徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第百九十三段 道理をわかってない人が、他人を推し量って

物事の道理をわかってない人が、他人に見当つけてその人の知的レベルがわかった!なんて思っても、それ全然、的外れに決まってるよね

人としては未熟なんだけど、碁を打つことに関してだけは鋭くて上手い人が、賢明なんだけど囲碁に関しては下手な人を見て、自分の知性には及ばないさ、なんて決めつけたり、各分野のマエストロ的な人が、自分の専門分野のことを他人が理解できないからって、自分は優秀、なんて思うのは大間違いなワケでしょ
理論派の僧と修行実践派の僧とが、互いに相手の力量を類推して、それぞれ、相手は自分のレベルには及ばない、なんて思うのは、どっちも当たってないさ

自分のテリトリー外のものを、争うべきじゃないし、良し悪しも言うべきじゃないんだよね


----------訳者の戯言---------

アンタには言われたくない、っていうケース、多々ありますからね。

けど逆に、専門外だからこそ問題点が鮮明に見えること、おかしいと感じることもありますし。
会社でも社外取締役はいたほうがいいでしょうし、ユーザーのモニタリングなども重要です。

日本相撲協会なんかも、もうちょっと一般人の論理や意見を聞き入れるべきなんですけどね。
八角理事長はもうちょっと考えないとな。


【原文】

くらき人の、人をはかりて、その智を知れりと思はむ、更に當るべからず。

拙き人の、碁うつことばかりに敏く、たくみなるは、賢き人の、この藝におろかなるを見て、おのれが智に及ばずと定めて、萬の道のたくみ、わが道を人の知らざるを見て、おのれ勝れたりと思はむこと、大きなるあやまりなるべし。文字の法師、暗證の禪師、互にはかりて、おのれに如かずと思へる、共にあたらず。

己が境界にあらざるものをば、爭ふべからず、是非すべからず。


検:第193段 第193段 くらき人の、人をはかりて