第百五十二段 西大寺の静然上人は、腰が曲がってて、眉は白くて
西大寺の静然上人は、腰が曲がってて、眉は白くて、ほんとに徳が高そうな容貌で、内裏へお出向きになったのを西園寺内大臣殿が「ああ尊いご様子だなあ」といって信仰心を抱かれたようだったんだけど(日野)資朝卿がこれを見て「歳を取ってるんでございます」と申されたのね
後日、むく犬のひどく年取ってやせ衰えて、毛がはげたのを連れてって「この様子は尊く見えます」と言って、内大臣へ献上したんだそうです
----------訳者の戯言---------
日野資朝という人は、ストレート、純朴、大胆、先入観には惑わされず、っていう人だったようで。
天然のようでいて、意外と常識人のようであり、機知に富んでいる風にも見える、なかなか面白い人物です。
公家社会の異端児と言ってもいい。
政治家としても有能で、気概のある人物でもあったようです。
兼好法師もたぶん気に入ってたんやと思う。
この段から3つの段は、日野資朝三部作。資朝ワールドがいろいろと楽しめます。
さて、むく犬とはなんぞや。
もしゃもしゃの毛が長い犬のことのようですが、オールドイングリッシュシープドッグとか、ビアデッド・コリーとかですか?
そんなん、鎌倉時代の日本におらんやろ。
と思って調べたら、現在、日本犬として認められているのは秋田犬、甲斐犬、紀州犬、柴犬、四国犬、北海道犬の6種類なんだそうです。昔はほかにもいたんですが、絶滅していったらしい。
しかし、現存、絶滅種含め、どの日本犬も基本、短毛種です。
ただ、秋田犬には長毛種があります。
「わさお」がこれですね。
あと、中国から入ってきた狆(ちん)が長毛です。
狆の先祖的な小型犬は奈良時代に日本に入ってきたそうですから、たぶん、割と普通にいたのではないでしょうか。
ただ、狆は小型犬全般のことを指す語で、和製漢字です。
犬と猫の中間という意味で、けものへんに中と書いたようです。
中国語ではないんですね。
いずれにしても尨犬(むくいぬ)という言葉、しかも漢字表記があるわけですから、長毛種の犬が昔から日本にいたことは確かです。
私の推論ですが、この段のムク犬は、秋田県の長毛種の可能性が高いです。
「ひかせて」と表現していますから、おそらく大型犬だと思います。
本題ですが、当時、西大寺には、金儲けに走る僧や、朝廷、幕府に取り入る僧なんかが結構いたらしいんですね。どうも資朝は、そんな西大寺の老僧が気に入らなかったようで、兼好もどこかシンパシーを感じてたんでしょう。
西園寺(実衡)内大臣は、天皇や上皇をを除けばナンバー4(もしくはナンバー3)なのですが、資朝はこの時中納言なので、内大臣からしたら、下の下ぐらいの役職の感じでしょうか。
民間企業で言えば、副社長と、ヒラ取締役ぐらいの間柄ではないかと思います。
官庁でいうと、大臣と事務次官という感じですか?
その微妙な感じも知っておくと楽しめますね。
【原文】
西大寺靜然上人、腰かゞまり眉白く、誠に徳たけたる有樣にて、内裏へ參られたりけるを、西園寺内大臣殿、「あな尊との氣色や」とて信仰の氣色ありければ、資朝卿これを見て、「年のよりたるに候」と申されけり。
後日に、尨犬の淺ましく老いさらぼひて、毛はげたるをひかせて、「この氣色尊く見えて候」とて内府へ參らせられたりけるとぞ。
検:第152段 第152段 西大寺静然上人、腰かがまり