10個も!ってなると惜しく思えて、多く取れない石(戦法)のほうに方向転換することが難しいわけです
「これも捨てず、あれも取ろう」と思う心でいると「あれも得ず、これも失う」のは当然の理屈ですね
京に住んでる人が、急いで東山に行く用があって、既に行き着いてたとしても、西山に行ったら利益が勝るに違いないって思いついたんだったら、即、門から引き返して西山へ行くべきなんです
ここまで来たんだから、このことをまず言いましょう
日が指定されてることでもないし、西山に関しては帰ってからまた思い立ったら、なんて考えちゃうから、一時、怠けてしまうことが、即一生の怠りとなるんですね
これを恐れるべきです
----------訳者の戯言---------
東山というのは東山の山麓にある寺院でしょうか。
西山というのも、嵯峨とか嵐山とかあっちの方のどこかなんでしょうね。
まあ、私なら東山、たとえば八坂神社とか清水寺に行こうと思って現地に着いたら、そのまま行きますけどね。
西の嵯峨の方なら、大覚寺や化野念仏寺とかありますけど、電車でも阪急で桂まで行って乗り換えて嵐山まで行かないとだめでしょ。
まあ、桂は特急が停まるからいいほうですけどね。
京都はバスが充実してるのでそれでも行けるかもしれませんけど、時間はそれなりにかかるでしょう。
ま、昔ですから、徒歩でしょうけどね。
どうでもいいですね。
第百八十八段③につづきます。
【原文】
たとへば碁を打つ人、一手もいたづらにせず、人に先だちて、小を捨て大につくが如し。それにとりて、三つの石をすてて、十の石につくことは易し。十を捨てて、十一につくことは、かたし。一つなりとも勝らむかたへこそつくべきを、十までなりぬれば、惜しく覺えて、多くまさらぬ石には換へにくし。これをも捨てず、かれをも取らむと思ふこゝろに、かれをも得ず、これをも失ふべき道なり。
京に住む人、急ぎて東山に用ありて、既に行きつきたりとも、西山に行きてその益まさるべきを思ひえたらば、門(かど)よりかへりて西山へゆくべきなり。こゝまで來つきぬれば、この事をばまづ言ひてん。日をささぬことなれば、西山の事は、帰りてまたこそ思ひたためと思ふ故に、一時の懈怠(けだい)、すなはち一生の懈怠となる。これを恐るべし。
検:第188段 第188段 或者、子を法師になして ある者、子を法師になして