徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第二百三十八段③ 常在光院の梵鐘の銘文は

一つ
常在光院の梵鐘の銘文は、菅原在兼卿の下書きによるものなんだ
それを(書家の)勘解由小路行房朝臣が清書して、鋳型にうつそうとされたんだけど、製作担当の入道が、例の草稿を取り出して私に見せましたら、「花の外に夕を送れば、声百里に聞ゆ」という句があったのね
で、私、「他の文字はすべて陽唐の韻と見えるんだけど、百里だけは違うので間違いじゃないかな?」って申したんで、その入道「よくお見せしたことたことだよ! 私の手柄です」って、筆者の元へ手紙で知らせたら、「間違いでございました。『数行』となおしてください」と返事があったんです
「数行」もどんなものだろうか? もしかしたら「数歩」の意味だろうか、はっきりしないね
でも「数行」っていうのは、やっぱりあやしい
「数」っていうと、4~5ですからね
「鐘四五歩」では、どれほどの距離もないし
ただ、遠くに聴こえるというのが、意図するところなんだからねぇ


----------訳者の戯言---------

今は無いけど、常在光院っていう寺院が、京都の知恩院の境内にあったらしいです。

兼好の自慢話はわかるんですけど、それより気になるのは、鋳型、そして鐘がちゃんとできたかどうかってこと。
まさか間違ったまま、鐘作ってないだろうな?

さらに、第二百三十八段④に続きます。


【原文】

常在光院の撞鐘(つきがね)の銘は、在兼卿の草なり。行房朝臣 清書して、鑄型にうつさせんとせしに、奉行の入道、かの草をとり出でて見せ侍りしに、「花の外に夕をおくれば、聲百里に聞ゆ」といふ句あり。「陽唐の韻と見ゆるに、百里あやまりか」と申したりしを、「よくぞ見せ奉りける。おのれが高名なり」とて、筆者の許へいひやりたるに、「あやまり侍りけり。數行となほさるべし」と返り事はべりき。數行もいかなるべきにか、もし數歩の意か、覚束なし。
數行なほ不審。數は四五也。鐘四五歩 不幾也。ただ、遠く聞こゆる心也。


検:第238段 第238段 御随身近友が自讃とて

第二百三十八段② 今の帝が、まだ皇太子でいらっしゃった頃

一つ
今の帝が、まだ皇太子でいらっしゃった頃、万里小路殿の屋敷をお住まいにされてて、そのお屋敷の堀川大納言がご出仕なさっている詰所へ、用があって私、参ったんだけど、論語の四、五、六の巻をお広げになって「ただ今、皇太子殿下が『紫の朱奪うことを憎む』という文をご覧になりたいってことで、論語をご覧になってられるんだが、見つけられずにいらっしゃるんだよね。『もっとよくリサーチしなさい』ってことなんで、探してるんだ」とおっしゃったんで、「九の巻のどこそこのあたりにございます」って申したら、「うわ、うれしっ!」って、それを持って殿下のところに参上なさったんだよ

これくらいのことは、子どもでも普通にできることなんだけど、昔の人はちょっとのことでも、すごく自慢してるね
後鳥羽院が「歌に『袖』と『袂』と、一首のうちに(同じ意味の言葉が二つ)あるのは悪いことだろうか」と(藤原)定家卿にご質問なさったのに「『秋の野の 草の袂か 花薄 穂に出でて招く 袖と見ゆらん』(秋の野の草の袂なのだろうか?花薄は。穂が出ているその様子は、人恋しさに招いている袖のようだ)とございますので、何の問題がございましょうか?(問題ないですよ)」と申されたことも、「タイミングよく根拠になる歌を覚えていたのね。歌の道の神様のおかげ。幸運でした」なんて、仰々しく記録されているんです
九条相国伊通(藤原伊通)公の款状にも、どうってことない項目を書き記して自慢なさってるよ


----------訳者の戯言---------

堀川大納言というのは堀川具親のことだそうです。養父は堀川具守とのこと。
具親の父は若くして亡くなったらしく、祖父だった具守が養父になったらしいです。
実は兼好法師が出家前に家司として仕えていたのが堀川具守でした。
堀川家の人々はこれまでにも何度か出てきましたね。

