第二百三十八段⑤ 那蘭陀寺で、道眼上人が講義した時
一つ
那蘭陀寺で、道眼上人が講義した時、「八災」の内容について忘れたので「これ、覚えてはる?」と言ったんだけど、弟子たちは誰も覚えていなくて、私が来賓席から「これこれでしょうか」と言ったところ、とても感心されたんだよね
----------訳者の戯言---------
なんか枕草子の清少納言みたいになってきた。
意図的にやっているのだろうとは言え、なかなかくどいです。
那蘭陀寺(ならんだじ)は第百七十九段で出てきました。
兼好、前もそうなんですけど、道眼という人のことを何となくdisってる、というか軽視している感じがします。私の印象では。
八災というのは 「八災患(はっさいげん)」の略だそうです。
修行の妨げとなる八つの障害で、「憂、喜、苦、楽、尋、伺、出息、入息」だとか。
「尋」は物事を追求すること、「伺」はより細かく物事を追求すること、らしいですね。
コトバンクに載っていました。
というわけで、他のはまあわかるとして、「出息」「入息」が何のことかよくわからないんです。
広辞苑にも出てないですしね。
どなたかご存じの方、教えていただけるとありがたいです。
次は第二百三十八段⑥です。
【原文】
一、那蘭陀寺にて、道眼ひじり談義せしに、八災といふ事を忘れて、「誰かおぼえ給ふ」と言ひしを、所化みな覺えざりしに、局のうちより、「これこれにや」といひ出したれば、いみじく感じ侍りき。
検:第238段 第238段 御随身近友が自讃とて