徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第二十一段 月を見ればなごみます

嫌なことがあっても何でも、月を見ればなごみます
ある人が「月ほど面白いものは無いでしょ」と言ったら、他の一人が「露のほうが風情があるよ」と言って争ってたけど、あれはなかなか面白かったですね
ま、言ってみればその時その時タイミングがよければ、何だっていい感じなんですよ

月や花はもちろんですし
風はほんと、人に風雅の心を気付かせてくれるもの
岩に砕けて清く水が流れる景色は、どんな時だって素晴らしいですしね

「中国の沅や湘の川は、常に東に流れ去っていく。それを愁う人のために留まることは、少しも無い」という詩を見ると、まじでしみじみと感じ入ってしまいます
竹林の七賢の一人である嵆康という人だって「山や谷川に遊んで、魚や鳥を見るのは楽しいね」と言ったわけだし
人里を離れて、水や草が清い所をさまよい歩くことほど、心が癒されるものはないですね

 

----------訳者の戯言----------

やっぱ自然が一番。
ところどころ知識をひけらかしてきますが、ご愛敬です。


【原文】

萬の事は、月見るにこそ慰むものなれ。ある人の、「月ばかり面白きものは有らじ」と言ひしに、またひとり、「露こそあはれなれ」と爭ひしこそ、をかしけれ。折にふれば何かはあはれならざらん。

月・花はさらなり、風のみこそ人に心はつくめれ。岩に碎けて清く流るゝ水のけしきこそ、時をもわかずめでたけれ。「沅・湘 日夜東に流れ去る。愁人の爲にとゞまること少時もせず」といへる詩を見侍りしこそ、哀れなりしか。嵆康も、「山澤にあそびて、魚鳥を見れば心樂しぶ」といへり。人遠く、水草きよき所にさまよひ歩きたるばかり、心慰むことはあらじ。

 

検:第21段 第21段 よろづのことは、月見るにこそ 万のことは月見るにこそ 万のことは、月見るにこそ