第九十九段検非違使庁の古い唐櫃を変えさせようとしたのは堀川具守の父
第百七段で女子たちに「無難ね」と褒められたのは堀川具守本人
第百六十二段で池の鳥を虐殺した僧を捕らえて罰した長官は具守の弟
第二百十八段で狐が噛みついたスタッフがいたのは堀川家のお屋敷

「款状(かじょう/かんじょう)」っていうのは、官位や恩賞なんかを望んで書いたり、訴訟の趣旨を記述したりした、いわゆる「嘆願書」のことだそうです。

自分だけじゃなく、昔の人も結構自慢してるんだよね。
と、まだ言い訳してるんですか??
はいはい、わかったわかった。

第二百三十八段③に続く。


【原文】

一、當代いまだ坊におはしまししころ、萬里小路殿御所なりしに、堀河大納言殿伺候し給ひし御曹司へ、用ありて參りたりしに、論語の四・五・六の卷をくりひろげ給ひて、「たゞ今御所にて、紫の朱うばふ事を惡むといふ文を、御覽ぜられたき事ありて、御本を御覽ずれども、御覽じ出されぬなり。『なほよくひき見よと』仰せ事にて、求むるなり」と仰せらるゝに、「九の卷のそこそこの程に侍る」と申したりしかば、「あなうれし」とて、もてまゐらせ給ひき。かほどの事は、兒どもも常のことなれど、昔の人は、いさゝかの事をもいみじく自讚したるなり。後鳥羽院の御歌に、「袖と袂と一首の中にあしかりなんや」と、定家卿に尋ね仰せられたるに、

秋の野の草のたもとか花すゝき ほに出でて招く袖と見ゆらむ

と侍れば、何事かさふらふべきと申されたることも、「時にあたりて本歌を覺悟す。道の冥加なり。高運なり」など、ことごとしく記しおかれ侍るなり。九條相國伊通公の款状にも、ことなる事なき題目をも書きのせて、自讚せられたり。


検:第238段 第238段 御随身近友が自讃とて

第二百三十八段① 自慢話が七つあるんだよ

随身の近友が自慢話として七箇条、書き留めていることがあるんだ
どれも、馬芸とか、何てこと無いことばっかなの
で、その先例を参考にして、私にも自慢話が七つあるんだよね

一つ
人を大勢連れて花見をして歩いた時、最勝光院のあたりで、男が馬を走らせているのを見て、「もう一回馬を走らせたら、馬が倒れて落ちるに違いないよ。しばらく見ててください」といって立ち止まったら、また馬を走らせたのね
そしたら、止まるとこで馬を引き倒しちゃって、乗ってる人は泥の中に転げ落ちたんだ
私の言葉に間違いなかったことを、人はみんな感心したよ


----------訳者の戯言---------

終盤にさしかかり、いよいよ自分をネタに。
イントロからもわかるとおり、この段は自慢話7つです。
長くなるぞ。

随身第百四十五段にも出てきました。
勅命によって上皇摂政関白、大臣なんかのお供をした近衛府の武官、今で言えばエリートSPって感じです。

洞察力自慢。
ちょっとぐらい控えめかと思いきや、十分すぎる自慢話。

第二百三十八段②へ続きます。


【原文】

御隨身 近友が自讚とて、七箇條かきとゞめたる事あり。みな馬藝、させることなき事どもなり。その例をおもひて、自讚のこと七つあり。

一、人あまた連れて花見ありきしに、最勝光院の邊にて、男の馬を走らしむるを見て、「今一度馬を馳するものならば、馬 倒れて、落つべし、しばし見給へ」とて、立ちどまりたるに、また馬を馳す。とゞむる所にて、馬を引きたふして、乘れる人泥土の中にころび入る。その詞のあやまらざることを、人みな感ず。


検:第238段 第238段 御随身近友が自讃とて

第二百三十七段 柳筥(やないばこ)に置くものは

柳筥(やないばこ)に置くものは、柳に対して縦に置くか、横に置くかは、物によるのかな?
「巻物なんかは縦向きに置いて、木と木の間からこよりを通して結びつけるんだ。硯も縦向きに置いたら、筆が転がらなくていいんだ」と、三条右大臣殿がおっしゃった
でも(書家の家系)勘解由小路家の書家たちは、かりにも縦向きに置かれることは無かったね
必ず横向きに置かれましたよ


----------訳者の戯言---------

勘解由小路(かでのこうじ)家というのは書家の家系なんですね。
第百六十段でも勘解由小路二品禪門(藤原経尹)という人が登場しました。
額を「かける」と言ったとかいう人。いや、当たり前なんですけどね。

