徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第百三十段 何をするにも争い事はしないこと

何をするにも争い事はしないこと! あえて自分を曲げて、人の言うままに、自分のことは後回しにして、相手を優先するに越したことはないんだよ

どの遊びでも、勝負ごとが好きな人っていうのは、勝ったら面白いからだよね
自分のテクニックがイケてるのってうれしいんだ
だったら、負けて、「面白くねー」って思うのも、また当然と思う
自分が負けたら、結果、「相手を喜ばせることになるんかい!」って思うと、遊びも全然楽しくないだろうからね
逆に相手をがっかりさせて、自分の心が癒されるっていうのも、徳に背いててなんだかなーって感じやしなぁ
仲のいい者同士で遊んでても、相手をだましたり、欺いたりして、自分のほうの知恵が勝ってることで面白さを感じるって
これまた礼儀に反してるもんね
だから、最初は単なる冗談から始まったことでも、そのうち後々まで遺恨を持つような場合も多いんだ
こんなことも全部、争いごとを好むことから生じるデメリットだよね

人に勝とうと思うなら、ただ学問をして、その知恵、知識において勝とうと思うべきだね
物の道理を学ぶのは、自分の長所に慢心せず、友だちと争っちゃダメってことを知るべきだからなんだ
立派な役職を辞めたり、お金を捨てたりできるのは、ただただ学問の力なんだよ


----------訳者の戯言---------

とはいっても、ゲームだし。
別にそこまで考えてないし。
「徳」とか「礼儀」とか言われても…。

たしかに中には、必死な人もいて、変な感じになるときあるけどね。

そして最終的には学問かい!
説教なんかいらんわ。と。

さて、兼好法師、これまでにも勝負事というかゲーム、ギャンブルについて何回か書いていますね。
おおむねギャンブル的なものには否定的ですが、第百十段のように肯定的に書いてる段もあります。

私の想像ですが、この段も含めて、彼はゲームや勝負事で嫌な思いをした経験ありとみました。


【原文】

物に爭はず、己を枉げて人に從ひ、我が身を後にして、人を先にするには如かず。

萬の遊びにも、勝負を好む人は、勝ちて興あらむ爲なり。己が藝の勝りたる事を喜ぶ。されば、負けて興なく覺ゆべきこと、また知られたり。我負けて人を歡ばしめむと思はば、さらに遊びの興なかるべし。人に本意なく思はせて、わが心を慰めむこと、徳に背けり。むつましき中に戲るゝも、人をはかり欺きて、おのれが智の勝りたることを興とす。これまた、禮にあらず。されば、はじめ興宴より起りて、長き恨みを結ぶ類多し。これ皆、争ひを好む失なり。

人に勝らむことを思はば、たゞ學問して、その智を人に勝らむと思ふべし。道を學ぶとならば、善に誇らず、ともがらに爭ふべからずといふ事を知るべき故なり。大きなる職をも辭し、利をも捨つるは、たゞ學問の力なり。


検:第130段 第130段 物に争はず、おのれを枉げて人に従がひ、 物に争はず、おのれを枉げて人に従ひ