徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第百九十七段 定額の女孺

寺々の僧についてだけじゃなくって、定額の女孺というのが、延喜式に書いてあるよ
すべて、定員が決まっている公務員に共通する呼び方なんだね


----------訳者の戯言---------

「定額」というのは、ケータイの定額プランとかいうときの定額と、まあ、似てはいますが、「じょうがく」と読むらしいです。定員のことだそうです。

当時は「定額僧」というシステムがあったらしいですね。
全部かどうかは知りませんが寺は一定の人員を維持するように決められたみたいです。
理由は、課税逃れを防ぐ、寺の荒廃を防ぐ、あるいは国家的な仏教行事なんかを実施、管理しやすくなるというメリットもあったのでしょう。
どうやら給料も国から出ていたらしい。

女孺というのは、後宮において内侍司(ないしのつかさ)に属し、掃除、片付けとか、灯りをつけるとか、ま、雑事に従事した下級女官のことだそうです。

しかしそもそも、後宮とか内侍司って何よ。

江戸時代とかだと、江戸城に大奥ってあったけど、あれに似ている感じでしょうか。中国の王様の城内に後宮っていうのがあったのは、前に小説で読んだことがあります。

つまり、帝の側室候補もいる、女性だけの部署ですね。
後宮はざっくりと場所、内侍司は部署名ということでしょう、日本の御所では。

ただ、側室がいるというだけではなく、もちろん仕事もありました。今で言うなら、秘書課、総務課、庶務課あたりの役割だったのではないかと思います。
内侍司には尚侍という長官(カミ)が2名、典侍(スケ)という次官が4人、その下に掌侍(ジョウ)が6人いたそうです。
最初のうちは、トップの尚侍やナンバー2の典侍も所謂女官だったらしいですが、このあたりの人はそのうち皇妃に準ずる立場、つまり側室、妾となったそうですね、実質的には。
ってことは、実際に中心となってこの部署のオシゴトをしたのは掌侍ということでしょうかね。

で、さらに、前述のこまごまとした雑用をしたのが、その下にいた女孺(にょじゅ/めのわらわ)で100人いたらしい。

あんまり関係ないですが、紫式部とか清少納言とかはどのポジションだったんでしょうか?
実は、彼女たちは純粋な公務員ではなかったんですね。
皇妃に雇われた私設秘書みたいなものらしいです。
もちろん、後宮に出勤するんですけどね。

延喜式
なんか聞いたことありますね。
昔の、何かルール的なものでしょうか。

調べてみました。
古代の法律が「律令」と言われてて、それを基に国が治められていたのはなんとなくわかります。
律が刑法、令が行政法民法というものでしたね。
で、さらにこの律令の施行細則を示したのが「格式」で、その一つが「延喜式」なんだそうです。
宮中の儀礼、作法、人事システムなんかも書かれてたんでしょう。
全50巻、約3300条だそうです。
はっきり言って、めんどくさい。読みたくない。

ま、そういうのに公務員の定員も書かれていたんでしょう。

結論。
「定額僧」だけでなく、他の公務員にも「定額」って言い方してるじゃん! 延喜式に書いてあるじゃん!
ただそれだけ。


【原文】

諸寺の僧のみにもあらず、定額の女嬬といふこと、『延喜式』に見えたり。すべて、數さだまりたる公人の通號にこそ。


検:第197段 第197段 諸寺の僧のみにもあらず、定額の女孺といふ事