実はここの家系って、三蹟の一人、藤原行成の子孫なんです。
さすがに私でも三蹟は知ってますから、書道界では超有名な人ですよ。その子孫たちですね。
ちなみに第百六十九段に登場した、二人の男性との恋におちたキャリアウーマン、建礼門院右京大夫もこの家の出身だそうです。
別名と言うか本名というか、「世尊寺」家とも言いまして、世尊寺流という書道理論・書風を確立した模様。しかし、後に断絶したそうです。

さて、柳筥(やないばこ)っていうのは、柳の木を三角に削って、並べて組み合わせて作った箱なんですが、さらにその蓋だけを別にして脚をつけて、図のように台にしたものも、同じく柳筥と言ったらしいんですね。

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この図では、奉書で包んだものに水引をかけたのが載っかっていますね。
ま、こういうこともしたらしい。
箱の画像のほうは、古い箱状の柳筥です。

台のほうの柳筥には、文中にあったように、巻物を置いたり、硯を置いたりしたみたいですね。
ただ、勘解由小路家の書家の人たちは横向きに置いたようですよ。
何でだ!?

で、三条右大臣って誰?
藤原定方(873-932)という人だそうです。
最終的には右大臣になった人ですから、官人としてはかなりの人なんですが、自身、歌人としても高名とか。
私はよく知りませんでしたが。

しかし兼好、この人が言ったのをまるで直接聞いたかのように書いてますが、全然、時代違いますからね。
藤原定方、これ書いてた時より400年ぐらい前の人ですから!
私らからしたら、徳川家康とか真田幸村とかが、「こう言うてましたわ」って言うのとおんなじですからね。
あぶないあぶない、だまされるとこでしたよ。


【原文】

柳筥に据うるものは、縦ざま、横ざま、物によるべきにや。「卷物などは縦ざまにおきて、木の間より紙 捻りを通して結ひつく。硯も縦ざまにおきたる、筆ころばず、よし」と、三條右大臣殿仰せられき。

勘解由小路の家の能書の人々は、假にも縦ざまにおかるゝことなし、必ず横ざまにすゑられ侍りき。


検:第237段 第237段 柳筥に据うるものは

第二百三十六段 丹波に「出雲」っていう所があるんだ

丹波に「出雲」っていう所があるんだ
出雲大社から分霊をお招きして、見事に社を造ったの
その神社があるのは「しだの何とか」っていう者の領地なので、秋の頃、聖海上人や、他にも人をたくさん誘って、
「さあ、お越しください、出雲を参拝に! ぼたもちをご馳走しますよー」
って、みんないっしょに行って、それぞれ拝んで、深く信心を起こしたんだよ
神社の御前にある獅子と狛犬が、背中あわせに後ろ向きに立ってたんで、上人はめっちゃ感心して、
「ああ素晴らしい。この獅子の立ち方、すごい珍しい。深い言われがあるんでしょうね」
と涙ぐんで、
「どうなんです皆さん、こんな珍しいものにお気づきにならないんですか? それ、あんまりじゃないですか」
って言ったんで、他のみんなも不思議がって、
「そういやホントに他のとは違ってるよ。都へのみやげ話に語ろう」
なんて言ってたら、上人がもっと由来を知りたがって、年配で物を知ってそうな顔した神官を呼んで、
「この神社の獅子の立てられようは、絶対由緒がありますよね。ちょっと教えてもらえませんか」
って言われたんで、
「それなんですよ! やんちゃな子どもらがやらかしたんで、けしからんことでございますわ」
って、近くに寄って、置き直して去って行ったんで、上人の感激の涙は無駄になってしまったのさ


----------訳者の戯言---------

今の京都府亀岡市千歳町出雲という住所に「出雲大神宮」があります。

チョイチョイある、途中でオチがありそうなのがなんとなーく予想できるお話です。
なんだかなーと思いながら読んでみると、やっぱそうかー、という展開に脱力。これでいいのか?兼好。

原文にある「かいもちひ」ですが、第二百十六段で足利左馬入道が執権・北条時頼をもてなした時に出したのもこの「かいもちひ」でした。
蕎麦がきorぼたもち、のことらしいです。


