徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第二百四十段 忍んで会うにも人目がわずらわしくて

忍んで会うにも人目がわずらわしく、暗い中、密やかに会おうにも見張ってる人がたくさんいて、それでも無理してまで通いたい気持ちが、深くしみじみと感じられて、その時々に忘れられないことって多いんだけど、逆にそれが親兄弟に許されて、ただ家に迎えて住まわせてるだけの関係になったら、全然ときめかなくなるんだろうね

生活に困ってる女性が、不似合いな老僧や下品な東国人であっても、裕福な人だったらいいって「誘ふ水あらば(お誘いがあるならば)」なんて言って、仲人が、男の側と女の側のどっちにも気分いいように、うまく言いつくろって、お互いよく知りもしないのに相手を受け入れてしまうなんていうのは、つまんないよ
そんなよく知りもしない二人が、何を話題にして話しかけるっていうの?
(気軽に会うこともかなわない)長い年月のつらさだって「分け来し葉山の」なんて、お互いに語り合う関係の二人なら、言葉も尽きないんだろうけどね

どれも、他人が結婚を取り持つようなのは、なんか不愉快なことが多いだろうさ
紹介されたのがいい女だったとしても、それを気にして、身分が低く、不細工で、年取っている男からしたら、こんなイケてない自分だと、残念ながら彼女の人生を台無しにするだろうって、彼女と向かい合ってても、自らを身分不相応で恥ずかしいものだって卑下しちゃうんだろう
でもそれって、ものすごくつまらない人生になるんじゃないかな

梅の花が香わしい夜の朧月の下でたたずんだり、彼女の家の庭の露をわけ出た所で見る夜明けの空のことも、我が身のことのように感じられない人は、恋愛なんかしちゃいけないんだよ


----------訳者の戯言---------

障害があるほうが燃える、とか。
打算で結婚しても会話不成立だろ、とか。
相手が高嶺の花でも卑下しちゃダメ、彼女に劣等感持つんならためとけ的な。
まるで恋愛マスターみたいなこと書いてます、兼好のくせに。

これまた「わざと」だと思いますけど、この段は序詞とか掛詞とか古典からの引用とか、いろいろな修辞法を使っています。
「しのぶの浦の蜑の」は「見るめ」の序詞で、「くらぶの山」が「暗い」を掛けてたり、ですね。
まあ、日本の古典ならではだと思いますが、訳してると、いきなり意味不明で戸惑うんです。
調べないといけないので、時間もすごくかかります。
めんどくせー。

さて、「誘ふ水あらば」です。
小野小町の「わびぬれば 身を浮草の 根を絶えて 誘ふ水あらば 往なんとぞ思ふ」という歌から引用されてます。
意味は上にも書きましたが、「お誘いいただけるなら」みたいな感じです。

小野小町については第百七十三段にも書かれてましたが、実際、生没年とか晩年とか本人自身のことはあまり詳しくはわかっていません。

この小町の歌は、親しかった文屋康秀三河の掾になって「私の担当する田舎の見物に、一緒に行ってくださいませんか?」と言ってきた返事に詠んだ歌だそうです。

全体を訳すと、「わび住まいの憂き身の上なので、浮草のように根を断って、誘ってくれる水があれば、そのまま流れて行こうと思います」くらいの意味です。
浮草には「憂き」の意味もかかってるんですね。

小野小町もそうですが文屋康秀六歌仙の一人だそうで、どっちも有名な歌人です。
で、一見、歌だけ見ると小町は文屋康秀の誘いに応じたかのように見えるんですが、実際にその行動はしていません。
これについて言うと、歌の上だけの、お遊びみたいな返しだったそうです。(戯れ歌と言うらしい)
文屋康秀は本気だったかもしれませんが。

絶世の美女ですからね。
プライドは高かったんでしょうか。
ただ、この歌にもあるとおり、不遇ではあったようで、後に落ちぶれていった逸話なんかも残っているようです。
「わびぬれば」という言葉からも、その途中というか、兆しも感じられます。

これに対して、文屋康秀はトップクラスの優れた歌人ではありましたが、役人としては下のほうの役職だったようですね。
三河の掾というのは、都から遠く離れた田舎へ赴任、しかもその田舎の出張所のナンバー3ですから、こちらも不遇なわけです。

落ちぶれかけてはいるものの、かつて一世を風靡した小町はプライドも高く、下っ端公務員の彼を選ぶことができなかった、ということでしょうか。
年齢ははっきりとはわかりませんが、この頃、小町はアバウトで40歳前後(35歳は確実に超えている)と考えられます。
文屋康秀は同世代のようですね。
だから、逆に小町のほうから身を引いたとも考えられます。
どっちにしても、ちょっとせつないですね。
歌の上ではOKしてるので、かえって、それが本心だったのではないか、と思えたりもして。
私の想像ですけどね。

次に「分け来し葉山の」です。
元ネタは「筑波山 は山しげ山 しげけれど 思ひ入るには さはらざりけり」という、源重之という人の歌だそうです。
筑波山は葉山や木の生い茂った山だらけだけど、あなたを思う私が、そんな、恋の険しい山道に入って行くのには、何にも差し障りないですよ」くらいの意味ですか。
で、この歌を引用して「険しい葉山の山道をかき分けて来た」その苦難の恋愛の日々を表してるんでしょう。

梅の花かうばしき夜の朧月にたたずみ」
「御垣が原の露分け出でん有明の空」
この二つは古典がネタ元になっています。
詳細は省きますが、「梅の花」のほうは「伊勢物語」、「御垣が原」は「源氏物語」だそうです。
どっちも超メジャー級の文学作品ですが、それぞれのワンシーンのようですね。
だから、当時そこそこ一般教養がある人とか、多少本を読んでる人だったらすぐわかる、ってことでしょう。
ああいうシーンを、自分のことみたいに投影して共感できない人は、恋愛沙汰に関わらんほうがいいでしょ、って書いてます。

何回も言うようですけど、兼好、恋愛マスターみたいに語る、語る。
柴門ふみとか瀬戸内寂聴みたいな感じですか。
そういえばどっちも同郷なんだよな私。


【原文】

しのぶの浦の蜑のみるめも所狹く、くらぶの山も守る人しげからんに、わりなく通はむ心の色こそ、淺からずあはれと思ふふしぶしの、忘れがたき事も多からめ。親・はらからゆるして、ひたぶるに迎へすゑたらむ、いとまばゆかりぬべし。

世にあり侘ぶる女の、似げなき老法師、怪しの東人なりとも、賑ははしきにつきて、「誘ふ水あらば」など云ふを、仲人、いづかたも心にくきさまに言ひなして、知られず、知らぬ人を迎へもて來らむあいなさよ。何事をかうち出づる言の葉にせむ。年月のつらさをも、「分けこし葉山の」などもあひかたらはむこそ、つきせぬ言の葉にてもあらめ。

すべて、よその人のとりまかなひたらん、うたて、心づきなき事多かるべし。よき女ならんにつけても、品くだり、みにくく、年も長けなむ男は、「かく怪しき身のために、あたら身をいたづらになさんやは」と、人も心劣りせられ、わが身はむかひ居たらんも、影はづかしくおぼえなん。いとこそ、あいなからめ。

梅の花かうばしき夜の朧月にたゝずみ、御垣が原の露分け出でむありあけの空も、わが身ざまに忍ばるべくもなからむ人は、たゞ色好まざらむにはしかじ。


検:第240段 第240段 しのぶの浦の蜑の見るめも所せく