徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第二百三十段 五条の内裏には化け物がいた

五条の内裏には化け物がいたんだよ
藤大納言殿が語られたことには、殿上人たちが黒戸の御所で碁を打ってたら、御簾を上げて見てる者がいたのね
「誰だ!?」と見たら、狐が人間みたいにひざまづいて覗いてたんだけど「うわ、狐だ!!」って大騒ぎしたもんだから、あわてて逃げちゃったんだよ
未熟な狐が化けそこなったんだろうね


----------訳者の戯言---------

これ、うっかりすると五条の内裏で起こった出来事に見えるんですけど、違うんですね。

黒戸っていうのは第百七十六段で出てきました。
天皇がここで料理を作ったりしてたから、戸が煤で黒くなって黒戸ってよばれた部屋があったの。
ここを通称「黒戸の御所」なんて言い方もしたようです。

平安宮内裏には17個の宮殿があって、清涼殿もその一つ。
この黒戸って部屋は清涼殿にある部屋の一つですから、当然、平安宮内裏の中ですね。

で、殿上人たちがそこで碁を打って遊んでたと。
「殿上人」っていうのは、そんなめっちゃ上のほうじゃない宮仕えのスタッフ、公務員だそうです。
幹部とかじゃない一般の役人なんですけど、清涼殿に行くのは許されてる人たちですから、まあまあのレベルの人、っていう感じですか。

まー鎌倉時代ですからね、今みたいな電灯とかないですから、薄暗いと、覗いてるのが何なのかなんて、よく見えないと思いますよ。
たぶん、人が覗いてただけでしょう。

そんな話にさらに尾ひれが付いたんでしょうね。

で、なぜか五条大路に面した「里内裏」のほうにその狐の妖(あやかし)がいた、ということになってます。
根拠は全くわかりませんが。
里内裏っていうのは、平安宮内裏でなく、別邸として造られた仮の内裏なんだそうです。
京都の随所にあったらしく、今の京都御所も里内裏の一つとか。
ちなみに本宅の平安宮内裏は今の二条城の北西のあたりにあったらしいですね。
もちろん、めっちゃ広かったはずですが。

五条通は今とはちょっとずれていて、もうちょっと北だったらしいです。
今は松原通と言われている道だそうですね。
それでも平安宮内裏のあった一条~二条あたりまでは2~3kmありますから、微妙な距離。
ま、妖怪なんで距離は関係ないんですけどね。

しかし、まあまあの知識人である兼好が科学的根拠もない妖を信じるってのもなー。
そんな時代だったってことなんでしょうかね?


【原文】

五條の内裏には妖物ありけり。藤大納言殿 語られ侍りしは、殿上人ども、黑戸にて碁を打ちけるに、御簾をかゝげて見る者あり。「誰そ」と見向きたれば、狐、人のやうについゐて、さしのぞきたるを、「あれ狐よ」ととよまれて、まどひ逃げにけり。未練の狐、化け損じけるにこそ。


検:第230段 第230段 五条内裏には、妖物ありけり