【原文】

丹波に出雲といふ所あり。大社を遷して、めでたく造れり。志太の某(なにがし)とかやしる所なれば、秋の頃、聖海上人、その外も人數多(あまた)誘ひて、「いざ給へ、出雲 拜みに。かいもちひ召させん」とて、具しもていきたるに、おのおの拜みて、ゆゝしく信起したり。
御前なる獅子・狛犬、そむきて後ざまに立ちたりければ、上人いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ちやういと珍し。深き故あらむ」と涙ぐみて、「いかに殿ばら、殊勝の事は御覽じとがめずや。無下なり」といへば、おのおの あやしみて、「まことに他に異なりけり。都のつとにかたらん」などいふに、上人なほゆかしがりて、おとなしく物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられやう、定めてならひあることにはべらむ。ちと承らばや」といはれければ、「そのことに候。さがなき童どもの仕りける、奇怪に候ことなり」とて、さし寄りてすゑ直して往にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。


検:第236段 第236段 丹波に出雲といふ所あり

第二百三十五段 主人のいる家には

主人のいる家には、用の無い人が思うままに入って来ることは無いんだよ
主のいないところには、道行く人が無闇に入り込むし、狐やフクロウのようなものも人の気配に妨げられなくて、得意顔で入って棲みつき、木霊(木の精)などという異様な姿をしたものも、現れるものさ

また、鏡には色も形も無いからこそ、あらゆる物の姿が映るんだ
鏡に色や形があったら、映らないはずだよね

空間があればそこには十分に物を入れることができる
私たちの心に色々な雑念がどんどん浮かんでくるのも、心というものが無いからじゃないのかな
心に主がいたとしたら、胸の内に多くのことは入ってこないに違いないさ


----------訳者の戯言---------

一種のメタファーですね。
兼好法師の得意な論理展開、修辞のパターンです。

仏教の教えとか出家隠遁の勧めに結論を持っていくことが多いんですが、今回はちょっと違います。

また木霊とか、オカルトなこと言ってますねー。
本気か?兼好。


【原文】

主ある家には、すゞろなる人、心の儘に入り來る事なし。主なき所には、道行人みだりに立ち入り、狐・梟やうの者も、人氣にせかれねば、所得顔に入り住み、木精など云ふ、けしからぬ形もあらはるゝものなり。

また、鏡には色・形なき故に、よろづの影きたりてうつる。鏡に色・形あらましかば、うつらざらまし。

虚空よくものを容る。われらが心に、念々のほしきまゝに来たり浮ぶも、心といふものの無きにやあらん。心にぬしあらましかば、胸のうちに若干のことは入りきたらざらまし。


検:第235段 第235段 主ある家には、すずろなる人

第二百三十四段 人が何か質問してきた時に

人が何か質問してきた時に、「まさか知らないはずないし、そのまんま言うのはアホらしい」とでも思うんだろうか、心を惑わすように返事するのは、良くないことだよね
ちょっとは知っていることでも、もっとハッキリと知りたい!と思って質問するのかもしれないし
また、ホントに知らない人だって、何で皆無って言えるワケ?(いるかもしれないでしょ!)
結局、ストレートに教えてあげたほうが、思慮深いって思われるはずだよね

他人がまだはっきりと知らない噂話なんかを、自分の勝手な解釈のまま「それにしても、あの人のことは、ひどいよねー」ってだけ言ってきたら、「何かあったんですか?」って聞き返さないといけないのは、不愉快だよね
世間では当たり前になってることでも、たまたま聞き漏らしてることもあるだろうから、あいまいな部分が無いようにちゃんと説明するのはいけないことかな?(いやいや、いいことだよね!)

そういう風に曖昧な言い方をするのは、無分別な人がやりがちなことである


----------訳者の戯言---------

それぐらい、いんじゃね? と思いますが。


【原文】

人の物を問ひたるに、知らずしもあらじ、有りのまゝにいはむはをこがましとにや、心まどはすやうに返り事したる、よからぬ事なり。知りたる事も、猶さだかにと思ひてや問ふらん。また、まことに知らぬ人もなどか無からん。うらゝかに言ひ聞かせたらんは、おとなしく聞えなまし。

人はいまだ聞き及ばぬことを、わが知りたる儘に、「さてもその人の事の淺ましき」などばかり言ひやりたれば、「いかなる事のあるにか」と推し返し問ひにやるこそ、こゝろづきなけれ。世に古りぬる事をも、おのづから聞きもらす事もあれば、覺束なからぬやうに告げやりたらん、惡しかるべきことかは。

