徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第百三段 側近の者たちがなぞなぞを

後宇多法皇の御所で、側近の者たちがなぞなぞを作って解いていたところに、医師(くすし)の忠守が来たんだけど、侍従大納言の公明卿が「わが国のものとも見えないタダモリって?」となぞなぞにしたのを「唐瓶子(中国風の徳利)」と解いて笑い合ったので、腹を立てて退出してしまいました


----------訳者の戯言---------

これ、外国人差別ですね。
ある意味、告発と言えるかもしれません。

まず、前提として知っておきたいのが、医師の忠守は中国から帰化した渡来人だったということです。今で言うところの中国系日本人ですね。
瓶子はお酒とかを入れる、今で言うととっくりとか酒瓶という感じでしょうか。
読み方は「へいし」「へいじ」とのことです。

で、さらに予備知識。
平家物語」に平忠盛という人が出てきますね。
忠盛(ただもり)は、かの平清盛の父親で、伊勢平氏の人でした。
この平忠盛、まだ朝廷に出入りし始めたころには「伊勢の瓶子は素瓶(酢瓶)なり」と陰口を言われてたそうです。鳥羽上皇の前で舞を披露した際にも、公卿たちに「酢瓶の瓶子」と囃し立てられたとも書かれています。

お気づきとは思いますが、明らかに瓶子(へいし)は平氏(へいし)を揶揄していますね。
平忠盛は斜視(眇=すがめ)だったらしく、また「酢瓶の瓶子」は伊勢の特産品だったとか。また、素瓶も酢瓶も、どっちも安物を入れる瓶として、身分が低いことを意味したりもします。

つまり、公卿たちは平忠盛を馬鹿にしまくっているのです。
出身地、身分、容貌と差別のオンパレードですね。

そして、その「タダモリ」にかけて、今回、忠守(ただもり)という中国出身の帰化人を、またまた馬鹿にする公卿たち。

ただ、これを笑うためには「平家物語」の逸話を知っていなければなりません。
同席している人々、全員がです。
つまり、それなりの教養があってしかるべき人たちなのに、差別をすることが恥ずかしいことである、ということは知らない無教養。

このことからしても、この段は私の感覚からすると、ちょっと気分が悪い内容です。
ま、法皇の側近なんていっても、かなり程度の低い人たちだったということですね。
もしかすると、兼好法師もそう思ったのかもしれません。


【原文】

大覺寺殿にて、近習の人ども、なぞなぞをつくりて解かれけるところへ、醫師忠守 參りたりけるに、侍從大納言公明卿、「我が朝のものとも見えぬ忠守かな」となぞなぞにせられたりけるを、「唐瓶子」と解きて笑ひあはれければ、腹立ちて退り出にけり。