徒然草 現代語訳 吉田兼好

徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる

吉田兼好の徒然草を現代の言葉で書いたり、読んで思ったことを書いています。誤訳や解釈の間違いがありましたらぜひご指摘ください。(序段---冒頭文から順番に書いています。検索窓に、第〇〇段、またはキーワードを入力していただけばブログ内検索していただけると思います)

第百七十五段② 他人ごとやと思って見てても、不愉快

(酔っ払いは)他人ごとやと思って見てても、不愉快やね
思慮深そうな雰囲気で、魅力的に見えてた人でも、考えなしに笑い騒ぎまくって、言葉数も多いわ、烏帽子はゆがんどるわ、衣服の紐をはずして、ふくらはぎを高く掲げて、隙だらけで、不用意な様子は、いつものその人とも思われへん
女は前髪をかき上げて顔を思いっきり上に向けて大笑い、盃を持ってる手をつかんだり、下品な人なんかは料理を取って他人の口に押し当てたり、自分でも食べる、ひどい有様ですわ
思いっきり大声を出して、それぞれ歌い、踊りまくって、年老いた僧侶を連れ出してきて、黒くて汚い身体なのに肩をはだけて、目もあてられない感じで身をよじるのを、面白がって見てる人だって不愉快きわまりない

はたまた、自分がどんだけゴイスーかっていう自慢話を、笑っちゃうくらい言いまくって、それか酔って泣き出したり、賤しい身分の者は、罵りあい、喧嘩して、そりゃ呆れるほどで、怖えーよ
恥ずかしいことだらけで、残念なことばっかりで、挙げ句の果てに許可のない物を勝手に取ったり、縁側から落ちたり、馬や牛車から落ちるとか、失敗ばっかりしちゃうの
乗り物に乗らない身分の者は、大路をよろよろ歩いて、築土や門の下とかに向かって、言えんようなこと(!)をやり散らかし、年取った袈裟をかけた法師が、小坊主の肩をおさえて、ワケのわからんこと言いながら、よろよろしてるのは、かわいそすぎて見てらんねーさ

こんなことをしても、この世でも、来世においてもメリットがあることだったら、仕方ない
でもこの世では酒による間違いはいっぱいあって、財産をなくすわ、病気にもかかる
酒は百薬の長とはいうけど、あらゆる病気は酒から起こってるのさ
嫌なことを忘れる、とか言うけど、酔ってる人って、過去の辛かったことを思い出して泣いてるようだしな
(酒によって)人としての知恵を失い、善行も火のように焼き尽くしてしまい、悪いことを増やし、(仏教における)すべての戒めを破って、来世は地獄に落ちるに違いねーさ!
「酒を手に取って人に飲ませた人は、五百回、生まれ変わる間ずっと、手の無い者(ミミズとか?魚類とか?)として生れる」って、仏様もお説きになってるってことですねん


----------訳者の戯言---------

手の無い者?
ミミズとかですか? 蛇とかもですか?
広い意味で言えば、類人猿以外の哺乳類も前足と後ろ足ですから、「手」ではないですしね。
犬は「お手」とか言いますけど。
鳥の翼も手ではないですし。
アシカショーでアシカが拍手するあの部分は手ですか?
蟹のハサミは手じゃやないよね、あれはハサミですよね。
仏様が何をイメージしておっしゃったかはよくわかりませんのでね。
ただ、そんなことは実は重要じゃないんですね。すまんすまん。

酔っ払いの醜態を、書きまくりです。
なかなか筆が止まりません、兼好。

さらに、この段③に続きます。意外な展開だが…。


【原文】

人の上にて見たるだに、心憂し。思ひ入りたるさまに、心にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひのゝしり、詞多く、烏帽子ゆがみ、紐はづし、脛高くかゝげて、用意なき気色、日頃の人とも覺えず。女は額髪はれらかに掻きやり、まばゆからず、顔うちさゝげてうち笑ひ、杯持てる手に取りつき、よからぬ人は、肴とりて口にさしあて、みづからも食ひたる、様あし。聲の限り出して、おのおの謠ひ舞ひ、年老いたる法師召し出されて、黑く穢き身を肩ぬぎて、目もあてられずすぢりたるを、興じ見る人さへ。うとましく憎し。或はまた、我が身いみじき事ども、傍痛くいひ聞かせ、あるは醉ひ泣きし、下ざまの人は、罵り合ひ、諍ひて、淺ましく恐ろし。恥ぢがましく、心憂き事のみありて、はては許さぬ物どもおし取りて、縁より落ち、馬・車より落ちてあやまちしつ。物にも乘らぬ際は、大路をよろぼひ行きて、築地・門の下などに向きて、えもいはぬ事ども し散らし、年老い、袈裟かけたる法師の、小童の肩を押へて、聞えぬ事ども言ひつゝ、よろめきたる、いとかはゆし。

かゝる事をしても、この世も後の世も益あるべき業ならば如何はせん。この世にては過ち多く、財を失ひ、病をまうく。百藥の長とはいへど、萬の病は酒よりこそ起れ。憂へを忘るといへど、醉ひたる人ぞ、過ぎにし憂さをも思ひ出でて泣くめる。後の世は、人の智惠を失ひ、善根を燒く事火の如くして、惡を増し、萬の戒を破りて、地獄に墮つべし。「酒をとりて人に飮ませたる人、五百生が間、手なき者に生る」とこそ、佛は説き給ふなれ。


検:第175段 第175段 世には心得ぬ事の多きなり