徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第百三十七段⑤ あの桟敷の前を

あの桟敷の前を大勢の人が行き交うんだけど、その中に顔見知りがいっぱいいることから、わかるんだ、世の中の人の数もそれほど多くは無いってことをね
この人たちがみんな亡くなった後、自分も死ぬと決まってるんだけど、待ってたらすぐにその時はやって来るんだよ

大きな容器に水を入れて、小さい穴をあけたら、したたることは少ないって言っても、ずっと続けて漏れてくんだから、すぐに水は無くなってしまうでしょ
都の中に人は多いけど、人が死なない日は無いはずでね
それは一日に一人、二人だけなんかな?(いやいや違うし。そんなもんやなくてめちゃくちゃ多いし)
鳥辺野、舟岡、そのほかの野山でも、死んだ人を葬る数が多い日はあるけど、まったくない日はないんだよ

ということだから、棺を売る者は、作って置いておく暇さえ無いんだ
若いかどうかに関係なく、強さにも関わらず、予測できないのは死ぬ時期なんだよね
今日まで死を逃れて来れたのは滅多にない奇跡なのよ
たとえほんの一瞬たりとも、この世がこんなのどかに続くと思っていいのかな(ダメだよね)
「ままこ立て」っていうものを双六の石で作って、最初に石を並べた時は、取られるのがどの石かわからない、でも、数え当てて一つを取ったら、その他は取られずに一瞬セーフに見えるんだけど、またまた数えて、一個、また一個と抜いて行くうちに、結局どれも逃げられず取られちゃうのに似てるんだよ
武士が戦に出るときは、死が近いことを知って、家も忘れ、自分自身のことだって忘れてる
俗世から離れた草の庵で静かに水や石を愛でて、死期がやってくることは自分には関係ない、なんて思うのは、めちゃくちゃ浅はかな考えだよ

閑静な山の奥に「死」という敵は勢いよく押し寄せて来ないんだろうか?(来るんだよ!)
そんな死が目の前にあるってことは、戦争で敵陣に進むのと同じなんだよね


----------訳者の戯言---------

当時の京都の人口っていうのは数万人~15万人くらいだったらしいです。
あまりはっきりとはしてないらしいですが、15万人だとしても、人口だけで言えば現代なら小さめの地方都市、という感じでしょう。

東京なら東村山とか武蔵野市、埼玉の入間、愛知だと刈谷市、大阪なら守口市といったところでしょうか。
それでも、現代の日本の都会だと、生活圏が広いですから、ちょっとイメージは違うでしょうね。

私は大都市圏ではない地方都市出身で、県庁所在地ではあったけど、それでも生活圏が閉じてるのは実感していました。
文字通り世間が狭いんですね。
昼夜人口もあまり変わらないし、日常的に人が他の府県、他の街に行くことはほとんどない。
ですから、ここで兼好法師が書いてるように、盛り場や駅前に行くと、知った人何人かに必ずと言っていいほど出会うし、男女で街を歩いたりするとすぐ噂になったりする、イベントのある日には何十人もの知り合いとすれ違うんですね。
葵祭で知った顔に出会うっていうのは、おそらく、ああいうイメージなんだろうなと思います。

さて本題です。
結論としては、死を常にしっかり意識して(それを踏まえた上で、しっかり、精進して)生きろ、とね。
さすが兼好、僧侶としては理想的な論理展開です。

ちなみに鳥辺野は墓地の多いところで、第七段にも鳥辺山という地名が出ていましたね。舟岡も墓地、埋葬地のようです。

もう一つ、追記です。(以下、長文注意)
気になる「ままこ立て(継子立て)」ですね。
なんじゃそりゃ?ということで、調べてみました。

コトバンクデジタル大辞泉によると次のように書かれています。

碁石でする遊戯。黒白の石それぞれ15個ずつ、合計30個をなんらかの順序で円形に並べ、あらかじめ定められた場所にある石を起点として10番目にあたる石を取り除き、順次10番目の石を取っていって、最後に一つ残った石を勝ちとするもの。白・黒を、それぞれ先妻の子と後妻の子に見立てたところからいう。」

「ままこ」っていうのは「継子」ですね。義理の子ども、前妻の子ども。継母⇔継子 です。
興味深いのはこの「継子立て」が、ゲームというだけではなくて、数学の問題でもあるという点です。そして、それにストーリーも付加されているという、複層の仕立てになっているということですね。

では大まかなストーリーから。

離縁したり、奥さんと死別したりすると、後妻をめとるっていうのは今もよくあるお話です。再婚ですね。先妻の子どもたちは、後妻さんからすると所謂「継子」であって、昔は継子いじめ、などということもよくあったらしいです。

