徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第百七十九段 宋に渡った道眼上人が

宋(実際は元)に渡った出家者、道眼上人が「一切経」を持ち帰って、六波羅のあたりの焼野という所に安置して、特に「首楞厳経(しゅりょうごんきょう)」の講義を行って、那蘭陀寺(ならんだじ)と名づけたのね
その聖(道眼上人)が申されたのが「インドの那蘭陀寺は大門が北向きだって、江師(大江匡房)の説として言い伝えられてるけど、『西域伝』や『法顕伝』なんかには書いてないし、どの文献にも全然見当たらないの。江師がどんな学識によってそんなふうに言ったのか、わからないんだよね。中国の西明寺の大門が北向きなのはもちろんだけど」ってことだったんだよ


----------訳者の戯言---------

「西域伝」は「大唐西域記」のことと思われます。唐僧・玄奘による西域の見聞録です。
西域というのはインド、チベット東トルキスタンあたりだそうですね。
「法顕伝」は法顕の書いた「仏国記」のことで、やはり、中国そして西域の見聞録。
細かいこと言うようやけど、正式名称で書けよと、ちょっと思います。

ちなみに玄奘は、「西遊記」の三蔵法師のモデルになった人ですね。

ところで江師って誰?
ということで、調べてみました。
大江匡房という人で、号を「江師(ごうのそち)」と言いました。
平安時代有数の知性派、碩学っていうか、今風に言うと超インテリで、その博識と文才は、あの学問の神様として有名な天神さん、すなわち菅原道真と並び称されるほどだったらしい。
私は全然知りませんでしたが。すみません。

那蘭陀寺つながりで、そういやインドの那蘭陀寺の門が北向きだって江師が言ったらしいけど、そんなの根拠がねーよ、江師もいいかげんやな!って道眼上人というお坊さんが言ったという話です。

オチはどこにあるんでしょうか?
コイツこだわりすぎやな、ってこと?


【原文】

入宋の沙門、道眼上人、一切經を持來して、六波羅のあたり、燒野といふ所に安置して、殊に首楞嚴經を講じて、那蘭陀寺と號す。その聖の申されしは、「那蘭陀寺は大門北向きなりと、江帥の説とていひ傳へたれど、西域傳・法顯傳などにも見えず、更に所見なし。江帥はいかなる才覺にてか申されけん、覚束なし。唐土西明寺は北向き勿論なり」と申しき。


検:第179段 第179段 入宋の沙門、道眼上人、一切経を持来して