徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第二百二十一段 建治、弘安の頃は

「建治、弘安の頃は、葵祭の日の放免(検非違使庁のスタッフ)が身に着ける飾りとして、エキセントリックな紺の布、四五反で馬を作って、尻尾とたてがみには灯心(いぐさで作った火を灯す用具)を使い、蜘蛛の巣を描いた水干(カンタンな服)につけて、『歌の心~』なんて言ってまわってるのを、いつも見かけましたけど、面白いことやってるなーという気分でございましたな」と、年老いた道志たちが、今日も語ってらっしゃった

最近は飾り物も、年を追うごとに、さらに度を超えて派手になってしまって、あらゆる重い物をいっぱい付けて、左右の袖を人に持たせて、自分は鉾さえ持たないで、あえぎ苦しんでるのは、すごく見苦しい


----------訳者の戯言---------

建治、弘安の頃っていうのは1275~1288年だそうです。
徒然草が書かれたのより50年ほど前ということになります。兼好が生まれたころでもありますね。

で当時は「放免」っていうのが、葵祭の警護にあたったらしいです。
放免というのは検非違使庁のスタッフだというんですけど、元・罪人がこの役目になってたらしくて、職名もそこから来ているんですね。

さて、なんか馬を作ったっていう話なんですけど、布、当時の1反って、長さ9mぐらいらしいですから、4~5反って、めっちゃ長くないか?
要するに着物4~5着分でしょ。
ということは、装飾品というよりも、着ぐるみ的なものなのかな?
尻尾とたてがみはいぐさで作った日用雑貨みたいなものを使って付けてたようですしね。
今で言うと、ハロウィンの仮装みたいなものだったんでしょうか。

導志というのは、検非違使庁の「道志」という官職のことだそうです。
大学の明法道(=律令格式を学ぶ学科)出身者が就いた職とされているようで、たぶん事務官のようなものでしょうね。
法学部出て警察庁の官僚になった人、みたいな感じでしょうか。

しかし毎度のことながら、兼好、最近の風潮を嘆き、昔を礼賛。


【原文】

建治・弘安のころは、祭の日の放免のつけものに、異樣なる紺の布四五反にて、馬をつくりて、尾髪には燈心をして、蜘蛛の糸かきたる水干に附けて、歌の心などいひて渡りしこと、常に見及び侍りしなども、興ありてしたる心地にてこそ侍りしか」と、老いたる道志どもの、今日もかたりはべるなり。

この頃は、つけもの、年をおくりて過差ことの外になりて、萬の重きものを多くつけて、左右の袖を人にもたせて、みづからは鋒をだに持たず、息づき苦しむ有樣、いと見ぐるし。


検:第221段 第221段 建治・弘安の比は、祭の日の放免の付物に 建治・弘安のころは、祭の日の放免のつけものに 建治・弘安の比は、祭の日の放免のつけものに 建治・弘安のころは、祭の日の放免の付物に