第百三十七段③ 祭を見物する様子
そんな人たちが祭を見物する様子って、めちゃくちゃ変だったよ
「見たい行列がくるのはずっと後やし。その時までは桟敷席は不要だよな」って言って、桟敷の奥にある家で酒を飲み、物を食べて、囲碁や双六なんかで遊んで、桟敷には見張り役の人を置いてあるんで「来ますよー」と言ったら、みんなめっちゃ慌てて競争で桟敷に上って、落ちるくらいまでに簾(すだれ)を張り出して、押し合いながら、一つも見逃さないぞと見守って「あーだ、こーだ」と、一つ一つについて喋って、行列が通り過ぎたら「またやって来るまでねー」と言って桟敷から下りちゃったの
ただ、行列だけを見てるんだろうね
都の人でそれなりの品のある人は、居眠りしたりして、しっかりは見てないのよ
若くて位の低い人たちは仕事として立ち居振る舞いし、身分の高い人の後ろに控えてる人たちはみっともなくのしかかったりしないし、無理やり見ようとする人はいないよ
----------訳者の戯言---------
東京ディズニーランドとかのパレードを見るときの感じ。
兼好法師が言いたいのは、片田舎の人=品が無い=行儀がよろしくない、ということだとは思うんですけどね。
「片田舎の人々」全員のことみたいに書くからいけないんですよ。
けど、都の立派な人も、居眠りしたりで、それはそれでどうかと思う。
せっかくパレードしてるのに。
仕事で来てる人は興味ないんだと思います。
それどころやないしな!
というわけで、さらに第百三十七段④に続く。
【原文】
さやうの人の祭見しさま、いとめづらかなりき。「見ごと いとおそし。そのほどは棧敷不用なり」とて、奧なる屋にて酒飮み、物食ひ、圍棊・雙六など遊びて、棧敷には人を置きたれば、「わたり候ふ」といふときに、おのおの肝つぶるやうに爭ひ走り上がりて、落ちぬべきまで簾張り出でて、押しあひつゝ、一事も見洩らさじとまぼりて、「とあり、かゝり」と物事に言ひて、渡り過ぎぬれば、「又渡らむまで」と言ひて降りぬ。唯物をのみ見むとするなるべし。都の人のゆゝしげなるは、眠りて、いとも見ず。若く末々なるは、宮仕へに立ち居、人の後にさぶらふは、さまあしくも及びかゝらず、わりなく見むとする人もなし。
検:第137段 第137段 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは