徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第百四十五段 落馬する相がある人

随身の秦重躬が、北面の武士の下野入道信願に「あなた、落馬する相がある人ですよ。よくよく気をつけておきなさいな」って言ったのを、そんなに信じてはなかったんだけど、実際、信願は馬から落ちて死んだの
その道に精通した人の一言は、神のようだと人々は思ったよ

ってことで、「それはどんな相だったのですか」と人が質問したところ、「すごく桃尻で、気性が荒い跳ね回る馬を好んだんで、この落馬の相をあてはめたんですが。何か?」って言ったんだ


----------訳者の戯言---------

で、また予備知識が必要なんです。

随身っていうのは、勅命によって上皇摂政関白、大臣なんかのお供をした近衛府の武官だそうです。
エリートSPって感じかな?
北面の武士は第九十四段にも出てきましたが、御所の警備担当。
ポジション的にもスキル的にも御随身のほうがだいぶ上のイメージです。

そして桃尻です。
語感はエロな感じですが、本来の意味は「桃の実はすわりが悪い」ことから、馬に乗るのがへたで、鞍(くら)の上にお尻がうまくすわらない、ということらしいです。
もちろん最近は、元々の意味とは違って、丸く張りのある尻を「桃尻」と言うことが多くなっているようですね。
それでいいと思います。

で、原文に出てくる「沛艾」。はいがい、と読むそうですが、気性が荒くて暴れ回る馬、じゃじゃ馬のことを漢語的に言うとこうなるらしい。

やっぱ、エリートSPは洞察力がすげーってことでしょうね。
岡田准一のあの感じですかね。

ところで、「洞察力」と入力して気がついたんですが、これ「どうさつりょく」と入力しないと変換できないんですね。
私、数十年間ずっと「とうさつりょく」だと思っていました。

うそーと思って、広辞苑(第四版/1991刊)を出してきて調べてみたら、やっぱり「どうさつ」なんですよねー。意味は似ていますが「透察」という語は「とうさつ」と読みがありますけどね。
しかし自分の記憶では、学校の授業で「洞察力」は「どうさつ」も間違いではないけど、むしろ「とうさつりょく」と読むべし、と習ってるんですよね、たしかに。
ネットで調べると、あまり多くはないんですが、同様のことを書いていらっしゃる方はいます。
しかし、学術的な記述はないですね。

岩波国語辞典(第三版、1984年)によると、洞察(どうさつ)の意味の説明の最終行に、「とうさつ」の慣用読み と書いてあるそうです。
つまり、元々は「とうさつ」なんだけど慣用的に「どうさつ」と読んでると。「とうさつ」が古い言い方で「どうさつ」が新しい、一般的、とも言えます。

このような読み方の変化はよくあることで、この語についてはちょうどここ数十年(特に1980年代頃)が過渡期だったのでしょう。

と、こうして書いているうちに「過渡期」という言葉が出てきました。これも今は「かとき」ですが、今後は「かどき」になっていく語ではないかと思います。
ま、言葉というのは「コミュニケーション手段」ですから、伝わってさえいれば、普段使いする分にはあまり細かいことを言わなくていい、と私は思います。

だから桃尻も、今使っている意味でいいんです。ほとんどの人は馬に乗りませんしね。

兼好よりも長い?
すまんすまん。


【原文】

御隨身 秦重躬、北面の下野入道信願を、「落馬の相ある人なり。よくよく愼み給へ」といひけるを、いとまことしからず思ひけるに、信願馬より長じぬる一言、神の如し」と人おもへり。

さて、「いかなる相ぞ」と人の問ひければ、「極めて桃尻にて、沛艾の馬を好みしかば、この相をおほせ侍りき。いつかは申し誤りたる」とぞいひける。


検:第145段 第145段 御随身秦重躬、北面の下野入道信願を