徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第二百三段 天皇の命により謹慎処分を受けた人の家に靫(ゆぎ)をかける作法

天皇の命により謹慎処分を受けた人の家に靫(ゆぎ)をかける作法は、今は全然知ってる人もいないよ
天皇のご病気や、概ね世の中が不安定な時は、五条の天神に靫がかけられるんだ
鞍馬の由岐の明神というのも、靫をかけられた神社だよ
看督長が背負った靫を、その家にかけられたら、人が出入りできなくなるんだよね
この習慣が無くなって以降、今の時代には、門に封印をすることになったんだよ


----------訳者の戯言---------

いろいろ調べました。
「靫(ゆぎ)」というのは、矢を入れる細長い箱だそうです。

これを犯罪者の家に掛けて目印にしたんでしょうか。
怖えー。
犯罪者には基本的人権なし、というわけですか。
人が出入りすることも禁止したということですね。監禁?
ま、兼好法師の時代には無くなってたようですけどね。
ただ、後述しますけど、見せしめというより、呪術的な意味合いがあったのかもしれません。

そして、五条天神社です。
天皇のご病気とか、国に災いがあった際に、その責任を取って「流罪に処す」として、この神社の扉に靫を架けて閉じる、っていうことが行われていたんですね。
神社がですよ!
神社なのに犯罪者扱いか!?

で、由岐(ゆぎorゆき)の明神(現在の由岐神社)も同様に靫をかけられたと。
由岐神社というと、鞍馬の火祭で有名。鞍馬寺の鎮守社です。
そもそも「靫明神」と言う名前から「由岐明神」→「由岐神社」になったようですね。
神社名自体が、天皇の病や国難時に神前に靫を献じて平穏を祈ったから、こう付けられたらしいです。

となると、靫がいい物なのか悪いものなのかも、よくわからないんです。
治めたり、清めたりするものなのでしょうか。良からぬものを封印するものなのでしょうか。

というわけで、よーわからんというのが結論。
わざわざ調べるんじゃなかった…。

「看督長(かどのおさ)」は、検非違使の下級役人で、強制執行とかする役の人です。
検非違使」はこれまでに何回か出てきましたけど、当時の警察的な存在です。

どうでもいいですか、そうですか。


【原文】

勅勘の所に靫かくる作法、今は絶えて知れる人なし。主上の御惱、大かた世の中のさわがしき時は、五條の天神に靫をかけらる。鞍馬に靫の明神といふも、靫かけられたりける神なり。看督長の負ひたる靫を、その家にかけられぬれば、人出で入らず。この事絶えて後、今の世には、封をつくることになりにけり。


検:第203段 第203段 勅勘の所に靫かくる作法 勅勘の所に靫懸くる作法