かやうの事は、ものなれぬ人のあることなり。


検:第234段 第234段 人のものを問ひたるに

第二百三十三段 全てにおいて間違いがないようにと思うんなら

全てにおいて間違いがないようにと思うんなら、何ごとにも真心を持って、人を差別せず、礼儀正しく、口数は少ないのに越したことはないよ
男も女も、老人も若者も、そういう人はみんないいもんだけど、特に若くて見た目もかっこよくて、きちんとしてて礼儀正しい人っていうのは、印象に残るし、好感度も高いよね
全てにおいてダメなのは、馴れてる感じで上から目線、得意げな態度で人をないがしろにすることだよ


----------訳者の戯言---------

実は身分差別や性差別等々、本人自らしてますからね、兼好。
そこに気が付いてないところが、なかなか凄いですね。

たしかにポリコレって行き過ぎがちにはなるものなんですが、私思いますに、結局は教養と想像力の問題なのでね。
ミスると結構恥ずかしい。
人のこと言う前に兼好も気をつけるべきですね。
もう死んでるから言っても仕方ないですけど。

やっぱ「偉そう」「上から」はあかんということです。
けど、兼好もちょいちょい小自慢入りますから、これまた他人のこと言えるんかな、とちょっと思いますね。


【原文】

萬の科あらじと思はば、何事にも誠ありて、人を分かず恭しく、言葉すくなからんには如かじ。男女・老少、みなさる人こそよけれども、ことに若くかたちよき人の、言うるはしきは、忘れがたく、思ひつかるゝものなり。

よろづのとがは、馴れたるさまに上手めき、所得たるけしきして、人をないがしろにするにあり。


検:第233段 第233段 万の咎あらじと思はば

第二百三十二段 あらゆる人は、学が無く、芸も無くてしかるべき

あらゆる人は、学が無く、芸も無くてしかるべきものなんです
ある人の子どもで、容姿なんかは悪くないんですけど、父の前で人とディスカッションしたときに、中国の歴史書の言葉を引用してたのは、賢いとは思えたけれども、上位の人の前ではそんなことしなくても、と思いましたよ

また、ある人のところで、琵琶法師の物語を聞こうということで、琵琶を取り寄せたんだけど、「柱(じゅう)」が一つ落ちたので、「作ってつけなさい」と言ったんですが、男たちの中で身分の低そうでもなさそうな人が「使い古しのひしゃくの柄があったかなー」なんて言うので見てみたら、爪をのばしてるんです
ってことは、琵琶なんか弾くに違いないんですね
盲目の琵琶法師の琵琶に、ひしゃくの柄を使ってまでのこと、しなくていいですよ
自分が琵琶の道を心得てるとでも思ってるんだろうか、と、こっちが気恥ずかしかったです
「ひしゃくの柄は檜物木(ひものぎ)とかいって、よくないものなんだよ」とも、ある人はおっしゃってたんですよね

若い人のやることは、ほんのちょっとしたことでも、よく見えたり、悪く見えたりするものなんですよ

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----------訳者の戯言---------

琵琶の柱については第七十段でも出てきましたね。
柱が外れちゃってて「そくひ」っていう糊でくっつけた話でした。

檜物木(ひものぎ)っていうのは檜や杉の材木のことです。

彼は、目の見えない琵琶法師が使うんだから、そんなひしゃくの柄をつぶして作るまでもないだろう、って言ってるわけですよね。
けど、私、別の意味でですが、楽器にひしゃくの柄を使ったらダメだと思うんです、そもそも。
楽器ってデリケートなもんですからね。

じゃあ、ひしゃくの柄をつぶして作るのがだめなら何で作るのがいいんでしょうか?
そもそも、そこで指示した人は何で作ってほしかったんでしょうか。
そして、楽器として正しいのは何の材なんでしょうか?
そっちのほうが気になりますね。

ネットで調べたところ、どうも現代の琵琶の柱は柘植(つげ)で作るみたいですね。
柘植は櫛を作る材として知られていますし、私もそのように認識していますが、昔から琵琶の柱もこれで作っていたんでしょうかね。
硬くて狂いが少ないらしいですから、たしかに楽器のパーツ向きな気はします。

兼好は、若い人がイキってる感じが嫌なのかなと思いますね。
今で言うなら、意識高い系、みたいな。
最後の一文にも、「若い奴っていうのは…」って言いたい気持ちが出てますもんね。


