徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第百五十一段 五十歳になるまで上手くならない芸は

ある人の言うことには、五十歳になるまで上手くならない芸は、捨てるべきだよ、って
たしかに、がんばって練習しても見込みは無いっスからね
老人の事なんで、人もよう笑わんのよ
多くの人と交わるのも、情けなくて見苦しいですね
だいたいにして、全部仕事はやめちゃって暇に過ごすのが、見た目にもいい感じで、それこそ理想的なんだよ
世俗の事に携わって生涯死ぬまで暮らすのは、レベルの低い愚か者なんだよね

知りたいと思ったことは、学び聞いても、その要旨がわかったら、理解できてない部分は無い、ぐらいのとこでやめとくべきなのさ
まあ、最初から知ろうと望まないまま終わるのが一番なんだけどね


----------訳者の戯言---------

バンド、やめたのは正解。まあ私の場合は、そもそも練習あんまりしなかった。そんなにガンバらなかったの、すみませんでした。
絵を描くのもそろそろやめるか…。
人との交際はかなり減ったのでいい傾向ですね。
仕事も早めにやめたほうがいいんですね。
まあ仕方ない部分はあるけど、できるだけほどほどにしときます、はい。

って、兼好の言いなりかよ!

第百十三段では「四十歳も過ぎた人が~云々」と書いてましたが、今回は五十歳。
兼好が「徒然草」を書いたのは50歳少し前くらいと言われていますから、自身のこと、あるいは知人、友人も含めて思うところはいろいろあったんでしょう。

ただ、当時と今とは平均寿命が違いますからね。
おそらく50歳って今の感覚で言うと、70歳くらいではないでしょうか。

ま、いずれにしても、いい歳をして必死になんなよ、ってことやな。わかるわかる。


【原文】

ある人の曰く、年 五十になるまで上手に至らざらむ藝をば捨つべきなり。勵み習ふべき行末もなし。老人のことをば、人もえ笑はず、衆に交はりたるも、あひなく、見苦し。大方、萬のしわざは止めて、暇あるこそ、目安く、あらまほしけれ。世俗の事にたづさはりて、生涯を暮すは下愚の人なり。ゆかしく覺えむことは、學び聞くとも、その趣を知りなば、覺束なからずして止むべし。もとより望む事なくしてやまんは、第一のことなり。


検:第151段 第151段 或人の伝はく、年五十になるまで ある人の曰く、年五十になるまで 或人の云はく、年五十になるまで ある人の伝はく、年五十になるまで