第百四十四段 栂尾の(明恵)上人が
栂尾の(明恵)上人が、道を通り過ぎられたんだけど、川で馬を洗っている男が、「足足」と言ったんで、上人は立ち止まって、「ああ尊い! 前世の善行が現世で身を結んでる、立派な人だよ。阿字阿字と唱えるとはね! どんな人の御馬だろうか。すごく尊く思われるんだけど」とお尋ねになったんで、「府生殿の御馬でございます」と答えたんだ
「こりゃあめでたい事だ! 阿字本不生ってことだね。うれしい縁が結ばれたね」といって感涙を拭われたってことだよ
----------訳者の戯言---------
という話なんですが、何のことなんか、どこがどうおもしろいのかさっぱりわかりません。
予備知識が必要なんですね。
まず栂尾上人(とがのおのしょうにん)です。
明恵(みょうえ)という高僧で、この名前のほうが一般に知られています。栂尾上人は通称ですね。
明恵は華厳宗の中興の祖で、華厳密教の僧侶として非常に高名な人です。学問ができ、修行にも熱心、人柄は、無欲無私で清廉、世俗の権力・権勢を怖れるところもなかったそうです。和歌もうまかったらしい。
その学徳の高さから、各界の人々から尊敬を集めたそうですね。まさにスーパーな高僧だったようです。
で、続いて、出てくる難解ワードです。
原文では「宿執開発」とあります。「しゅくしゅうかいほつ」と読むらしい。
「前世で積んだ善い行いの結果が、現世に現れてること」をこう言うんですね。
そして「阿字」。「あじ」ですね。サンスクリット語の字母の一番目のものに漢字をあてたものだそうです。
とは言うものの、そもそもその「サンスクリット語」って何?って話。
調べたら、古代インドの文学語。梵語ともいう、とネットに出ていました。
仏教の経典とかも、そもそもこれで書かれてたんですね。
「字母」っていうのは英語だとアルファベットに当たるものです。日本語だと50音でしょうか。ですから「阿」というのは英語の「A」、日本語の「あ」、ギリシャ語で「α(アルファ)」と、まあ同じようなもんなんです。
この「阿」の音が元になってすべての音が生まれるので、密教では宇宙の根元として大事にされるそうなんです。
「阿字本不生」は、この「阿字」が絶対的な存在で、不生にして不滅であるとする思想なのだとか。
「あじほんぷしょう」と読みます。
ここまでくると、宗教学をやっているわけでもない一般人の私には難解すぎてよくわかりません。
まあ、密教ではすごい尊いことなんだろうなーくらいの感じです。すみません。
それとも、このへんは当時の一般常識レベルなのでしょうか?
では「府生殿」って何?
六衛府や検非違使庁などの下級職員。「府」とつくのは概ね警備を担当する役所だったらしい。検非違使庁は主に刑事警察の組織だったようですね。
そして、やっとこさ、この段の話です。
ここまでたどり着くのに手間がかかり過ぎなんですよ、もう。
ま、簡単に言うと、馬に「足足」って言ったら「阿字阿字」に聴こえたってんで、すばらしい!と思って見たら馬がいたので、誰の馬?って聞いたら「ふしょう殿」のだっていうので、組み合わせたらなんと「阿字本不生! めでたい!」って、明恵上人が涙を流して喜ばれたわけですね。
偶然の素晴らしさ?を喜ぶ明恵上人に対する敬愛なのか、明恵上人ともあろう方の愛すべき大ボケ?を笑う段なのか。
私も、兼好法師の本心を量りかねる段でございます。
あー疲れた。
【原文】
栂尾の上人 道を過ぎたまひけるに、河にて馬洗ふ男、「あしあし」といひければ、上人たちとまりて、「あなたふとや。宿執開發の人かな。『阿字々々』と唱ふるぞや。いかなる人の御馬ぞ。あまりにたふとく覺ゆるは」と尋ね給ひければ、「府生殿の御馬に候」と答へけり。「こはめでたきことかな。阿字本不生にこそあなれ。うれしき結縁をもしつるかな」とて、感涙を拭はれけるとぞ。
検:第144段 第144段 栂尾の上人 道を過ぎたまひけるに