【原文】

すべて人は、無智無能なるべきものなり。ある人の子の、見ざまなど惡しからぬが、父の前にて、人と物いふとて、史書の文をひきたりし、賢しくは聞えしかども、尊者の前にては、然らずともと覺えしなり。
またある人の許にて、琵琶法師の物語をきかんとて、琵琶を召しよせたるに、柱のひとつ落ちたりしかば、「作りてつけよ」といふに、ある男の中に、あしからずと見ゆるが、「ふるき柄杓の柄ありや」などいふを見れば、爪をおふしたり。琵琶など彈くにこそ。めくら法師の琵琶、その沙汰にもおよばぬことなり。道に心えたる由にやと、かたはらいたかりき。「ひさくの柄は、ひもの木とかやいひて、よからぬものに」とぞ、或人仰せられし。

若き人は、少しの事も、よく見え、わろく見ゆるなり。


検:第232段 第232段 すべて人は、無智無能なるべきものなり すべて、人は、無智・無能なるべきものなり

第二百三十一段 趣向を凝らして面白さがあるより、面白くなくてもストレートなのが

園の別当入道(藤原基氏)は、比べるものもないくらい優れた料理人なのだ
ある人のところで、立派な鯉を出したんで、みんな、別当入道の包丁さばきを見ないとなーと思ったんだけど、簡単に言い出すのもどうなん?ってためらってたら、別当入道もわかってる人で
「この頃、100日間、毎日鯉を切ることにしてるもんですから、今日も欠かすわけにはいかないんです。理屈を曲げて申し受けましょう」
と言ってお切りになったのは、とってもその場の空気を読んでられて、いい感じだったと人々が思ったんだって、ある人が北山太政入道殿に申されたところ、
「そういうのは、私はすごいめんどくさ!って思うんですね。『切る人がいないんだったら、おっしゃってください、私が切りましょう』と言ってたら、もっとよかっただろうにね。何で百日の鯉を切るんだよ!」とおっしゃったのは、面白れーと思ったね!ってその人が語られたのは、これまためっちゃ面白かったのだ

だいたい、趣向を凝らして面白さがあるより、面白くなくてもストレートなのが、勝っていることなのさ
お客さんをおもてなしするのも、タイミングを計って作って出されるのも、本当にいいんだけど、ただ、何気に出てくるのって、すごくいいんだよ
人に物をあげるのでも、何の経緯もなくて単に「これ、あげます」って言うのが、ホントの気持ちがこもってるんだ
惜しむふりをして、それ欲しいんですーって言わせようと画策したり、勝負に負けたことにかこつけてあげたりするのは、ヤな感じだよね


----------訳者の戯言---------

園の別当入道っていう人は藤原基氏という人なんですけど、若くして出家した人なんですね。
だから「入道」なんですけど、園家を興して、園流(四条園流)という料理の流派の開祖となった人だそうです。元々は四条家の人らしい。
「四条流包丁道」については第百八十二段に出てきましたね。

兼好は「わざとらしい」のがやっぱり嫌い。


【原文】

園の別當入道は、雙なき庖丁者なり。ある人の許にて、いみじき鯉を出したりければ、みな人、別當入道の庖丁を見ばやと思へども、たやすくうち出でむも如何とためらひけるを、別當入道さる人にて、「この程百日の鯉を切り侍るを、今日缺き侍るべきにあらず、まげて申しうけん」とて切られける、いみじくつきづきしく、興ありて人ども思へりけると、ある人北山太政入道殿に語り申されたりければ、「かやうの事、おのれは世にうるさく覺ゆるなり。『切りぬべき人なくば、給べ。切らん』と言ひたらんは、猶よかりなん。南条、百日の鯉を切らんぞ」と宣ひたりし、をかしくおぼえしと、人のかたり給ひける、いとをかし。

大かた、ふるまひて興あるよりも、興なくて安らかなるが、まさりたることなり。賓客の饗應なども、ついで をかしき樣にとりなしたるも、誠によけれども、唯その事となくてとり出でたる、いとよし。人に物を取らせたるも、ついでなくて、「これを奉らん」と云ひたる、まことの志なり。惜しむ由して乞はれむと思ひ、勝負の負けわざにことつけなどしたる、むつかし。


検:第231段 第231段 園の別当入道は、さうなき庖丁者なり