今も、シングルマザーに彼氏ができて、彼氏が、子どもを虐待して死なせる、なんていう事件、よくあります。所謂ネグレクトですね。ほんま、ダメ人間は親になっちゃ駄目です。

話がそれました。

子どもが多いと「後継ぎ」も大きな問題でした。昔は「家督相続」などというものがありましたからね。
しかも、今みたいにちゃんとした民法なんてないですから、お家騒動はどこにでもあったわけです。

で、ある所に先妻の子(つまり継子)15人、実の子15人、合計30人の子をもった母がいました、と。
後継ぎを選ぶのに先妻の子には白い着物、実子には黒い着物を着せて全員を輪になって並ばせ、あるところから数えて10人ごとに除外していき、残った1人を相続人にしようと決めました。
ゲームとしては、この子ども(石)を最後まで残したほうが勝ち、ということです。

この絵は江戸時代に書かれた「塵劫記」という本の(類書の)挿絵が出典です。(『塵劫記』については後述します)

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この絵で数えていくと(白い着物の子は先妻の子=継子、黒い着物は実子)、白い着物の子は14人まで連続で除かれてしまいます。そこで、残った最後の継子が「これでは一方ばかり抜けてしまうので、ここからあとは自分から数えてください」と言ったので、やむをえずその1人から数えていくと、今度は実子15人が全部除かれてしまい、最後に先妻の子1人(継子)だけが残って後を継いだという話。

ここまでが「継子立て」の大まかなお話です。

数学的に言うと、
①どう並べたら、白黒30個の石のうち片側の色を全部残して、その反対の色が1個だけ残るのか?
②並べ方が①の正解通りであった場合、継子のうち最後に残り「異議申し立て」をしたのはどの位置の子か?
③黒15個、白1個の計16個を円形に並べて、再度10個めを取っていき、さらに10個め、10個め、と、それを続けていくと、連続15個黒が取り除かれ、最終的に白が残るには、どこからスタートすればいいか?
などの問題が考えられます。もちろん他の問題もいろいろ考えられますね。

上の答えは、①黒白黒白…と並べるとすれば、21352241131221 ②スタート位置から数えて14番目の子(石) ③唯一の「白」から となります。

この話(数学の問題)は、先にも触れましたが江戸時代に書かれた「塵劫記(じんこうき)」という算術書に記されています。
塵劫記」の著者は吉田光由という和算家、今で言うと数学者ですね。
この「塵劫記」、江戸初期(1627年)に発刊された入門的・実用的な書なんですが、すごく人気があったらしく、重版も次々になされたもよう。江戸時代を通して、さらに明治時代まで長きにわたってのロングセラーだったようなのです。
また、類書、異本も多く出たようで、一説によると本家、改訂版、類書を合わせて400くらいあるといいます。

内容としては、まず大小の数や計量単位の名前、そろばん、かけ算・割り算、米・布の売買、貨幣の両替、利子の計算、土地の面積、器物の体積、土木工事に関する計算など、日常生活に必要な諸計算を懇切丁寧にわかりやすく説明し、和算を発展させるとともに庶民に数学を普及する上で大きな役割を果たした、とも言われているそうです。

さて「徒然草」は「塵劫記」よりも約300年も前に書かれています。
徒然草」の頃のゲームを、発展させ、数学の問題として紹介したのが江戸時代の「塵劫記」だったということになるでしょうか。
吉田光由も「徒然草」を読んだのかもしれません。


【原文】

かの棧敷の前をこゝら行きかふ人の、見知れるが數多あるにて知りぬ、世の人數もさのみは多からぬにこそ。この人皆失せなむ後、我が身死ぬべきに定まりたりとも、程なく待ちつけぬべし。大きなる器に水を入れて、細き孔をあけたらんに、滴る事少しと云ふとも、怠る間なく漏りゆかば、やがて盡きぬべし。都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。一日に一人二人のみならむや。鳥部野・舟岡、さらぬ野山にも、送る數おほかる日はあれど、送らぬ日はなし。されば、柩を鬻ぐもの、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり。今日まで遁れ來にけるは、ありがたき不思議なり。暫しも世をのどかに思ひなんや。まゝ子立といふものを、雙六の石にてつくりて、立て竝べたる程は、取られむ事いづれの石とも知らねども、數へ當ててひとつを取りぬれば、その外は遁れぬと見れど、またまた数ふれば、かれこれ間拔き行くほどに、いづれも、遁れざるに似たり。兵の軍に出づるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。世をそむける草の庵には、しづかに水石をもてあそびて、これを他所に聞くと思へるは、いとはかなし。しづかなる山の奧、無常の敵きほひ來らざらんや。その死に臨めること、軍の陣に進めるに同じ。


検:第137段 第137段 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは